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いとちインタビューvol.5 | 三島優子さん | ケアがつなぐ地域と先人の思い

「最期まで住み慣れた家で暮らしたい」
こうした地域の人たちのニーズに応え、さまざまなアプローチで暮らしを支えているのが訪問看護師のみなさんです。
 
かしま病院で訪問看護師として働く三島優子さんは、病院看護師、修学旅行に同行する添乗看護師など、これまでの多様な経験をいかして、いわきの訪問看護の現場を支え続ける一人。
 
「いわきで働くようになってからは、これまでの歩みや先人たちの思いを意識するようにもなりました」と語る三島さん。

都内をはじめ、全国各地で看護を行なってきた三島さんが、なぜ「地域」に目を向けるようになったのか。看護師としてのこれまでを振り返りながら、いわきでの訪問看護の実践について伺いました。

三島優子さん

【プロフィール】 三島 優子(みしま・ゆうこ)
1969年生まれ、東京都町田市出身。国立病院医療センター附属看護学校を卒業後、国立病院医療センター(現:国立国際医療研究センター病院)に勤務。1998年より旅行添乗や訪問入浴の看護師として働き、その後2カ所の訪問看護ステーションに務める。2009年より社団医療法人かしま病院・訪問看護ステーションに従事。


切り開いてきた、看護師としてのキャリア

前野:今日はインタビューを引き受けていただきありがとうございます。三島さんは今、かしま病院でどんな仕事をされているのですか?

三島:かしま病院訪問看護ステーションに所属し、看護師として働いています。訪問看護では、看護師が患者さんのご自宅に伺い、かかりつけ医の診察にもとづいて看護や暮らしのサポートを行います。

食事や排泄の補助、検温や入浴の介助などが主な仕事ですね。かしま病院訪問看護ステーションが、当院で訪問看護を希望する方の相談窓口となっていて、現在私はそこの主任を務めています。訪問看護の現場では、主任は現場監督のような立ち位置です。

患者の情報をチーム内で共有する「申し送り」

前野:主任を務めるためには、現場経験が豊富であることも一つの条件として挙げられると思うのですが、三島さんが看護師を目指したきっかけは何だったんですか?
 
三島:看護師を目指したのは、自分は人体に興味があると思っていたからです。中学や高校の時に受けた生物の授業で、細胞が分裂していく様子をみるのが面白かったんですよね。

進路選択の時は、看護師を目指すために看護学校を受験しました。受験に合格したという報告をしたらみんなに驚かれました。そもそも、私が看護師になることを友達や家族は信じていませんでしたからね(笑)。3姉妹の末っ子で引っ込み思案だった私は、いつも姉たちの後ろに隠れているような子どもだったので、余計心配されていました。
 
前野:もともと引っ込み思案だったんですか!? 今の姿からは全く想像できないです・・・
 
三島:看護師になって、いろいろな経験をさせてもらう中で少しは成長できたんじゃないかなと思います。ざっくりこれまでのキャリアを振り返ると、病院看護師を約10年、修学旅行に同行する添乗看護師を約10年、その後は訪問看護師として現場で働いてきました。

添乗員看護師時代の写真。右下が三島さん

看護師であることはずっと変わっていないのですが、働く中で感じた疑問や、こういう働き方をしてみたいという思いを行動に移していった結果、多種多様なケースを看ることができたんじゃないかと思っています。
 
前野:お話を伺っていて、ご自身の役割は変わらずとも、働く環境を大きく変えている印象を受けました。三島さんが実践されてきたように、看護師の多様な働き方がもっと伝わるといいなと感じました。環境を変えたきっかけは何だったんですか?
 
