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ランチブレイク"攻め"の2nd Full Album「この街って天国」で札幌音楽シーンに一石を投じる

「かたちにとらわれず自由でアグレッシブ、おしゃれなサウンドにコミカルさと哀愁を併せもつというイイトコ全部取りの音楽で、札幌にて脂ののったライブ活動を展開している。」

公式サイトより引用

そう自称するのは、札幌を拠点に活動をするバンド「ランチブレイク」である。そんな彼らが、2021年9月29日に2枚目となるフルアルバム「この街って天国」をリリースした。

前作「みんなで吉方旅行」より、名曲「吉報」を生み出したランチブレイク。人々を「じゅうたん職人」と例え、絨毯の模様のように作られていく日常生活を俯瞰しているような曲である。

彼らの楽曲の歌詞には、「おそらくこれは札幌が舞台だろう」と思わせる単語がたびたび登場していた。
前作の「吉報」で言えば、いかにも札幌で活動するバンドマンらしい視点の「タクシー見送るすすきののホステス」という歌詞。「おとなりのやさしさは雪の多い日に」という歌詞の背景には、おそらく北国で暮らす人にしかわからない日常が隠れている。

"札幌らしい"歌詞は、今作収録の楽曲も同様だ。
「city beast」には、ストレートに「サッポロ」という単語が歌われている。「おうちはどこ」に出てくる「KAGE」は、彼らをよく知るファンなら何を指すかがよくわかる単語だろう。
いかにも"札幌らしい"よく知るコアな固有名詞が歌われると、「地元民」である札幌のファンは嬉しくて仕方がない。勝手に「地元愛」のようなものが芽生え愛着が湧いてしまうのである。

冒頭でも紹介したように、彼らは「かたちにとらわれず自由でアグレッシブ、おしゃれなサウンドにコミカルさと哀愁を併せもつというイイトコ全部取りの音楽」を生むバンドだ。
今作は特に、国籍を持っているかのような楽曲が並んでおり、実にバラエティに富んでいる。

「city beast」を聴いて浮かぶのはスペインだろうか。かと思えば、アルバムのおへそにはブレイクタイムのトラックがあり、タイトルは「Taipei」とされている。「天堂」は、ど頭からヨナ抜き音階のメロディが始まり、いかにもアジアンテイストだ。
「テレホンカード」は、彼らが産まれていないであろう時代のJPOPの匂いがぷんぷんしており、日本のカルチャーの美味しい部分も忘れていない。
考えすぎかもしれないが、「おうちはどこ」には、インドネシアの男声合唱「ケチャ」だったりしてとも思ってしまうようなパートまであるのだ。
ここまでいくと、「イイトコ全部取りの音楽」と自称しどんな音楽も"ランチブレイクらしく"仕上げてしまう潜在的なスキルに驚いてしまう。

どんなテイストも"ランチブレイクらしく"してしまうのには、3人の歌い手がそれぞれの持ち味を存分に出し切っているところにも理由がある。

耳に心地よく、爽やかさや哀愁も乗せられる味のある歌声を持つ小松チホコ。「おうちはどこ」のAメロは、歌い出しとともに楽器の数をぐっと減らし、彼が持つ歌唱力の高さを際立たせる作りだ。「天堂」の、独特なビブラートが効いた唸るようなコーラスは、あの声を持つ彼だからこそできるものだろう。

存在感のあるストレートな歌声と、今作で楽曲ごとにニュアンスの違うラップを披露し、新しい引き出しを見せつけたクソトングいのうえ。彼のラップが「ランチブレイクらしさ」を成り立たせる重要な要素のひとつだと言える。

柔らかくもソウルフルにも歌え、2人の男性ヴォーカルに変幻自在に寄り添える歌声を持つmisaki。唯一女性の声で、男性陣の声の重なりに"柔らかさ"を足しているのは彼女だ。

ひとつのバンドに歌い手が3人もいるバンドはそう多くはない。
誰がメインに歌い、どこにラップを添え、どのようにコーラスワークを挟むか…。楽曲を作る上で悩みどころになりそうな部分だが、彼らはきっとそれを楽しんで楽曲制作をしているに違いない。

3人の歌い手それぞれがヴォーカルとしてもコーラスとしてもスキルが高い上に、ラップまで織り込んでしまう。そこまで魅力を出されたら、他のバンドは太刀打ちできない。自らの音楽を「イイトコ全部取りの音楽」と表現していたが、まさにその通りにしてしまうのだ。

そして、どんな曲調の楽曲もその世界観らしく叩いてしまう船橋"ロリス"孝太郎のドラミングも圧巻。「時間は種のように」には、もはやほかの楽器陣を野放しにして叩いているかのようなセクションがある。「パフォーマー」とはこのことだ。

