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肉体を思ふ

普段、人は、じぶんの肉体をどのように感じながら生きているのだろう。
そんなふわふわっとした疑問が浮かんでくると、
視界に映る人やモノはつぶさに消え、
さっきまで露ほどにも思わなかった身体の輪郭が、
急に立体感を伴って浮かび上がってくる。

物質の世界で個人的領域を示す
そのボーダーラインをそっと撫でてみれば、
なんだかふたつの世界にまたがった気になってどきどきしてみたり。
この高鳴りはどこかからやってくるものでなく、
この身体が起こしているんだけれど。

肉体に対する興味はこどもの頃から尽きなく、
エピソードは日常のなかにいつもあふれているのだけど、
そんなこんなのなかから、最近体に対してあらためて覚えた不思議と
ささやかな感動をすこし記してみたいな、と思った。

まず一つめは瞑想をしているとき。
わたしの瞑想はごく短く、
ちょっと思考休めたい、空っぽを感じたい時にやるのがほとんどで、
長くても10分くらいが常。
それでも目を閉じれば
「座禅を組んで呼吸に集中」までいかなくても、
意識が勝手に身体をスキャンして、
身体は奥行を示しながら浮上してくる。

何回か長めの瞑想を行なった時は不思議な体験をしたけど
(そのうちのひとつは今日のテーマと外れるから置いておくとして)
たいがい進行とともに、その感じていた境界はなくなって、
自分が外側と思っている世界の一部と一体化していく。
これがまた説明の難しい感覚で、
溶ける/融合するといったら近い気がするよ個人的には。
脳によってもたらされる現象なのかな、
そうであっても、わたし個人としては、
肉体って物質であって、物質でもない部分もある気がする。
その見解は、つぎの二つめのエピソードにも続いていく。

二つめは、先日彼に会ったとき。
わたしは、一緒に歩きながら彼の手や腕を
マッサージするように無意識で揉むことが多く、
また、エスカレーターで前後に立った際も、
相手の肩や胴を押したり揉んだりと勝手に指先が動いてしまう。
マッサージまでしなくてもどこか一点、触れていたり。
でも、ベタベタするとかそういうのとは違う。
なんというか、あの、猫がとなりに来て、
なぜか片足だけちょっと、わたしたちの方へ置いてみました、
みたいな感じに近い気もする。
ありませんか、そんなこと?

そうやって触れていると、
じぶんの皮膚が彼のことをとても好きなんだなーって、
なんだか他人ごとのように、意識の中にふわーっと入ってくるんですね。

彼のどこが好きか問われれば、
性格、容姿、センスなど、いろいろ挙げることはできますが、
正直、そのどれも正解であって、
でも腹からしっくりくる回答ではないというか。

でも「皮膚感覚で好き」と言うと、
そうだなーと思える不思議。
それは(性的な意味というのではなく)
よく言う「肌が合う」とか、
あとはひとつめのと近い意味合いで、
肉体は意識って観点と相似している気がする。
または魂のような部分でそう思うとも言えるのかと。
分かっているようで捕らえられないもっと深いところ。

肉体はとても不思議で、そこそこ自分を長くやっているけど、
最近気づいた発見があったり、
変化もするし、共に成長もする。
からだ全体がアンテナのような役割を果たす時もあり、
「自分と他者」という境界を明確に意識する時もあれば、
自然の一部でもあるように思えたり、
ことばのように思い、わたしを代弁してくれるときもある。
全身でじぶんなんだなーって。

最期の最期の瞬間までいっしょに居られるのは他の誰でもない、
この身体なんだよな、と、
そう思うと、じぶんの体はじぶんにとって宝だし、
これからもこの身体をとおして、
いろんなこと感じたいなって思うもっともっと。

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