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好奇心と欲望の解放

2022年の私の抱負なのですが、タイトル通り「好奇心と欲望の解放」をしていこうと思うのです。

前回の記事で、人間とは様々なかたちで好奇心を押さえ付けられた存在である、と述べました。

だからこそ、そのことを自覚して、自分が苦手だったり興味が無かった分野に対し、積極的に好奇心を向けて、自分の可能性を広げていこうとあらためて思ったのです。

(上記の動画を元に記事を書いております。アドリブのしゃべりをアレンジしてるので、その違いもお楽しみいただけます。この記事は最後まで無料ですので、応援していただけると励みになります。)

前回の記事でも述べましたが、私は子供のころ学校の勉強が苦手で、自分は頭が悪いと思っていたのです。

自分が「頭が悪い」と言うことになると、勉強しても無駄なので勉強しなくなるし、本も読んでも分からないということで、読書もしなくなるのです。

でも大人になってしばらくして、本当は「自分は勉強が好きだった」ことがだんだん分かってきて、フロイトのレオナルド・ダ・ヴィンチ論を読んで、好奇心の抑圧についての問題を知り、自分も好奇心が抑圧されて育ってきたので、それを積極的に開放するんだと改めて思ったのです。

いやこれまでも、自力でちょっとずつ自分の好奇心を解放し、勉強への意欲を解放しそれなりに成果を上げてきたのですが、まだまだ不徹底な状態に過ぎませんでした。

不徹底だったと言うのは、これまでの自分は「純粋に知りたい」という欲望を解放してきたのですが、それだけでは今の世の中を生きて行くのは難しいのです。

端的に言えば「金にならない」と言うことですが、いや別に金にならなくとも純粋に学問的な追求をしている限りそれで満足ではあるのです。

しかし逆に言うと、それは「金が欲しい」とか「名誉が欲しい」と言った自分の欲望が阻害されているとも言えるのです。

ですから「金の為にウケを狙って作品を作ると質が落ちる」などと言う先入観が私の中にはあって、それは一面その通りなのですが、もう一面の真理はそうではないのです。

作品の質がどうこうよりも、私自身の「お金が欲しい」と言う欲望が、そしてお金に関連して「アーティストとしての地位や名声を高めたい」と言う欲望が、阻害され抑圧されていることの方が大問題なのです。

私は『考えるカメラ。と写真。』というYouTubeをやっていて、そちらは収益化を目指している割にはなかなか上手くいかないのですが、その中で勉強しながら試していったことがあったのです。

けれどもやはり、「大勢の人にウケるコンテンツを作りたい」という欲望が自分にはいまひとつ欠けていて、欲望そのものを自分の中にもっと積極的に喚起していかなければならないと、あらためて思ったのです。

当初は『ホビーチャンネル』の名前で、デジカメやレンズの新製品紹介をしていたのですが、『考えカメラ。と写真。』にタイトルを変えてからは写真史と美術史を融合する中で「写真」について解説すると言うような、NHK教育テレビ的な動画を何本かアップしているのです。

このシリーズは下準備の調べ物が大変でなかなかコンスタントに更新できないのですが、もちろん自分の興味に基づいて喋ってはいるものの、ある程度はみんなの為になって喜こんでもらてそうなことを喋ろうとしているのです。

そしてこのnoteの元になっている「暴走チャンネル」のようにアドリブでしゃべるのではなく、先に台本を用意しているのです。

具体的に言えば、『考えるカメラ。と写真。』という同名のnoteに記事を書き、それを見ながらしゃべっているのです。

実は私はアドリブで喋るのは得意でも、台本を見ながらしゃべるのが苦手で、実際にやってみて自分でも驚いたのですが、非常に苦痛だったのです。

しかし何度か繰り返すうちに慣れていって、今は割と楽な気持ちでしゃべれるようになってきたのですが、それはともかく、その台本を「みんなが喜びそうなこと」を意識して書くと、具体的な反応があるのです。

動画の再生数そのものは少ないのですが、YouTubeのコメント欄や、Facebookやtwitterで面白いとか、為になったなどの感想を寄せてくださる方が何人かおられるのです。

ですから、そのような好意的な反応が得られることを目的としたコンテンツ作りというか、YouTubeだけでなく写真をはじめとする作品制作においても、「世間から評価されたい」という欲望を自分の中に喚起することが必要で、そのためにはどうしたら良いのか?ということについての好奇心を働かせなければばならない、と思ったのです。

ですからこのnoteの元になっている「暴走チャンネル」は自分の知的好奇心の赴くままに暴走しながらしゃべっていて、それはそれでいいのですが、一方で自分の好みを抑制した「売れるチャンネル」との二本立てができないかとずっと考えてはいたのです。

しかしそれがなぜ成功していないのかと言えば、その方向に対する欲望と好奇心が、深いところで抑圧されていたのが原因ではないかと思うのです。

具体的に言えば「お金欲しい」とか「名誉が欲しい」とか「人気者になりたい」などの欲望に対し「そんなのは下らない」といった感情を持つことです。

そして「下らない」という感情を持つこと自体が、その欲望を自分で阻害し抑圧していることの証なのです。

これはもちろん逆の場合も考えられますが、多くの人は「芸術なんか下らない」とか「哲学なんか下らない」という感情を持っていて、それはそうしたことへの欲望を、人々が阻害し抑圧していることの証でもあるのです。

と言うようなことを、私は最新フロイトの本を読んで気付いたのでした。

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