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留学生盗難後①

盗難後1時間目
さあ困った私が最初に何をしたかというと、諦めることである。海外で物を盗まれた時最初にするべきは諦めることなのだ。海外で物を盗まれると言うことは、初恋の相手を自分のことが好きではない思わせぶりな人気者にするのと同じである。異常に期待していると心が傷つくのに、9割型返ってこないのであれば自分から心に傷をつけに行っているような物である。そう、適度に諦めながら返ってきたらラッキー程度の心意気で望まなければ、痛い目を見るのは私なのだ。そう言う気持ちで見てみると、対して損害を負っていないと言うことに気づける。確かに私は携帯を買い換えたばかりであり、しかもそれはiphone13と貧乏大学生にとっては痛い出費ではあるが、二ヶ月ほどきちんとバイトをすれば返せる金額である。しかも買い換えたばかりだからさほど思い出というものは入っていないしいい経験ができたと思えば一丁あがりである。全部経験すると人生楽に生きるがモットーの私にとっては願ってもいない状況なのだと心を落ち着かせニヤニヤしているとやはり仲間から突っ込まれた、“あんた携帯無くして何ヘラヘラしてんだ”と。同じ境遇の女性も同じ心意気で望んでいたため一緒に説明しながら、今できるだけのことはしようとみんなで対策を始めた。私はどうせクラブの責任者にとやかく言っても何もできないだろうと思っていたが、何かしとけと背中を押され、拙いスペイン語で“スマホ持ってかれた。見つけたら電話くれん”と言い残しクラブを後にしようと外に出ると私の仲間が何やら警察と一緒にいるではないか。ちょっと待て、どうしたと聞いてみると、仲間が私たちのスマホの件で警察を呼んだらしい。クラブの責任者見るからに嫌そうになっていますやん。仕方なく状況説明を始める我々。仕方なく防犯カメラを見せてくる責任者。それを仕方なく見守る警察官二人。人でごった返しているところをカメラで見てもなんも意味ないよと私が思っていたことを責任者に言われ、100%同意した我々、バカにしているのかと言わんばかりにゆっくりなスペイン語で喋ってくれる責任者とは裏腹に早口な警察の対比はさながら路面電車とリニアモーターカーを比べているかのよう。ちなみにコスタリカの警察は普通に拳銃を支持していて呼ばれるとそれに手をかざしながらきますので、下手に彼らに何か言えない。ましてや、彼らが一番嫌いそうなGRINGO集団に。そういうことを思いながら聞き流していると我々の仲間と警察、そして責任者の話がまとまったみたいだ。客観的すぎだろと仰るそこの貴方、正解です。仲間の一人にも怒られました。そんなこんなで1時間が経とうとしていた頃、サンホセのラ・カリ地区は午前2時を迎えようとし人々を狂気の渦へと飲み込んでいくのであった。

盗難後2時間目
端的にいうと警察におすすめされたことはOIJという場所で盗難届を出してこいとのことだ。そこの警察官にすればいいじゃないと思ったのも束の間、仲間に連れられOIJなる場所へ歩き始めるのである。歓喜に満ちた道路。お金をせびる人もいれば豪華に着飾った金持ちもいるこの特殊な空間はいかにも発展途上国の縮図そのものである。BBQの美味しそうな匂いがしたと思えばすぐに大麻が匂ってくる道路をかき分け歩くこと数分。とても静かな場所にやってきたと思っていたら、地震の多いコスタリカでは珍しい高いビルが数棟並んでいる場所にいた。さあ着いた、ここがあのOIJである。ここでOIJとは何なのか簡単に説明しよう。Organismo de Investigación Judicial、通称OIJは英訳でJudicial Investigation Department というコスタリカの司法捜査局である。警察とは違い最高裁の傘下にある同局はコスタリカ検察の補助機関であり、捜査の公平性、誠実性、客観性を保証するため、同犯罪捜査を行う機関なのだ。まあ簡単に言えば政府の探偵的なものだと理解している。まあそんなところに深夜の2時ごろにやってきた我々はもちろん手厚い歓迎をされるわけでもなく、盗まれた本人たちだけビル内に入ることを許され厳重なセキュリティーチェックを終え、政府機関の中に入っていく。お互いの目を見つめ、現在置かれている状況に笑い出しそうになりながら、拳銃に手をかけ我々を案内する局員についていく。ついたそこは日本の市役所などにおいてある発券機がどんと中央に置かれたとても広い部屋だった。深夜の2時であれば当然だが我々携帯を盗まれた二人だけがこのだだっ広い部屋にいる。すぐに窓口に案内された我々はニヤニヤしながら盗難届を出すべく奮闘するのである。

盗難後3時間目
幸い英語を話す担当者がいたためジョークを交えながら盗難届を出す我々。色々と携帯の情報が不足しているため、未完全な盗難届にはなったが、番号やメール、その他持っている情報が記載された盗難届が完成した。月曜日、3日後に捜査官が割り振られるらしい。できるだけ帰ってくることを望みながら、アルコールによって増幅された空腹を満たすために、みんなでピザ屋さんに行く。数時間前の我々は、サンホセのラ・カリでいつでも熱狂し、輝いていた。自分たちがやっていることが正しいと誰もが信じていた。あの熱は何だったのか。ことが発覚した後も力ではなく平和的なやり方で、古き悪しき力を倒せると思っていた。エネルギーがうねりとなり私たちはただ、高く美しい、新しい経験という波に乗っていればよかった。あれから12時間と経たぬ今、エレディアへ戻るためにサンホセの丘を登り東を向くと、思い出の向かうに波が寄せて返した跡が見える。波が砕けて何事もなかったように、静かになった街が、、、


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