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多様な街、ロンドンに住んでみて

「ロンドンとはいえば?」と聞かれると答えに困ってしまいます。
何故ならあまりにも色々な人が居て、色々な選択肢があるから。強いて一言で言うのであれば「多様性」と言う言葉がしっくりくるかもしれない。

「多様な街」に住むということ

「多様な街」と聞くと、どんなイメージを浮かべますか?
自由が認められる街?ピースフルでポジティブなイメージ?
選択肢が沢山あると言う意味では「自由」に過ごせる感じはあるかもしれません。しかし、実際そこに自分が存在するということは、自分も「多様性」を認めるということです。私はここに引っ越すまで、その意味を実感として分かっていなかったかもしれません。

ロンドンで出会ったびっくりな「多様性」

様々な人種、セクシュアリティ、年齢、職業、、ここまでは私の中で当たり前のように想像できていました。しかし、約1年間のロンドン住まいでは私の想像していた以上の、多様な世界がありました。

・夜な夜なドラッグパーティをする若者(壁を叩き、正気を失いながら夜通し泣いたり、叫んだりし続けるみたいなことになります)
・毎日のように公共スペースで喧嘩している人たち
・派手に喧嘩をして暴力沙汰で連行されるシェアハウスの住人
・仕事の打ち合わせ中にマリファナを普通に勧めてしまう務所上がりの女性
・中国共産党は何も問題がないと信じて疑わない中国人留学生
・神に向かって路上で大声で叫び続ける女性
・明らかに怪しいブランド香水を路上で売ってる人と、それに群がる人々
・ボロボロの車に金額と携帯番号を貼り付けてその辺で売っている人とそれを買っている人

どこかしこに存在する溝

ロンドンの街を歩いていると、色々な見えない隔たりのようなものを感じます。人種の偏りは一番わかりやすい例です。「多様な街」ではあるけれど、それが上手にミックスされているかは別問題。
「多様性を認める」ということは自分の人生においてあまり関わってこなかった「違う」立場や意見を尊重することです。全部は受け入れられなくても「そうか、そっちの方向性もあるのよねぇ」と体験するたびに、自分なりに咀嚼し、消化をする。「多様性を認め合う」ための取り組みは、ロンドンでもまだまだ現在進行で取り組んでいる課題なのだと感じます。

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