十月はたそがれの国
○月○日
松尾スズキ作・演出、大人計画公演「業音」(東京芸術劇場 シアターイースト)を観た。
再演だが(残念ながら)初演は観ていない。ただ、初演の台本は、昔の「ユリイカ」松尾スズキ特集号に載っている。読んでいる。ファンなのである。
松尾スズキさんの芝居は、ここ数年、ほとんど観ている。
東京芸術劇場の、今回は、シアターイースト。小さいほうの劇場である。
「業音」というタイトルのとおり、人間の業をテーマに、負の連鎖が、轟音で、あるいは、ゴーンと鳴り響く。
薄気味悪さと、気持悪さと、グロテスクと、狂気と、不条理と、ブラックな笑いが舞台に満ちている。
ある意味、わけのわからない話だが、物語は、明晰に、すっと頭に入ってくる。
イメージも鮮明である。
妻くんは客席に、「二階堂ふみがいた」といっていたが、本当だろうか。
劇場で売っている松尾スズキさんの「東京の夫婦」のサイン本を買って帰った。
この本、まだ途中だが、面白い。
○月○日
「ベルギー 奇想の系譜」(@渋谷Bunkamura ミュージアム)に行った。
ボス、マグリット、ヤン・ファーブルまで、つまり中世から現代までの奇想をたどる展覧会である。
小説を書くというのは、妄想する、奇想を考える、という作業なので、展覧会のテーマにも興味を惹かれるが、まあ要するにボスのファンなので、ボスの絵を観に行ったようなものなのである。
とはいうものの、ボスそのものの絵はなく、ボス工房、ボスの模倣者、追従者が描いた絵が並んでいた。
まあ、それでもいい。私は、マドリッドのプラド美術館で、ボス「快楽の園」の本物を観ているのだ。それを思い出すネタでいいのだ。
私の好きなポール・デルヴォ―、アンソールなどの絵もかかっていた。
○月○日
大学時代、友人と英文学の教授の家に遊びにいった。最初のきっかけは思い出せない。授業が終わったあとで、文学の話をしたりしているうちに、そういう話になったのだ。
数年前、この教授は、定年退職をしたが、関係はいまだにつづいている。そのときの友人を誘って家に遊びに行く。
最初に教授の家に遊びに行ったとき、トイレに岡本綺堂「修善寺物語」が置いてあった。半年後、遊びに行ったときにも同じ場所に「修善寺物語」が置いてあった。
その次に行ったときは、なくなっていた。
読み終わったのだろうか。三十年が過ぎているのに、ふと、思い出す。気になる。
教授の家は、久我山にある。駅の近くで、大きな家である。庭には菜園がある。昔は、バスケットボールのゴールのポールあった。
当時、自宅の庭にそんなものが立っている家というのは、初めてだったので、私は驚いた。
教授は、猟銃や囲碁、自転車などの軽妙なエッセイを書き、世間的にも人気である。相変わらず飄飄としていた。奥さんは不在だった。
持ってきた著書と先生の顔写真が掲載されている雑誌にサインをいただき、しばらくお話をした。
○月○日
昔、レイ・ブラッドベリの小説が好きだった。「十月はたそがれの国」。書棚を捜したが、見つからなかった。
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