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その後

この回が最後になることを祈りながら、文章を綴る私とうっすらと光をはなつパソコンは共に政治と政府の授業を受けている。ベネズエラの政治についてプレゼンをしている友達には申し訳ないが、早めに終わらせておかないと、遠い昔のこととなり記憶が曖昧になってしまうため、書くしかない。私が始めた物語は私が終わらせるしかないとか進撃の巨人のようなセリフを吐くつもりはないが事実である。そんなことを思っている今日はアップルから朗報が届いてちょうど五週間が経った頃である。朗報が届いたのは9月の22日、カリブ海の小さなビーチ沿いにひっそりと佇むホテルの庭でハッピーアワーを楽しんでいるところであった。プログラムの特に酒好きな4人が集まり、休日を最大限楽しもうとハッピーアワーを楽しむ我々、モヒートを片手にビデオを回す私に一本の電話がかかってきた。見慣れない電話番号、聞きなれない通知。+1から始まる電話番号はアメリカナンバーだが、合衆国に足を踏み入れたいない私が、あそこで法を犯したわけでもない。恐る恐る電話に答える私に答えたのは、びっくりするぐらい爆音の機械音の英語であった。簡単に言えば「君のスマホ見つけたよ♪」という通知なのだが、わざわざ電話で伝えてくるアップルは今思えば馬鹿げている。しかしながら、その場にいた私は喜びに包まれ、カリブ海の夕陽に包まれた静かなカフィータには、「よっしゃー」という日本語が鳴り響いていた。すぐに、このことを現地コーディネーターに伝え、次の月曜日にすぐに電話して取りに行ってもらおうと伝え、諦めからの帰ってくるかもしれないという明るい未来に包まれた私は、我を忘れてこの幸せに使っていた。この幸せの危うさと言ったら、目の前のホテルで執り行われいた家族限定の結婚式に乗り込み一緒にダンスを楽しむほどであった。さすが中米、見知らぬ外国人二人を快く迎え入れてくれた。そんなこんなで一夜を過ごした私、次の日にはカリブの海を眺めながら現地ディレクターに頼みOIJと連絡を取る。現在地がわかったことを伝え全ての情報が揃ったことを伝える。そう長らく待っていた高く美しい波が目の前に現れたのである。あとは体を波に任せ、岸辺まで運んでもらうだけだと嬉々としていたものの帰ってきた返事は一言、“じゃあ情報追加しておきますね“と。ちょっと待て、取り返しに行ってくれないのかと聞くと、”それは我々の仕事ではない“と帰ってくる。目前の高く美しい波が、OIJという名の強風に攫われ打ち消されていくのが見える。どういうことか聞くと、どうやら彼らの仕事は盗難届を出すまでで、我々が盗まれたものを目で見て警察を呼んで初めて盗難物が帰ってくるようなのである。私を岸辺まで送ってくれるはずであった波は、逆に離岸流となり私を沖へと流していく。ではなぜ我々は必死になって情報を集めてはOIJへ報告に行っていたのかと自問自答していると、現地ディレクターが”こういうものだ。これで半年後ぐらいにどうにもなりませんでしたという電話が来るんだ“とそのまま瞼まで吸い込みそうな美しいカリブ海のほとりで私に伝える。昨日の私の情熱を返せと言わんばかりに海に駆け込む私。また仕方がないという思考の深海に沈んでいく心。遠くに見える楽しそうな友人。すぐに心を切り替えた私は海から這い上がり、深海へと追いやった思考を無きものとし、またこの混沌の中南米を楽しみ始めたのであった。
 
全ての思い出が遠い昔のようでついこの間のような濃い数ヶ月を過ごした私は今、メキシコへの飛行の窓よりコスタリカの大地を見下ろしている。ずっと夢を見ているかのようなこの大地での生活とおさらばし、メキシコでの20時間のトランジットを経て帰路につく私は、この儚い夢を思い出しては瞼を閉じ、そのなんとも言えない物語は今にもその閉じた瞼から滲み出てきそうな濃い。自分の分身を今見える大地に置いてきたかのように感じるのは、そこに家族を残してきたからであろうか。それとも、全てを経験できず、どこかに未練を残してきたからだろうか。まあどうでもいい、どうせ日本につけばビールとカキフライで忘れてしまうのであろう。いつかまたこの地に足を踏み入れるのであろうからその時にふと思い出すだけでいいのだ。この経験は、意識的にせよ無意識的にせよ私を支え続けることだろう。
成田への飛行機に乗り込むとより自分の中の気持ちがはっきりしてくる。何かが足りない。長い時間、私をこのエコノミーの小さな空間に閉じ込めるのはいささか無理がある。この長時間が影響しているのだろうか。深夜の11時に出発したこの飛行機が成田に着くまでなんの変わり映えもない真っ暗な窓の外を見るも、より深くへと沈んでいく気持ちに気が付く。機内に持ち込んだテキーラはお土産用だし飲むわけにはいかないが、キャビンアテンダントを呼んで無料のアルコールを頼むにも流石に回数が多いといけない気がする。何かが足りない。パソコンの電源は数時間前にもうとっくに切れている。携帯電話に手を伸ばすと一週間前とは思えない思い出の数々が暗い機内で眩い光を放つ。
偉大なるラテンアメリカの地でスマホを盗まれたのは私にどのような影響を与えたのか。忍耐力?経験?スリの怖さ?どれでもない気がする。今になってみれば、携帯を盗まれたということは私の大きな旅の一つの物事でしかなく、特に大きいイベントではなかったのだ。様々なことが起きた。美しい思い出の数々。どの記憶も、スマホを盗まれたのと同様に美しい光を放ち、私の核となる部分を支えてくれている。ただそれだけでいいのだ。そのような機会をたくさんくれた、仲間と偉大なるラテンアメリカの地に感謝の念を抱く。
成田へと戻る方法は複数あれど、私が戻るべき道は一つしかなかった。メキシコー成田間のエアロメヒコAM0058便だ。アメリカを縦断しながら北太平洋を15時間でわたり、そして東洋へ私は戻る。普通の国に似つかわしくないフリークとして。 

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