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いささか長いあとがき 奇妙なものだ。どうでもいいようなことが気にかかる。

 私の新刊「妻くんといっしょ」が本日、amazonにて発売日されました。

 「妻くんといっしょ」とは、どういう趣旨の本なのか、本書収録の「いささか長いあとがき」に記載されていますので、ここに転載いたします。参考にどうぞ。
 タイトルのとおり、いささか長いです(💦)

 どうぞ、よろしくお願いいたします。

              *

 いささか長いあとがき

 この本は、大きく二つのパートに分かれている。「小説といっしょ」は郵便小説やメディアプラットフォーム、noteに発表した小説を集めている。 「妻くんといっしょ」もまたnoteに発表した妻くんが出てくる文章を集め、さらに未発表の新作も収録している。
「妻くんといっしょ」の文章は、私が恣意的に文章にテーマをつけ、自分の思いを投影している。また、私の記憶違いもあるだろうし、デフォルメもある。まったくの客観などありえない。こうやって並べるとまるでコントのようである。記事を書くたびに、本人も「こんなことをいっていない」「これは私ではない」とぶーぶーいっている。
 これらのエッセイは、事実50パーセント、フィクション(作者の思い込み)50パーセントぐらいの塩梅で、書かれているという気持ちで読んでいただければうれしいと思う。
 話はずれるが、ネットの記事はたいてい横書きである。それをそのまま縦書きに移すと、とても不自然な印象の文章になることに気がついた。個人的な見解だが、言葉が浮いているように感じて、紙に定着していかないような気がするのだ。
 すべての作品に大幅に加筆・修正を施した。

 ある日、その若者は、忽然と職場の私の机の前にやってきた。
「小説を書いていると聞いて気になっていたんです。僕も小説、書いているんです」
 髪の毛を短くした、背が高い若者である。ちょっと歌人の枡野浩一さんに似ている。二十代半ば過ぎだろう。
「バイトの人?」と私は尋ねた。
「そうです」
 私はかれを知らなかった。
 一口に職場といっても、そこで働く人間の数は多い。それぞれ独立した課があって、動いている。正職員、非常勤職員、派遣職員、業務委託などたくさんの人間が勤務している。所属している課が違うと、顔を知らないことなどざらである。
「**課長から聞きました」
 とSくんはいった。
 **課長には、私が出した本を渡している。
「ああ、なるほど」
 私はいった。
「好きな作家は?」
「村上春樹」
 Sくんは迷わずに返事をした。
「今度、読んでくださいよ」
「もちろん」
 それで、その日の会話は終わった。

 後日、Sくんから紙の束を渡された。パソコンで、プリントアウトされた小説だった。タイトルは「ストレイシープ」。四百字詰め原稿用紙で、二百五十枚くらいになるだろうか。長編である。そのタイトルを見て、夏目漱石「三四郎」を思い出した。
 村上春樹が好きだというその言葉のとおり(比喩は多用しないが)手つきのいい文章だった。文章だけで充分に読ませることができる。好きになった女が実は父親の愛人だったというストーリーである。
 この小説の最後は傷心の主人公が風俗店に入る。そこで風俗嬢になった幼馴染みの同級生と出会い、おたがい心を開き、つきあい始める。小説の終わりをハッピーエンドにしたくてそういうシーンをはめ込んだのだろうが、私にはどこか類型的な気がした。
「きみの小説は文章だけで読ませられるので、余計なストーリーはいらないのではないかと思う」
 と私は本人に伝えた。

 Sくんの次の小説のタイトルは「ピポット」だった。いいタイトルである。ピポットとはバスケットボールの用語で、「ボールを持った選手が片足を軸にし、もう一方の足を動かしてからだの向きを変えたりすること」だ。
「高校時代、バスケをやっていたのです」
 Sくんはいった。
 原稿は返してしまったので、記憶だけで書いているが、主人公の男の子がマザコン気味で父親には、愛人がいるという設定の小説だった。文章は相変わらずいい。またもや父親に愛人がいる設定になっているので、気になってSくんに聞いてみた。とくにかれの実生活に基づいているわけではないようだった。

 三作目も読んだ。これはタイトルも覚えていない。大学を卒業した主人公が就職する。その職場に幼馴染みの女の子がいて、恋人のような関係になる、という話だったと思う。小道具として、音楽やバーが出てきたのが新機軸だったが、書くことがないのに無理矢理書いているような印象だった。そういうことは、何となく読者に伝わるものだ。
 Sくんに会ったとき、次作について尋ねた。
「最新作は四百字詰め原稿用紙に五百枚以上になります」
「純文学の新人賞に応募できる枚数を大幅に超過している。書いても発表できる媒体がないと思うよ」
 私はいった。
「知り合いの先生に読んでもらうつもりです」
 その先生が出版社を紹介してくれるのだろうか。でも、私は、それ以上、追求しなかった。その先のことは私には関係がない。私としてはSくんの小説を読み、コメントを出すだけだ。

