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アメリカ的創作指南

小説作法とか創作入門みたいな本を読むのは、もはや参考とか必要性から離れて、ただの趣味になっているのだが、最近は面白がってアメリカで出版された小説執筆のハウツーを立て続けに読んでいる。

アメリカ人作家の小説作法というと、ベストセラー作家ディーン・R・クーンツの『ベストセラー小説の書き方』が真っ先に思い浮かぶ。
あとはスティーブン・キングの『小説作法』くらいか。
クーンツの本は、指南本でありつつも読み物としても十分に面白かった。

ここ10年ほどの間に出された小説指南的なハウツー本を眺めていると、スティーブン・キングやクーンツらが書いた創作指南とは趣が異なってきているように感じる。
過去のものが、人気作家が書いた読み物としても十分に耐えうるようなものだったのに対して、最近のものは徹頭徹尾ハウツーに特化してきている印象がある。
クーンツらの小説作法が自身の経験を踏まえて書かれたガイドブックのような趣なのに対して、ハウツーに徹した指南本はどこまでもシステマチックに感じる。

「まずステップ1をやってみてください。それにはこんな意図があります。全体から見るとこのステップはこの辺のポジションにあります。さて次はステップ2です……」
と、こんな調子で、小説を創る作業を徹底的に合理化することを目指しているように見えるのだ。

ともすれば「あなたは素材を考えるだけ。あとはシステムに流し込めば小説は出来上がります」と言われているようで、カメラを売り出した昔のイーストマン・コダックのキャッチコピーをすぐに思い出した(コダックのキャッチコピーは「あなたはシャッターを押すだけ、あとは当社にお任せください」というものだった)。

合理的なことが悪いわけではないが、なんとなく「それってなんか違うんじゃ?」という違和感が拭えないのは、創作が産業製品のように量産されていくイメージと結びつくからなのではないかと思う。
精神と感情などと、過剰に感傷的な方向へ考えを振る気もないが、システマチックも度を過ぎると味気ない。
だからといって、そうした創作の仕方が悪いわけでもないからややっこしい。

こうした合理性を何のためらいもなく追求していく国民性や、「合理的で何が悪いの?」と疑問にすら思わないような素地があるから、A.I.のような結果に至る経緯がさっぱりわからないものですら、さして迷わず使えるのかもしれない。
不気味さとか、生理的な嫌悪感とか、言葉にできない部分には目もくれず、「ほら便利でしょ?」と笑えるのは、ある意味すごい(褒めてないけど)。

以前、A.I.が書いたSF小説が星新一賞の1次審査をパスして話題になったけれど、受賞したら創作の意図をどうやってインタビューするのか、そればかり気にしていた。
あと10年もしたら、毎月新たに出る小説の半分はA.I.作家が作ったものになっていたりして。
そんなA.I.を作ったら、真っ先に買うのは出版社なんだろうな。原稿料も印税も要らず、早く、コンスタントに物語を作ってしまうんだから、出版社にしてみたら打出の小槌みたいなシロモノなわけだし。
まあ、それが面白いのかどうかは甚だしく疑問だけれど。


クーンツの他、最近読んだものはこちら。
確かに合理的ではあるんだけどねえ……


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