三島:添乗看護師になろうと思ったのは、自分はこのまま病院で働き続けていいのだろうかとちょうど悩んでいたタイミングです。働きはじめてから消化器科から小児科に配属されて、もっと子どもたちと関わっていたいという気持ちがありながらも、一度きりの人生なんだから海外旅行に行ってみたりなど、自由に自分の時間を使いたいとも思っていました。
 
そんな時、たまたま友人から、修学旅行や団体旅行に添乗する看護師の手配を行う組織を立ち上げる話をもらったんです。引き続き子どもにも関われるし、行きたかった旅行にも行けるしで、本当に願ったり叶ったりでしたね。そこから添乗看護師として働きはじめました。

旅行先の中国での一枚。真ん中が三島さん

添乗看護師は季節労働なので、旅行があるシーズンとないシーズンとで分かれています。オフシーズンは、入浴を介助する訪問入浴の仕事を派遣で行っていました。


決断を支える自らの意思

前野:なるほど。添乗看護師から訪問看護師を目指すまでには、訪問入浴の経験があったんですね。
 
三島:はい。訪問入浴をきっかけに、在宅の看護にも関わるようになりました。看護師は基本、血圧や熱の計測や、安全に入浴できるようにサポートするのがメインなので、医療的なケアを行う機会はあまりありません。
 
痛み止めを訪問入浴の後にうってほしいというご家族がいたんですが、そういう家族のニーズにも応えることができませんでした。患者や誰かの暮らしをサポートする看護師としての役割がわからなくなってしまって、モヤモヤを抱えていました。もっと家族が望むケアがしたいと、訪問看護師を目指すことを決意しました。
 
とはいえ右も左もわからなかったので、ケアマネージャーの資格や福祉住環境コーディネーターの資格をとりました。勉強して自分の準備が整ったタイミングで、自宅がある東京の町田市から通える訪問看護の仕事を探しました。そこで出会ったある施設の所長がすごくいい人だったんです。

訪問看護師を目指してさまざまな資格を取ったそう

「はじめての人なんてわからなくて当然だから、わからないことがあったらなんでも言ってください」と言ってもらったので、いつでも所長や同僚に電話して相談するようにしました。

まずここで経験を積もうと思っていたのですが、なんとここには1年しかいませんでした。尊敬する所長が独立して新しく立ち上げる訪問看護ステーションに一緒に来てくれないかと誘っていただいたんです。
 
前野:三島さんは、独立する人に導かれることがけっこう多いですね!
 
三島:1年しか経ってない新人の訪問看護師なのに、よく立ち上げのタイミングで呼んでいただけたなと思っています。立ち上げの時は利用する患者がいないので、営業もやりましたね。結局そこもまた、1年しかいませんでした。
 
前野:そこも1年だったんですか!?
 
三島:私の両親の実家がいわきにあって、最期は住み慣れた場所で暮らしたいと言っていたんです。訪問看護の経験も積めたし、ノウハウもわかってきたところだったので、私も両親と一緒に引っ越してきました。私にとっては両親がいる場所が故郷みたいなものなので。こっちにきてすぐにかしま病院で働きはじめたので、もう14年ほど経ちますかね。


飾り物が伝える、その人の「人生」

前野:いわきに戻って、かしま病院で働こうと思ったのは何か理由があったんですか?
 
三島:その時にちょうど、かしま病院で訪問看護師の募集があったことですね。あとは、私の祖母が、かしま病院が建ったばかりの時に入院していたというのも大きかったと思います。

祖母は脳梗塞を患って入院したんですけど、かしま病院のスタッフが一生懸命リハビリをサポートしてくれているという話を聞いていました。リハビリでつくった人形を、祖母が私に見せてくれることもありました。祖母が楽しんでいる様子がすごく印象に残っているんですよね。幼いながらに、いい病院なんだなと思いました。

終始笑顔でインタビューに答えていただきました

前野:幼少期の頃からかしま病院の雰囲気に触れられていたんですね。在宅医療や訪問看護は、かしま病院が理念に掲げる「地域に密着した医療と福祉」を、まさに最前線で体現されているのではないかと感じています。

そもそも三島さんは、ご家族や本人のニーズに寄り添いたいと訪問看護の世界に入られたと思うのですが、現場で大事にされていることや心がけていることはありますか?
 
