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「教科書の詩をよみかえす」 辻征夫「落日」

 ある時期から、国語に載っている小説や詩が気になるようになった。不思議なものである。高校、中学の頃は「どんなにいい作品であっても、授業で読まされるものは、ただそれだけで読む人間の積極性が失われるので、面白く思えなくなる」と理屈を言っていたのに。
 大人になって、読書を強制されなくなったのにもかかわらず、私は小説を読んできた。好き勝手に、自分の好みのままに。そうなってから数十年たって、高校、中学時代の読書体験が気になるとは。
 変な話だが、私は小説を読むのが生活の一部になっているが(うすうす気が付いていたことだが)大半の人はそうではないのである。
 「推し、燃ゆ」がどれほどベストセラーになろうと、それは読書の世界の住人の話であって、少なくとも私のまわりの大人は、誰一人読んでいない。
 ということは(ざっくりした言い方になるが)大半の人は、中学、高校の教科書で小説を読む行為が終わるのである。
 そう思い始めて、あらためて思い出してみると、いい作品が多い。毒気がある作家の作品では、やはり健全な作品が選ばれる傾向があるにしても。もったいない。依怙地だった自分を、私は非常に反省している。

 文科省は、国語から文学を排除する方針だという。とするならば、これからの中学生、高校生は、夏目漱石や芥川龍之介、宮沢賢治を読むことなく、スルーして、大人になっていくことになる。由々しき事態ではないか。
 文学は、最も美しい日本語の形態である。
 言葉は、意味を伝えるだけではない。言葉が持つ豊かさも教えてくれるのだ。
 「教科書に載った小説」と銘打たれた本をいくつか読んだ。川崎洋「教科書の詩をよみかえす」も、そういう一冊である。
 川崎洋さんは高名な詩人であり、私も好きな詩人。
 いまの(といっても、この本は、2011年の出版だが)国語の教科書には、三好達治や萩原朔太郎等の文学史上の詩作品ばかりではなく、大岡信さんや伊藤比呂美さん、青木はるみさんまで載っているようだ。
 その中で、私は辻征夫さんという詩人が好きで、この「落日」も大好きである。

「落日」 辻征夫

夕日
沈みそうね
………
賭けようか
おれはあれが沈みきるまで
息をとめていられる
いいわよ息なんかとめなくても
むかしはもっとすてきなこと
いったわ
どんな?
あの夕日の沈むあたりは
どんな街だろう
かんがえてごらん
行ってふたりして
住むたのしさを…
忘れたな
どんな街だったの
行ってみたんでしょ
ひとりで
ふつうの街さ
運河があって
長い塀があって
古びた居酒屋があった
そこでお酒のんでたのね
のんでたら
二階からあの男が
降りてきたんだ
だれ?
黒い外套の
おれの夢さ
おれはおもわず匕首を抜いて
叫んじゃった
船長 おれだ 忘れたかい?
ほんと?
ほんとさ
………
沈みそうね
夕日

どうです、いい詩でしょう?
言葉の持つ豊かさを教えてくれる。

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