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愛憎という名の深い溝

82歳一人暮らしの実チチ。ちょいちょい面倒を見て毎日生存確認コールをしている娘の私には、兄がいる。そう父には息子がいる。

父と兄は仲が決して良くない。昨年12月に亡くなった母が、間に入っていたものの、彼女曰く「もう限界。あの二人の間の深い溝は埋められない」そうで、たまに母に頼まれて間に入ったことのある私も、その深い溝は常々目の当たりにしていた。

溝の名前は愛憎だ。

母の葬儀の後、そもそも嫁に行った私がいつまでも間に入っていることはおかしいし、今までは母のために間に入っていたところがあるので、もう父と兄の間には入らないし、同じ苗字である二人で家のこと、家族のことは解決して欲しいと話した。

二人の答えは、今までのことはクリアにして、お互いに協力していくとのことだった。

しかし、だ。

その1週間後に父が骨折で入院し、兄と兄嫁がその世話を見ていて何週間か経過したあたりから、雲行きは怪しくなった。

母の葬儀までの1週間、片付けや手続きを私も入れてちゃんと協力しあっていた父と兄。今まで見たこともないような穏やかな空気が二人に流れていたし、最初は兄からこれをしただのアレをしただの報告が来ていた。それが途切れるようになり、しばらくして病院の父から電話で相談があると言われた。

兄の態度がおかしい、顔を見て話さないし、息子を車に待たせているからと週1度の病院訪問もさっさと済ませ、話もろくに聞いてもらえない。「何か会社で大変なことでも起きているんじゃないだろうか。大丈夫なのだろうか」と父は言う。本人に聞いてくれないかと。

もうあなたたちの間には入らないと言ったでしょと、最初は断った。しかし、再度頼まれて渋っていると「もう頼めるのはお前しかない」と言われた。

母にも何かと言われていたセリフだった。本当に悲しかった。またか、と。

そこで父から詳しく話を聞いた。病院からリハビリで練習しているレンタルの杖ではなく、My杖を買うように言われていて買ってくれないかと話したが一向に買ってもらえそうにないとか、退院の日取りを先生が迫っているが、それからの生活がどうしていいかわからないから日程をちゃんと相談したいが、その時間をもらえないとか、転院した時に着ていた服がないと話しても知らないの一点張りだとか、確かに、どうしてそんなことになっているのか、という話だった。

それとなく兄にLINEして様子を探る。最初は穏やかにしていたが、父のことを持ち出すとポロポロと本音が流れてきた。

母がいなくなってまだ浅いのに、次々といろんなことがあり、大変なのに、あいつは人のせいにするわ、わがままだわ、いちいち電話してくるわ、耐えられない。

とのことだった。父が心配していたと伝えても

そんなわけないだろう。ふざけんな。

と返ってきた。

父に対していったのかもしれないが、LINEしている相手は妹の私だ。妹に対してそんなこと言うような人ではないはずと思いたかったが、一度吹き出したものはもうとめどなく溢れ、その後は、何を言っても、父に対する悪口や暴言しか出てこなかった。しまいには、私にだけいい顔しているクソだとまで言った。

がっかりした。

嘘をつかれたのだ。これからはちゃんとやってゆきますとできない約束をされたのだ。

そのことを伝えると、私が憔悴しきっていたからあの時は言えなかった、と言われた。

これには、心底、がっかりした。

多分、母もがっかりする。私以上に。

正直言うと、と兄。自分も母を失ったショックもあり、父の面倒なんて見れる状態じゃないのだと。

じゃあ、誰が面倒見るんだろうか。独り身で入院している高齢者はもちろんいる。でも父には息子も娘も嫁もいるんじゃなかろうか。頭の中が疑問でいっぱいになっていく。

父となんとかやっていく気はもともとなく、母を失って憔悴しきっている妹の手前、嘘をついた。その嘘をつき通せず、面倒もなんとか済ませて今に至る。できてないことを言われたくない。感情論抜くと、そんなところだった。