 ここまでで、Sくんに声をかけられてからおよそ三年が経過している。
「ストレイシープ」は、群像新人文学賞の一次を通過したとSくんから報告があった。それ以外の作品の結果は聞いたことがない。

 Sくんの思い出は小説以外にもある。

 その頃、私はヨーロッパを旅行した。イタリアの書店で、イタリア語訳の村上春樹の短編集「めくらやなぎと眠る女」を見つけた。もちろん、私はイタリア語など読めないし、それはSくんも同様だろう。でもイタリア語の村上春樹の本は珍しい。日本ではなかなか入手できないだろう。日本円で二千円程度。Sくんへのおみやげとして購入した。
 Sくんの課に出向いて、イタリア語訳の村上春樹の本を渡した。Sくんは笑顔になって、よろこんでいるようだった。

 Sくんとは課が違うこともあって、ほとんど会わなかった。たまにタイムカードのところで、Sくんの姿を見かけることがあった。
 最初に会ったときは、ワイシャツにズボンという普通の恰好だったが、すこしずつ変わり始め、三年後にはサイケデリックな模様のパンツに派手なシャツ、黒い帽子をかぶっていた。どう見てもまっとうな人間には見えない。世間一般が考えている奔放な芸術家のイメージ、いわゆるアーティストのイメージである。
 アーティスト関係の職業についている人間ならば、それでいい。が、Sくんはいまのところ、そうではない。このままでは就職ができなくなるなと私は思った。年齢も三十歳近くになっているはずだ。おれは作家だという自負がSくんにそういう服装のセンスを選ばせているのかもしれなかったが、とりあえず就職して、生活を安定させたほうがいいのではないか、と私は考えるほうだった。
 私の出身大学はいわゆる「日芸」であり、有名な芸能人、カメラマンなどを輩出している。私の同期には就職しない友人が多くいた。その友人たちが現在、どうなっているかというと、実際にプロの作家として名を成した人間は皆無だった。バンドをやって、ミュージシャンをめざしている者たちもいたが、ミュージシャンとして喰えているという話は聞かない。私が知る限り、全員がアルバイト生活である。アルバイトでも食べてはいける世の中ではある。でも、わざわざ狭き道を選ぶことはないのではないか。

 一度、Sくんにネット上で小説を発表することについて尋ねたことがある。
「ネットに発表するなんて、考えたこともありません。昔、ミクシィで日記を書いていたことはありますが、それくらいです。僕は新人賞をとって、プロの作家になります」
 そのような趣旨のことをいった。Sくんの強い自負を感じた。

 Sくんの五百枚以上の小説は読んでいない。読ませてもらう前に人事異動があり、私がその職場からいなくなってしまったからである。

 数年後、雑談のなかで、**課長からSくんがバイトを辞めたと聞いた。詳しい事情は知らない。
 何らかのトラブルがあったようだ。

 私がその職場を去る日、Sくんにプレゼントしたイタリア語訳の村上春樹の本を何となく思い出した。奇妙なものだ。新しい異動先のことをあれこれ考えなければならないときなのに、どうでもいいようなことが気にかかる。
いつの日か、文芸誌の新人賞の受賞者にSくんの名前を発見できる日を願っている。

 私は、年がら年中SNSのチェックをしている。SNSをのぞかない日はない。依存しているといってもいいくらいだ。SNSといっても、種類がたくさんある。noteもその一つである。愛読している執筆者がいる。更新しているかどうか、わくわくして確認しにいく。
 そういう人と、note上でのコメントのやりとりはある。だが、もちろん、リアルでは会ったことがない。顔も知らない。一方的に勝手に共感している。友情を感じている。
 そんなある日のことだった。いつものようにページを見にいくと、突如こんな表示が出た。

 「ご指定のページが見当たりません」

 あっと息を呑む。
 もちろん、noteのクリエイターが自分の記事をすべて削除するとき、読者に事前にその旨の挨拶をしなければならないルールはないし、マナーもない。義理もない。ずっと書いてきて、過去に多くの記事の蓄積があるひとが削除するのだ。それ相応の理由があり、そして覚悟もあったのだろうと推察できる。
 理由を知り得ない一読者としては、突然の別れに言葉を失うばかりだ。
 ただそれは、私のなかで、小さな死に似ている。

 最後に、巻末に収録されている橘鶫さんの「鳥描きから小説家・緒真坂氏への一方的な書簡」について書いておきたい。橘鶫さんのnoteの記事やTwitter、インスタグラムの投稿をいつも楽しみに愛読している。しかしながら、実際の面識はない。今回、連絡を取って巻末に収録させていただいた。快くお受けくださった橘鶫さんにお礼申し上げます。

                  緒 真坂

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