三島:若い頃は、勉強して学んだことを実践しようという気持ちが強かったんですが、ある時手にした医療系の雑誌に「答えは患者さんが持っている」と書いてあるページを見かけたんです。その瞬間、肩の荷がふと降りたような気がしました。自分(看護師)が何かをしてあげないといけないのではなく、患者に寄り添えばいいのかと。そこは、かしま病院の理念と通ずる部分だと思っています。
 
いわきで働くようになってからは、これまでの歩みや先人たちの思いを意識するようにもなりました。これは、約50年前から高齢者・患者の暮らしや在宅ケアの重要性を訴え、活動されてきた齋藤光三先生、かしま病院をつくられた中山元二先生の姿勢から学んだものですね。
 
お二人は、まだ訪問看護や地域医療の考え方が浸透していなかった時代から、いわきの医療をよりよくするために尽力されてきた方々です。お二人の講話を聞いて、何もないところから、今の地域医療の基盤を作ってくださった方なんだと感銘を受けました。
 
たまたま、お二人の訪問に行かせてもらったことがあったのですが、自分の病気のことよりも、これからの在宅医療がどうなったらいいのかを最期の時まで考えていらっしゃいました。私たち訪問看護師にも、その想いを熱く語ってくださいました。

 
前野:訪問看護を通じて知った先人たちの思いをつないでいきたいという思いが、三島さんの中にあるんですね。

患者の容体だけでなく、家族の様子も事細かにチームで共有します

三島:そうですね。もちろん医療の先人たちだけでなく、訪問看護で伺った患者の方からも学んでいます。1日24時間の中で、訪問看護でその方と関わるのは長くても1時間。限られた時間の中で、少しでも生活がよくなることや、暮らしを支えられるために何ができるかという意識を大事にしています。
 
自宅にあるものは、本人の暮らしを支えているものなんです。だから、置いてある飾り物までよくみるようにしています。飾り物を通じて、その人の人生に触れ合う。人生や思いに触れている時に、こうした積み重ねが今の私を育ててくれているんだなと感じます。

仕事を通じて一人一人の人生に触れ合えることは、間違いなく私にとっての財産です。現場を大事にすることしかできませんが、引き続き頑張っていきたいですね。


必要な情報、必要なサービスを

前野:最後に、これからやっていきたいことや抱負があれば、教えてください。

三島:私の父が認知症を患っていて、現在家族の介護も行っています。父を見ていると、人間はこうして変化していくんだなと勉強になります。父もそうなのですが、お年寄りは昼夜逆転する人が多いと言われているので、夜中のデイサービスがあったらニーズがありそうですよね。私がつくろうかな(笑)。

病院に入院せずに住み慣れた自宅で両親を看取れたらいいなと思っているので、自分に与えられた時間の中で、仕事と両親のサポートの両方を頑張っていきたいです。

かしま病院訪問看護師のみなさん

実際、自分の家族が病気を患った時にこれまでの看護師としての経験がすごくいきたんです。ケアマネージャーに計画をつくってもらうなど、スムーズに段取りができました。でも逆に、こういう知識を知っているかどうかで、その人の命を救えるかが左右されてしまうんだなとも感じました。

他と比べて医師の数も情報も少ないいわきで、こういった情報を伝えていくのもいとちプロジェクトの役割だと思っていますし、私自身も生活を支える訪問看護を、細く長く続けていきたいですね。


看護師と患者には、必要なケアを提供する/されるという一方的なものではなく、ケアを通じて互いの人生がよりよくなるような、豊かな関係性が紡がれているのだと感じました。

訪問看護は、人生を全うしてきた先輩たちから地域を学ぶ現場とも言い換えられ、そこには医療従事者と地域をつなぐ「いとち」があるのかもしれません。医療と地域をつなぐ「いとち」について改めて考えるきっかけになりました。三島さん、ありがとうございました!

文章/いとちプロジェクト・前野

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