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「ブックオフ大学ぶらぶら学部」

 大石トロンボさんの漫画のファンである。noteの連載を愛読している。トロンボさんの共著「ブックオフ大学ぶらぶら学部」を読んだ。
 なんとなく感じていたけれど、改めてそうか、やっぱりそういうことだったのかと思う文章があった。Zさんの文章「ブックオフとせどらーはいかにして共倒れしたか~せどらー視点から見るブックオフ・クロニクル」 
 ブックオフで、スマホのバーコードリーダーを片手にシャカシャカやっていた人たち(せどらー)を近年、見かけなくなった気がする。どうしてだろう? 数十年前にはよくあったブックオフ半額セールがなくなったのは、どうしてだろう?

 いままでブックオフでせどらーが容易に仕入れできたのは、ブックオフの店頭価格とネット(主にAmazonマケプレ)の価格に乖離があったからです。本は定価の半額、しばらく売れなかったら100円に値下げという、ブックオフに繁栄をもたらした「本半額」システムに、せどらーの付け入る過ぎがあったのです。
 このシステムに大鉈が振るわれたのが2013年。直営店の単行本を手始めに、店頭価格をネット価格に合わせるという試みがなされます。
 (中略)
 ネット価格より店頭価格が安いからこそ、仕入れの余地があったのに、ネット価格と店頭価格が同じになってしまったら、せどらーはどう仕入れればいいのでしょうか。


 腑に落ちる。またこうもある。

 セールの抑制と単品管理導入によって、せどらーを追い出すところまでは、ブックオフの計算通りだったでしょう。しかし、ブックオフの最大の売りである「安さ」を手放してしまった影響は少なからぬものでした。

 「これ以降、ブックオフのパッとしない感は払拭されていません」と続く。
 ブックオフの経営不振が伝えられたのは、耳新しい。

 大昔、しょっちゅう彼女と東京を歩いていた。ブックオフを見かけると、躊躇なく入り、時間を過ごした。その時間を使って、お茶しようなんて考えなかった。本を見つけるのが好きだったから。コーヒータイムより本。何だったら、ごはんより本だ。そういうつもりで生きていた。彼女は腹を立てなかった。本好きの彼女でよかった。
 古本屋全般がそうだが、発見のよろこびがあった。
 ブックオフに行って、店内に流れるありふれたポップスを聞きながら、本を捜していると、たまに胸を衝かれることがある。昔もあったし、いまもある。時間の感覚がなくなって、過去と現在が重なる波の上にいる。そのブックオフにいた、時間の総体の波に見舞われる。そんな感覚。
 豊島区にあるこのブックオフには考えてみれば数十年間、通い続けているのだ。
 ブックオフは青春だった。
 あ。いまも、やっていることはあまり変わらない。年だけは、無駄にとったけれど。

 島田潤一郎さんの「拝啓ブックオフさま」の冒頭。

 貧乏生活があまりに長く続くと、それは骨の髄まで染み込んで、将来の行動様式までをがんじがらめにする。ぼくの友人は「パンには100円以上払いたくない!」と言って、憤然とした表情でセブン-イレブンを飛び出し、真夜中、二十分もかけて駅前のファミリーマートへと歩いた。
 
 私はこういう文章に弱い。青春だ。
 
 大石トロンボさんの漫画は、ブックオフあるあるだ。よくわかる。トロンボさんの新刊が出る。楽しみだ。買おう。
 ブックオフで、じゃなく。


 

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