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日記風エッセイという書き方

 週末はできるだけ図書館に近づかないことにしている。
 普段、行き場のない老人がもっともらしく占拠する閲覧席が、週末ともなれば勉強をする人たちが加わって(勉強しているのかどうかは定かではないが)争奪戦が激しくなる。
 席を確保してわざわざスポーツ紙の芸能欄を読まなくても良いだろうという気もするのだけれど、日々そうして芸能欄に目を通すことが何か重要な調査研究なのかもしれず(そんなわけはない)、混雑と並ぶことが嫌いな私としては行く理由が見当たらないのである。

 たまたま借りた本の返却日が週末と重なってしまったので、散歩ついでに近所の図書館に行った。
 図書館はいつも通り閲覧席が埋まる週末モードで、目についた本を数冊借りてすぐに出てしまったのだが、借り出した6冊のうち4冊がエッセイ集で、そのうち3冊が女性作家の手によるものだった。

 普段から図書館で借りる本は中身を確認せずに、目に止まったもの、惹かれたものを片っ端から借りることにしている。意識が冷静に判断をする前に反射的に選ぶことで、「ああ今はこういうものを読みたがっているのか」と客観的に観察できるような気がする。
 さしずめ今日は話の筋を追って、物語に身を任せて……というよりも、作者の個人的な感想や印象を欲していたのだろう。
 そのうちの1冊は小川糸さんの『ペンギンと暮らす』というエッセイ集だったのだが、文庫の裏表紙に書かれた概要の末尾に「日記エッセイ」とあって、「なるほどその手があるな」と心の中で「ぽん」と一つ手を打った。

 大上段に振りかぶって、書くべき何かを探して、高尚な考察や鋭い推論を並べるエッセイではなく、自分の身近で起きた出来事をピックアップして日記のように綴っていた。簡潔に、簡単に。
 ついつい何かを書こうとすると掘り下げたり、視点をずらしたり、あれこれと拙い小細工をしたくなるのだが、特にnoteのように書く習慣を維持するだけの目的ならば(個人的な使い方にすぎません)ちょっとつまんでちょっと味を整える程度でも良いんじゃないかと思ったのだった。

 それにしてもどうして日記風のエッセイって女性作家の方が多く書かれるんだろうか。オトコはやたらと風呂敷広げたくなるとか、社会に広範に横たわっている何かに目を向けなければという強迫観念でもあるんでしょうかね。

 と、そんなわけで、最近書かないストレスが微かに湧いてきている感じがするので、毒にも薬にもゴミにもならないようなどうでも良いことを書くことにしました。

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