私h怒りや悲しみやがっかりやいろんな感情が溢れて、先立った母にさえ怒りも感じた。数日間、眠れず、そうなったら徹底的にと寝ないで考えた。感情を除いて考えるしか道がないように思い、

そして、決めた。

兄には病院にはもう行かないでいいこと、とりあえず退院もその後の生活もこちらで世話をすること。できないことや協力してもらいたいことがあったら頼むから、とした。

兄に伝えると、そんなことになるとは思っていなかったのか、確認や念押しをされた。母を失ったショックもあり、父の面倒なんて見れる状態じゃないなら、休んでくださいな、と伝えた。

休みたいのは私だってそうだし、父だって、子供たちがそうなのはわかっていた。迷惑かけていると泣かれた。

杖を買ってくれと言われて、兄は怒っていたようだけど病院の売店では売ってないし、そもそも父は歩けないし、ネットでいいのを見繕って買うという能力もないのだから、頼むのは当たり前かと思われた。代金もすぐに父は払ってきた。何を誤解していたのだろうか、兄は「杖は買ってやらなくていいからね」と言い残していた。今も私がアマゾンでざっくりこれだろうと買った杖は父の一部になっている。

退院の日取りは1ヶ月経過して担当医も退院を迫ってきてい他のは事実だけど、その後の生活のめどを立てたいのと私が付き添って退院できる日を決めさせて欲しいと話したら、1週間半の猶予をいただけた。その間に、不在にしていた部屋を掃除し、切れている電球を替え、父ともその後の生活についてきちんと話し合った。

転院してきた時の服は、病院に問い合わせたがわからず、代わりの服を用意した。しかし程なく、入院ベットの横のテーブルの奥に小さなクローゼットがついていて、その中にあった。父が入れたわけでなく、看護師さんもしまっていないと言っていたところにちゃんと服はあったのだ。兄嫁が入れてくれていたのだと思う。それらは丁寧にきれいにかけてあった。兄が兄嫁に服のことを聞いていたら、すぐにわかったことなのではないだろうか。

こんな話は今に始まったことじゃない。父と兄の間にはずっと深い溝があり、兄は父を恨んでると口にしたこともあるし、父は兄のことをなんであんな奴なんだと言ったことがある。それぞれが相手に期待をして、その期待を裏切られて暴言を吐く、そんなことの繰り返しだ。

側から見たら「もうそんなこといいんじゃないの?」と過ぎ去った話と思う。本人たちはまるで何かの伝説を話すかのように、かつての相手がこうだった話をする。もうどうでもいいことばかりだ。今があって、今が幸せならどうだっていい、そんな種類の話だ。

母が亡くなり今までのことは謝ると全く頭を下げない父が謝った。ここで全部終わるのだと私は思っていた。

だけど、そこは愛憎なのだ。ちゃんちゃん、とは終わらなかった。

私は憎たらしいとか恨むとか、そう言う感情があるのは、そこに愛が絡んでいるのかもしれないと思う。本当は父も兄も、愛を求めているのかもしれない(なんて書くと気持ち悪いね!!)。相手にね、愛して欲しければ、こちらから愛すのです(あーこれもむちゃむちゃ気持ち悪い!!!)。

気持ち悪くなく平たく言えば、優しくして欲しければ、優しくしろってことで、兄も父もそう言うのがクソ苦手。まずは自分が先にやれよと思う。しかも二人はよく似ていて、同じように相手に期待しては裏切られてギャースカ言っている。

そして、今。母の言葉をつくづく噛み締めてしまう。

人に期待するな 自分に期待しろ 人には感謝するだけ

多分、長年、父と兄を見てきて思い続けていたことなんだろう。

言い方は悪いけど、私は父にも兄にも期待はしていない。彼らが元気でいてくれることに感謝するだけにしている。そして私は、彼らの間をとり持たず、自分でできることをやってそれで何か得たり感じたりできたらいいなと自分に期待している。

だけどね、本当は父と兄がうまくやってくれることには、ちょいちょい期待しちゃうんだな。

まだまだ鍛錬が足らないようで!


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