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↑これに登る娘を見て思ったこと


スマホの買い替えに伴って、旧スマホに保存していた画像をパソコンに移した。 

作業中、パソコンの画面に表示される画像の一覧を見て苦笑する。娘、娘、娘。
2000枚弱の画像中、ほぼ、9割くらい、娘。 


撮りすぎじゃね?


と自分につっこみつつ、娘の新生児期すなわち宇宙人だった頃からの時間を振り返りながら、ああ、そういえばそうだったなぁと、しばし懐かしさに浸った。  


たとえば、おしり歩き。 
1歳の頃、まだひとり歩きができなかった娘の移動手段は、おしり歩きだった。  

手を床につけて、よいしょ、よいしょ、とひと尻ひと尻、前進する。 

そんな娘も今年で3歳、いまでは両足を使ってあちこち駆け回る。 

相変わらず好奇心の塊で、自分の欲望のままに生きるこの人に、私はいつもハラハラさせられてばかりだ。



先日、買い物の帰りに公園に寄ったときも。

いつもは遊具にまったく興味を示さない娘が、めずらしくすべり台の方へ猛ダッシュした。
初めて行く公園だったからだろうか。 

そして何度かすべり台を楽しんだ後、その向かい側にある、半円状の雲梯のような遊具に興味を示した。

画像1


太鼓梯子(たいこはしご)というらしい。 

もちろん娘は登る気満々だったのだけど、この日も例の如くソフィアの長靴を装備している約90cmの娘と、娘の身長よりもずいぶん高い弧を描く太鼓梯子を見比べて、私は思わず制止した。 


「トトちゃん、これ、あぶないよぉ。トトちゃんにはまだ早いんじゃないかなぁ。しかも長ぐ……」   

「やだ! やるの!」  


「つ……」


画像2



ということで、娘の腰付近を支えて(けれども実際には触れるか触れないかくらいのところに手を置いて)後ろから見守ることにした。  

娘は、しっかりとバランスをとりながら、一歩一歩確実に、上へと登っていく。 

そして、その姿を見て私は、 

「ああ、あのおしり歩きしていた子がこんなに成長しちゃって……すごいなぁ」 

としみじみ。

している余裕はなく。 

一応、周りから変な目で見られるのは避けたいから冷静を装ってはいたけれど、 

内心、

画像2



こんなかんじだった。かなり控えめに言って、下手したらちびるレベル。

娘の小さな腕や足が動く度にぞわぞわする。
せめて運動に不向きすぎる長靴じゃなくてさあ……。

「いままで登ったことない遊具だしぃ、長靴動きにくいからぁ、スニーカーのときにまた挑戦してみよっ!」 

なんて考えはないんだね。
理性で動く、2歳児。 

そんなことを考えながら、万一の場合にどうキャッチするかイメージトレーニングしていたけれど、

そんな私の心配をよそに、娘はあっというまに頂上の手前まで到達したのだった。

そして、これ以上先に進むのは厳しそうだと判断したのか、そこで初めて「ママ、おりたい」と私に助けを求めた。


ソッコー救出した。 


「すごいね、トトちゃん! こんなに登れるようになったんだねぇ、ママびっくりだよ」 

と言う私に見せた、娘の得意げな顔! 

私はこの、達成感に満ちた娘の表情が大好きなのだけど、「もういっかい!」と言われたときには、いやまじで寿命縮む心臓持たない勘弁してお願い神様トト様仏様と思った。 

けれどもまた私の心配をよそに梯子をすいすいと登る娘の姿は、まちがいなく私が思う以上に成長していた。 



その日の夜。 

なんだか最初から「できない」と決めつけて、娘に失礼なことをしてしまったなぁとひとり反省した。

いつから私は、挑戦する前から、「できない」と言うようになったのだろう。 

いつから私は、挑戦する前から、「できない」と言うための理由を探すようになったのだろう。  

結局、なんでも自分で体験しなければそれは「経験」と呼べないし、やってみて初めて、成功も失敗も、自分の力量も、じゃあ次はこうしようってのもわかるのに。 



この「太鼓梯子を登りたい」が、そのうち、

「ひとりでお料理したい」
「ひとりでお留守番したい」
「ひとりでおつかい行きたい」
「こういう仕事をしたい」
「自転車で日本一周行きたい」
「海外へ行きたい」になるのだろうか。

目標がなんであれ、私は、「うん、やってみたら」と、娘の背中を押せる存在でいたい。
意欲を削ぐようなことだけは、したくない。 

そして「まじで気をつけてよぉ〜〜」とヒヤヒヤしながら見守りたいな。私が娘のためにできることって、きっとそのくらいだから。



お読みいただきありがとうございました。

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