あなたと生きるということ。
まもなく、2022年にも別れを告げる時期ですが、今年は何度「激動の1年だな〜!」と呟いたことでしょう。
その激動の1年にも終わりがみえてきて、最後の1ヶ月くらいはゆっくりすごせるなぁ…と思っていたところ、数日前に実家の母から連絡がありました。
「Sばあちゃんが今朝、亡くなりました」
Sばあちゃんは伯母(母の長兄の妻)の母で、最近退院して自宅に戻ってきたばかりでした。
週明けに葬儀を行うとのことでしたが、わたしは遠方のため参加できず、次回の帰省時に手を合わせに伺うことに。
その日の夜、Sばあちゃんが亡くなったことがまだ信じられず、ぼうっと過ごしていると、帰ってきた夫が真っ青な顔をして言うのです。
「熊本のTばあちゃんが危篤だって」
えっ、と思わず声が出てしまいました。
Tばあちゃんは夫の母方の祖母で、今は熊本県で一人暮らしをされていました。
すぐ近くにお姉さん一家がいらっしゃり、いつも賑やかに過ごされていたそうです。
そんなTばあちゃんが……。
すごく元気だったのに、なぜ?
一人っ子の夫はものすごいおばあちゃん子で、傍目からみてもそれがよくわかるくらい、良い関係性を築いていました。
Tばあちゃんは、息子のこともすごく可愛がってくれていて、息子の写真を見るために、スマホアプリの使い方を勉強してくれていました。
奇しくも、夫は次の日から2日間の連休予定でした。
Tばあちゃんは危篤状態だけれども、今はがんばって命を保ってくれている。
これは、会いに行くしかない。
すでに深夜だったので、次の日、家族3人で新幹線に乗り、片道6時間かけて熊本へ向かったのでした。
その後、Tばあちゃんは夫の到着を待っていたかのように、夫が熊本に着いた数時間後に息を引き取りました。
そこからお通夜や葬儀がバタバタと過ぎていき、わたしは嫁ぎ先での初めてのお葬式、子連れでの初めてのお葬式に、親族の皆さんや斎場の方々に助けてもらいながら参列しました。
あまりにも突然の別れだったために、未だにTばあちゃんがもういないことが信じられないでいます。
先月には、友人Aの突然の死。
そして数日前、立て続けにふたりのおばあちゃんがいなくなってしまった。
こうも立て続けに親しい人との別れが続くと、生きている、ということのほうが特別なことなんじゃないかな?と感じます。
熊本にいた4日間はホテルに滞在していたのですが、滞在先のホテルで、夫と色々な話をしました。
夫の動揺や悲しみは計り知れないほどでしょうし、わたし自身も悲しみはもちろん、はじめての子連れ参列で戸惑うことも多くあり、滞在中には互いにぶつかってしまうこともありました。
ですが、そのぶつかり合いを話し合いで解決していくなかで、夫がこんなことを言いました。
「不毛な喧嘩は嫌だよ、もちろん。だけどさ、お互いに思ってることを相手に伝えるのはすごく大切なことなんだよ。そうやって夫婦の日々を作っていくんじゃないの?そして、命が終わるときに「ああ、幸せだったな」って思えるのがいちばんいいんじゃないの?」
その言葉を聞いて、わたしの目からぶわっと涙が流れました。
そうだよね、命の終わりは必ずやってくる。
そしてそのときは、夫婦は別々なんだよなって。
この先60年くらいは一緒にいられるかもしれないし、もしかしたらもっともっと短いかもしれない。
だけどそのときまで、この人と「ああ幸せだったな」って人生を作っていかなきゃな、と思いました。
この先息子が巣立ち、いつかはわからないけど夫との別れが来る。
家族でいられる時間は、思ったよりもすごく短い。
だからこそ、自分たちが家族を作れたということは、そんな人と巡り合えたということは、特別なことなんだ。
突然の別れは苦しく、辛い。
理不尽な想いをすることもある。
だけど、今自分には、夫と息子と生きることが許されている。
だからこの日々を、愛おしいひとたちを、もういちど抱きしめたいと思います。
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