ランチブレイクには、ステージでは姿こそ見せないものの楽器を通して"流暢に喋る"ハシモトケンゴというベーシストが居る。今作のアグレッシブさは彼のベースが要になっていそうだ。思うままに動き回る好奇心旺盛なベースラインが"ワクワク"を生み、楽曲を豊かに支えている。「時間は種のように」のイントロのフレーズには何か企みがあるようで、何度聴いてもぞくぞくしてしまう。

また、「ゴリゴリな」と形容したくなるほど骨太なベースラインを弾いているサポートの"女性"がいることを忘れてはいけない。音楽ジャンキーなすみれスミスの知識量と勉強量がベースラインから伝わってくるようである。前作よりも楽曲のテイストの幅が広がっているにもかかわらず、楽曲を陰ながら器用に支えているのは彼女のベースだ。

今作で彼らは"攻め"にかかっている。"攻め"ているのは、楽曲のテイストの幅だけではない。
今作に収録されている楽曲のヴォーカルラインは、ただただ"キャッチー"なのではなく、聴く人を説得しにかかってくるようなメロディが多い。「時間は種のように」のサビは、強力なコーラスワークも相まって聴く人の頭から離れさせない。「訴えている」と例えても良いような印象的なメロディラインだ。

歌詞とコード進行の紐付け方も秀逸である。特に「もう2021」だ。
かつて彼らはラジオ番組内で、自身の結成当初を「まだ泥水をすすってた頃」と振り返っていたことがある。それを踏まえて注目したいのはAメロの歌詞だ。

2014 年はそうだな... 案山子のようにさ... 
立ち尽くしては 泣いて笑って見せた 
2015 年もそうだな... いつものようにさ... 
怠惰とアルコールだけが 海へと消えた

2015年は、クソトングいのうえと小松チホコによって活動が本格的に開始された年である。「もう2021」はその頃を思い返している楽曲なのではないか。

サビに至るまでに、トニックコードやルートに落ち着くメロディラインが頻繁に登場している。トニックコードとは、安定感を強くさせる役割を持つコードのこと。トニックコードに乗せるのは、曲の主人公が実際に体験した出来事を思い返す「事実」を歌う部分だからであろうか。

しかしサビは違う。
トニックコードからサビが始まったかと思いきや、首をもたげ背筋がしゃんとしない印象のコードが並ぶ。トニックコードが登場してもそこに終着し安定することはない。
そんなコード進行に乗っているのは次の歌詞だ。

愛することが孤独だけだとしても 
それでいいならいいと思うんだよ 
絶え間ない努力が無駄だとしても 
それでいいならいいと思う 
思ってるけど...

「Aだ」と言い切らず、「Aだと思う」という不確かな表現が使われている。道に迷いながら低空飛行しているかのようなコード進行とリンクしている。
「安定」のコードに落ち着くことなく、ころころとコードが変わり曲は進んでいく。迷いが表れた感情がずんずんと押し寄せてくるサビになっているのだ。
そして歌詞は「思ってるけど…」と迷いが残ったまま間奏に突入する。

間奏は、安定の意味を持つトニックコードと同じ成分の代理コードが使われる。主人公の感情が「安定」に向かっているように感じさせるコード進行である。
しかし、本来トニックコードが登場する部分でひらけたコードにスケールアウト。楽曲自体がふわっと浮遊するような瞬間がある。
「私はAと思うことにしたのだ」と開き直ったような印象に聴こえるコード進行だ。

この歌詞を乗せた一連の流れのためだけに考えられたコード進行になっていると私は感じる。この曲のコード進行は誰が考え、なぜそのコード進行にしたのか。そのコード進行にどんな意味を持たせているのか。五線譜を突きつけ今すぐ彼らに駆け寄り問いたい。

曲順もまた、ここ以外にないという場所に位置している。2枚目のフルアルバムの、ラストから2曲目の位置に入ってこその楽曲であると私は思う。ここまで「エモい」を計算しているとは、いったい彼らは何者か。「イイトコ全部取りの音楽」の表現が過ぎている。

ほかにも、それぞれの楽曲に詰まっているものを細かく分解して説明したいぐらいだが、これ以上私が説明しても面白くはない。

つまるところ、はやくこのアルバムを聴いてほしいのだ。
彼らの音楽がどれだけ美味しく作られているかが分かり、たちまち彼らに惹かれてしまうに違いない。

今作が、札幌の音楽シーンに大きな刺激をもたらしてくれることを強く願う。

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