NoNoのフリーク記

コスタリカに留学をしていた20歳大学生。携帯の盗難に遭い盗難記を書き始める。徐々にコスタリカ災難記になってる気がするほど踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂、七転び無起きな生活を送っているが、楽しいのが不思議だった。 日本に帰って少しやる気をなくしていたが好きな映画で持ち直した。

NoNoのフリーク記

コスタリカに留学をしていた20歳大学生。携帯の盗難に遭い盗難記を書き始める。徐々にコスタリカ災難記になってる気がするほど踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂、七転び無起きな生活を送っているが、楽しいのが不思議だった。 日本に帰って少しやる気をなくしていたが好きな映画で持ち直した。

最近の記事

その後

この回が最後になることを祈りながら、文章を綴る私とうっすらと光をはなつパソコンは共に政治と政府の授業を受けている。ベネズエラの政治についてプレゼンをしている友達には申し訳ないが、早めに終わらせておかないと、遠い昔のこととなり記憶が曖昧になってしまうため、書くしかない。私が始めた物語は私が終わらせるしかないとか進撃の巨人のようなセリフを吐くつもりはないが事実である。そんなことを思っている今日はアップルから朗報が届いてちょうど五週間が経った頃である。朗報が届いたのは9月の22日、

    • 留学生盗難後③

      サンホセOIJ 見覚えのある入り口、見覚えのある金属探知機。前来たのが数年前かのように感じるここに、我々は確かに12時間ほど前に来ているのだ。同じように待合室に進まされる我々は、昨日と同じ担当者さんだといいなという思いを込めながら発券機を押すものの、同じ担当者さんがいるわけでもなく、すぐに通された窓口にはむっすりとした顔のふくよかな中年女性が座っていた。盗難届を連名で出している我々は一緒に窓口に入ろうとするや否や、怒鳴ってくる中年女性。ちょっと待てと拙いスペイン語で説明しよう

      • 留学生盗難後②

        盗難後二日目  9月16日土曜日、盗難の翌日。眠い目をこすりながら、はっきりしない脳をフル回転させるべくベッドの横に置いてあるコップ一杯の水を流し込む。洗面所に行き、顔を洗い、ユニットバスのトイレに腰掛け、大きなあくびと共に用を足し終え、シャワーを浴びる準備に入る。何一つ違いのない私のモーニングルーティーンにここで亀裂が入る。シャワー中に音楽をかけようといつものスマホ充電スポットに私のスマホがないのだ。あ〜そういえば、スマホ盗まれたんだった。ここで気付く鈍感な私のスマホ盗難生

        • 留学生盗難後①

          盗難後1時間目 さあ困った私が最初に何をしたかというと、諦めることである。海外で物を盗まれた時最初にするべきは諦めることなのだ。海外で物を盗まれると言うことは、初恋の相手を自分のことが好きではない思わせぶりな人気者にするのと同じである。異常に期待していると心が傷つくのに、9割型返ってこないのであれば自分から心に傷をつけに行っているような物である。そう、適度に諦めながら返ってきたらラッキー程度の心意気で望まなければ、痛い目を見るのは私なのだ。そう言う気持ちで見てみると、対して損

          留学生盗難初日

          不安と期待で詰まった気持ちを落ち着かせ中央アメリカに位置するコスタリカに足を踏み入れ1ヶ月経った9月15日はコスタリカ共和国202回目の独立記念日だったんだ。金曜日、ほとんど全ての店、家屋が旗などで飾り付けをしている中私が住むエレディアの中央公園では煌びやかな衣装を着た人々によるパレードで賑わってたんです。華金で独立記念日で次の日が全部休日となれば、人でごった返すであろう首都繁華街に、我々アメリカの留学団体のメンバーは繰り出すことを決意。ほとんどの人が中南米といえば危ないと言

          留学生盗難初日

          コスタリカからこんにちは

          初めまして。私の名前はnonoこと中村龍之介と申します。2023年の夏より中央アメリカに位置するコスタリカに半年間ほどの留学ををしている広島大学二年生で、コスタリカで盗難に遭い、思い出として盗難記を書こうと思いたったのですが、ここで少し私の生い立ちについて話したいです。ちなみにモットーはなんでも経験すると楽に生きるなので、盗難されたことも経験だと少し喜んでいるところがあります。 幼少期 2003年5月の1日日本人の父とミャンマー人の母の間に生を受けた私は東南アジアに位置する

          コスタリカからこんにちは