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生誕メセカを考えるー①メセカの存在意義

生誕メッセージカード、略して「生誕メセカ」
メンバーの誕生日をお祝いする言葉を書いたメッセージカードである。
生誕祭実行委員会が作成し、それをオタクに書いてもらっている。
握手会の会場で生誕委員が集めていたり、劇場に置いていたりして書いたことがある人も多いだろう。

そんな生誕メセカについて考える。今回はその第一弾。

生誕メセカはそもそもなんのために存在するのか?
それはもちろんメンバーの誕生日をお祝いするため、喜んでもらうためである。
あくまで一種の方法である生誕メセカだが現在ではほぼ全ての生誕祭実行委員会が採用している。
慣例のようなものとなっている。

①メセカのデザイン等を決める
②作成を依頼、もしくは自分たちで作成
③メセカを発注
④メセカ集め
⑤アルバムにまとめて贈る

これが一般的な流れであろう。

毎年必ずやってくる誕生日に合わせて毎年メセカを集めているのが現状だ。
NGTであれば一期生は5回目となる。

生誕メセカの存在意義はメンバーに喜んでもらうためと前述したが、何を基準に喜んでいると判断するのか。
それはオタク側からは計れない。
メンバーが「嬉しい」と言えばそう思うしかない。

それを踏まえた上で生誕メセカについては疑問に思う点がある。

握手会の会場などで「○○ちゃんの生誕メッセージカード書いてくれませんか?」とお願いされたことはないだろうか?
呼び掛けをしている生誕委員もいるし、知り合いに頼まれることもある。
そこで毎回困ること。
○○のこと詳しくないし書くことない。とりあえずお祝いの言葉書いておくか
そう、詳しくないメンバーに何を書けばいいのか困る。
そして在り来りな言葉を綴る。
これって意味あるのか?と疑問に思う。

オタクは詳しくないメンバーの誕生日を祝い、メンバーは知らないオタクに祝われる。
なんとも言えない雰囲気ではないだろうか?
生誕メセカは多いに越したことはないが数が全てではない。
自分も数は多い方がいいと思い込んでいた時期があったが、今では考えが違う。
数が多くても知らない人ばかりにお祝いされても、、、とならないだろうか?
結局は知っている人、知らないとしても気持ちのこもった言葉が綴ってあることが大切だと考える。

メンバーに喜んでもらうことが優先事項。
どうやったら喜んでもらえるか、何が最適なのかを考えずに「昔からやるのが当たり前だから」「他もやっているから」といぅたように惰性でメセカを集めているパターンが多いように感じる。
コロナ禍で従来の生誕メセカ運用ができていない今こそ新しいことを考えてみてはどうだろう?

生誕メセカを考える第二弾では現在の生誕メセカの問題点と解決策について書いている。
コロナ禍で従来の集め方ができない状況について考えた。


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