もうすぐ40歳になる。
随分生きてきたなあと思うと同時に
今までの人生を振り返ると
何かこうありたいけれどできないという囚われが自分の中にあったように思う
それは今もあるのかもしれないけれど
先日、腑に落ちたことがある
ここ数年かけて、オンラインで虹乃美希子先生の講座でシュタイナーのことを学んできた。
先月カルマ論リベランアーツアドバンスクラスが一区切りして思ったことは
今生、わたしの魂がやりにきたことは
偶然に起きたある境遇から抜け出て自由になってゆくこと
なのかもしれないと思った。
これまでの状況から、どうにもいかなくなり変化していくことしかり
やり方を変えて工夫していくことしかり
何か視座をかえ、物事の真の意味を知ること。
わたしは日本人には珍しいほどのクルクルモワモワ天パだ
そのことがずっとコンプレックスだった。
いつの頃か忘れたけど、
髪型は思うようなイメージがつくれないなら
わたしは自分の雰囲気や服装全体で思うイメージをつくろうと思った
そのことが天パコンプレックスから抜け出る視座を変えることになるとは
その時は思わなかったけど
今はこの髪質のおかげで、
誰かの弱さやコンプレックスが
同じようにわからなくとも
あるということが分かるようになった
どうにもまとまらない髪型をどう形作るかというお題から、センスが鍛えられたようにも思う
この天パだから味わえたことに対するひとつの感謝
今だってサラサラヘアに憧れるけど、もうどうにかしようとは思わない
こんな風に思えるようになるなんて、25年前は分からなかった
四苦八苦した記憶が、わたしに大きな感謝を与えてくれたように。きっと人生の酸いも甘いも何かその物事がもたらせてくれる大きな意味があるように感じている
わたしは人生の長い時間
親や夫
身近な人に舵を渡してしまっていた
そのことを真正面からみるのは
傷口に塩を塗るような痛みに感じるのだけど
きっとだから味わえることがあるはずだとも思う。
囚われから抜け出していくこと。
身近な植物をブレンドしてます
お香をつくることも
誰かの弱さに
何も聞かずとも
寄り添えるものが香りにはあるような気がしているから。
そう感じることを
今、この身体を持って表していきたい
毎週水曜更新と書いたからにはと思い、さっそく寝落ちしてしまったけど
夜中にこのことを振り返り
魂の見えない意図を
なにか、感じている
命はいつも、いつも、プロセスの中にいるみたいだ