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哲学とは苦痛に耐えること

今回も自分にできてないことを、自戒を込めて述べてみようと思うのですが、「哲学とは何か?」を考えた場合に「苦痛に耐えること」という要素が極めて大きいのではないかと思ったのです。

例えば古代ギリシアのソクラテスは、自ら毒杯を仰いで死刑になりましたが、それは彼の哲学的な判断だったわけです。

ソクラテスは不当な裁判に掛けられ、死刑判決を下され牢獄に囚われましたが、しかし友人の手引きにより国外に逃亡することも可能で、そのような「温情」が慣習的に含まれた判決だったのです。

ところがそれをしてしまうと自分の哲学が成り立たなくなるという理由によって、その不当な判決をあえて受け入れて死刑になっていくと、そういう苦痛に耐える道を選択したのです。

つまり自分の哲学を全うするために苦痛に耐えたこと自体が、それがソクラテスの哲学だと言えるのです。

(上記の動画を元に記事を書いております。アドリブのしゃべりをアレンジしてるので、その違いもお楽しみいただけます。記事は後半から有料(100円)ですが、YouTubeは全編無料で視聴できますので、応援していただけると大変に助かります。)

一方でソクラテスはなぜ死刑判決を受けたのかというと、当時のアテナイの知識人たちに「苦痛を強いた」のがその理由です。

つまりそれが「無知の知」なのですが、アテナイの「ソフィスト」と言われる知識人たちは「自分は頭が良くて何でも知っている」と自称し、多くの人もそれを認めていました。

ところがソクラテスがあれこれ質問すると、彼らは何も知らないし、大して頭も良くないことが判明してしまうのです。

そんな問答を各所で繰り返すうち、反感を買って裁判に掛けられるのですが、反感を買うということは、ソクラテスの問いかけが「苦痛」だったということで、その意味でも哲学とは苦痛であるのです。

そして他人に苦痛を強いるだけでなく、自ら苦痛を受け入れ死刑を受け入れると、それがソクラテスの哲学だったのです。

さらにいえば、ソクラテスは民主主義国家アテナイの市民でしたが、当時の民主主義は実質的には奴隷に支えられた貴族主義で、ですからソクラテスも労働から解放され哲学的思索に没頭できたのです。

しかし当時の貴族階級であるアテナイ市民は、戦争が起きた際は自ら武器を購入し、槍や盾を携えて、国家のために命を賭けて戦争に参加したのです。

そしてソクラテスもペロポネソス戦争などに、重装歩兵の一員として従軍しているのです。

そしてもちろん戦争に参加することは苦痛ですから、そのような苦痛に耐えたのも哲学者ソクラテスであったのです。

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そして同じく戦争に参加した哲学者にウィトゲンシュタインがおりますが、彼も第一次世界大戦に従軍し、戦場で『論理哲学論考』の元となるメモを書き溜めていったのです。

これについて、ノーマンマルコムというウィトゲンシュタインの友人による伝記に、実に興味深い記述があります。

ノーマン・マルコムは自ら従軍した際、ウィトゲンシュタインに戦場から手紙を送り、下記の返事をもらっています。

戦争が退屈だという点について、ひとこと言いたいことがある。

もし子どもが学校が全然面白くないと言ったら、誰でも学校で教わることがちゃんと分かるなら、学校はそんなつまらないところじゃないはずだ、と言うだろう。
失礼な事を言うようだが、この戦争の中に人間について学ぶことは山ほどあるように僕には感じられるのだが。
君が目を上げて観察すれば、まだ深く考えれば考えるだけ、見るもの聞くものからたくさんのものを引き出せるはずだ。

さらに後年、ヴィトゲンシュタインは戦争に参加しながら自分はは絶対に退屈しなかったと力説し、軍務勤務が嫌いではなかったと語っていたそうなのです。

そしてウィトゲンシュタインが従軍した第一次世界対戦は、機関銃という人間を効率的に殺戮するマシンが登場し、それまでの戦争に比べて格段に過酷だったのです。

その結果、お互いに塹壕を掘って膠着状態になるのですが、この塹壕の環境がまた非常に過酷なのです。

そのような、自分もいつ死ぬとも限らない極限的に過酷な状況の中から、「世界は成立している事柄の総体である」という書き出しの『論理哲学論考』ビジョンが立ち現れてくるのであり、そこにおいても「苦痛に耐えること」が哲学の中心にあると言えるのです。

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哲学者が体験した過酷な状況を記した本に、ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』があります。

哲学者であるヴィクトール・フランクルは第二次世界大戦中、ユダヤ人だということでドイツの強制収容所に収容されます。

そして人権も自由を奪われた、常に死と隣り合わせの理不尽で過酷な生活を強いられたヴィクトール・フランクルは、仲間のユダヤ人たちが日々命を落としていく中、自らの哲学的認識を支えとして苦痛に耐え、ついに終戦を迎えて生還します。

その苦痛に耐えること自体がヴィクトール・フランクルの哲学となり、『夜と霧』という名著を生み出したのです。

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