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考えかたを変えれば、彼女の小学生時代の思い出を3,000円で買い戻せるのだ

 以前にかかわった劇団のことを書いていて、思い出したことがある。下北沢という土地についてである。

 かつて下北沢は、私にとって、親しい街だった。
 かつてというのは、二十年以上も前のことだ。一週間に一回、多いときは、二回、小劇場の芝居を観るために通っていたのである。
 そのときの自分の状態を思い出すと、まるで恋の病のようだった。私は、演劇に恋をしていたのだ。
 時代の流れもあったのだろうと思う。わりと(信頼が置けると思っていた)硬派なジャーナリズムが小劇場ブーム、いま、芝居がいちばん面白い、と書き立て、あおっていた。そして、実際に観ると、たしかに面白い。
 当時人気だった劇団は、すべてではないが、すでに解散している。
 ただ、作・演出をしていた人たちは、第一線で、いまでも素晴らしい舞台を作り上げている。
 そういうひとたちの舞台をいまでも観にいくが、それは小劇場ではなく、大劇場である。
 有名女優や男優を使い、チケット代も高い。
 スズナリ(230席)で、隣のお客さんと肩が触れ合うくらいにして座り、舞台をじっと見つめる。その芝居が好きだというお客さんの熱意と想いが、客席には、充満していた。
 そこには、大きな劇場で、ゆったりとしたイスで観劇するのとは、別種の親密感があった。
 おそらく、いまも昔も、舞台を作る、作り手の思いは変わらない。変っていないと思う。
 それは、観ていると、つたわってくる。
 だから、それは、なんだろう、空間の大小の問題、舞台との、あるいは役者との物理的な距離感の問題なのだろう。
 いずれにしろ、恋はいつか終わり、平常心が戻ってくる。
 その要因は、舞台にはない。自分自身にある。
二十代後半になり、やがて三十代になり、三十代も後半になる。仕事に比重がかかり、自分がしたいことではなく、自分がしなければならないことが最優先になる。
 つまり、外的な予定によって週末が埋められ、舞台を観にいく時間が思うように取れなくなるのだ。
 いまは、年間に数回、舞台を観にいく程度の浅い演劇ファンである。
 舞台を観ると、水野晴夫にとっての映画ではないが、舞台ってやっぱりいいな、と思う。

 さて、一年ほど前になるが、久しぶりに下北沢、本多劇場に行った。
 第三舞台のころ、ファンだった鴻上尚史さんの「ベター・ハーフ」を観るためである。
 「ベター・ハーフ」のテーマは恋愛。さらにいえば、ひたすら恋愛である。
 第三舞台時代、頻繁にあらわれた「ここではないどこか」を希求するようなところはない。
 ただ、そこは鴻上さん。男女の恋愛に性同一障害者(トランスジェンダー)をすべりこませる。
 大掛かりな舞台セットはなく、ジグゾーパズルが壁に投射されている。プロジェクションマッピングの技法によってそのジグゾーパズルがシーンごとに変り、みごとに決まっている。
 出演は、風間俊介、片桐仁、、松井玲奈、そして中村中。

 舞台を観る前に、時間があったので、下北沢の街を妻くんと歩いた。
 街中のお店で、私が永年、親しく使っていたお店は「ぶーふーうー」である。この店も、数年前に、閉店してしまった。
 ディスクユニオンを覗き、中古CDを数枚買い、その周辺にある古本屋に寄った。
 「これ、私が小学生のころ、大好きだった本」といって、妻くんが持ってきた。瀬尾七重文、牧村慶子絵「銀の糸あみもの店」である。
 「絶版になっているみたいで、その後、見たことがない」
 そういう事情もあるのか、3,000円だった。定価の3倍以上である。
 でも、考えかたを変えれば、彼女の小学生時代の思い出を3,000円で買い戻せるのだ。購入することにした。

 下北沢は、今後も、きっと、二十年以上前のように、親しい街にはならないだろうが、たまに会う、かつての友人のような関係で、つながっていくのだろう、と思う。


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