見出し画像

【驚愕】自己否定に溺れた子ども時代のエピソード

夏だねぇ。

暑いねぇ。

あつがなついねぇ。

病院へ行くのに道に迷い、マップで徒歩5分の道のりを20分も歩いちゃった。

・・・・・方向音痴かな?


***

こんにちは!
大阪・兵庫で活動するファッションセラピストの上杉いとです。


心配事があって検査を受けたら、結果は超良好!

あれれ?おかしいな……?
でも健康体なら、ま、いっか☆


健康体といえば・・・
子どものころは今と違って病気がちだったなー。
そうそう、それが自己否定のきっかけだったし、自己否定を強める原因だったんだったったー。


自己否定が強い子どもになったのは病弱だったから

画像1


わたしは幼いころから自己否定が強い子どもでした。記憶をたどると、3歳のときにはすでに自己否定をしていて、そのころから親に捨てられるかもしれないとびくびくしながら過ごしていました。

乳児のころから病弱で、「風邪をひいていないときの方が少なかった」と母によく言われたほど、大人になるまでしょっちゅう熱を出していたんです。
小さい子どもって、病気になるとぐずりますよね。子だくさん家庭で子育てに四苦八苦していた母は、手のかかるわたしに苛立ちを隠せず、感情のままに言葉を吐き出していました。

「あんたがいるからお母さんはしんどい」

心をえぐるような言葉に、体調を崩すと母を苦しめるんだと悲しくなり、(お母さんを困らせてごめんなさい)と自己否定をしていました。

母が出かけるときは、わたしを捨てて出ていくんだと怖くなって、ただの買い物であっても一緒に行くと泣いてせがんでいたのを覚えています。


自己否定にだんだん支配されていく・・・

画像2


とにかくよく熱を出す子どもだったわたしは、いつものことだと病院に連れて行かれることはなく、よほどの高熱が出ないかぎりは、看病されることも心配されることもありませんでした。
それが子どものころは普通で、どうせわたしなんか…と自己否定するのも普通になっていました。


小2の夏休みのある日、目覚めたら枕元が血で真っ赤に染まっていたことがありました。
口から出血していて、起きてもまだダラダラと出つづける状態に、出血多量で死んじゃう!?とパニックになり、泣きながら親のもとへ走りました。

実家は某宗教を信仰していて、毎日朝夕の2回「おつとめ」という祭儀を行っています。
ちょうど朝のおつとめ中だったのでその部屋に行ったものの、おつとめの邪魔は絶対にしてはいけないと言われている…
騒いで叩かれるのは嫌だったので、部屋の中には入らず、入り口付近から口から血が出て止まらないことをひかえめに伝えました。

すると・・・



両親ともに無視。

完全に無視されました。

死ぬかもしれない!とこちらも必死なので、それでも訴えつづけましたが、ようやく発せられた言葉は、「あとにしなさい。」

何も言えなくなって、シクシク泣きながら大人しく待つことにし、おつとめの時間がおわってから母に泣きすがると、母は思い出したかのように「あぁ、そういえば血が出てたね。」と言いました。

わたしは言葉を失い、絶望しました。(お母さんは、わたしが口から血を流していてもどうでもいいんだ…)完全に見捨てられたと感じました。

その後、口のなかが切れていることがわかったので、歯医者に連れられ治療を受けました。
結果的に病気でもなく大したことでもなかったのですが、このことで、それまでの(愛されていないのかも…)という自己否定から、(愛されていない)と自己否定の思考に完全に支配され、これ以降、親に拒絶反応を起こすようになっていきました。

ちなみに、口の中が切れた原因はただの食いしばりだったのですが、頬の内側を噛みちぎっていて、口のなかでちぎれかけた肉がぶら下がってました。(痛みは全くありませんでした)

一般的に、子どもの食いしばりは歯の噛み合わせを調整するためで心配ないらしいのですが、ストレスが原因になっている場合もあるようです。
口腔内の肉を噛みちぎるほどなので、噛み合わせの調整だけとは考えにくく、子どものころから相当なストレスを抱えていたのではないかと思われます。


看護される姉、看護されない私

画像3


高校生のときに不眠症になった時期がありました。
毎日ほとんど眠れなくて、眠れても1時間程度で目覚めてしまい、そのまま朝まで一睡もできないという日がつづきました。
1ヶ月を過ぎたころから不眠による幻聴も聞こえるようになり、夜がくると謎の音に悩まされ、恐怖と倦怠感で限界を感じ、親に相談してみました。

遠方で寮生活をしていたので、電話で「1ヶ月以上も全然眠れずしんどい。病院に行きたい。」こう伝えると、このときもやっぱり心配されることもなく、親の口から発せられた言葉は、

「寝つきが悪いのは小さいときからなんだから、それくらいでわがまま言うな」

たしかに、わたしは子どものころから寝つきが悪く、朝起きられないのは珍しいことではありませんでした。

「だからといって、しんどいから病院に行きたいということはわがままなの?わたしにとっては、全然「それくらい」のことじゃない!本当に体がしんどくて、毎晩恐ろしい思いをしているのに何で理解してくれないの!?」

そう訴えたくても、できませんでした。
親の言葉には、まだつづきがあったんです。

「そんなことより、お姉ちゃんが睡眠薬を飲むほどの不眠症になった。今はそれどころじゃない。お姉ちゃんはツラい思いをしているけど、あんたのは今にはじまったことでもないんだから、我慢しなさい。」

思わず、耳を疑いました。

(わたしの不眠症は大したことでもないからと通院を反対するのに、お姉ちゃんはいいの?お姉ちゃんを心配するように、何でわたしのことも心配してくれないの?どうして昔からそんなにわたしのことをぞんざいに扱うの…!)

もう何を言ってもムダだと思い、電話を切りました。

あげればきりがないですが、子どものころから、わたしだけはいつものことだからと放置されることが多く、発熱など同じ状況になったきょうだいは手厚く看病されている姿を見ていたので、わたしだけがいらない子どもなんだとずっと自己否定していました。


自己否定と罪悪感

画像4


体調を崩すたびに、迷惑をかけてごめんなさいと自己否定し、ほかのきょうだいとの差を感じて、自分には存在価値がないとさらに自己否定してしまう・・・

小学生のときには完全に自己否定のかたまりになっていて、自己肯定感なんて皆無でした。子どもなりに一生懸命考えた結果が、「体が弱い子どもは迷惑をかけている」「わたしは生まれてきてはいけなかった」でした。

おとなでも病気をしたときは心に余裕がなくなったり、孤独を感じるときってありますよね。子どもならなおさらそう感じます。

わたしはずっと強い孤独感や疎外感におそわれていました。その不安でさえも、ただでさえ迷惑をかけているのだからと自己否定して、これは、生まれてきてはいけなかったわたしが受けるべき罰なんだ、仕方がないんだと、子どものころから罪悪感を持たねばならないとも考えていました。


自己否定の塊から自己受容へ

画像5

不思議なもので、自己否定のかたまりから抜け出せた今となっては、よくそんなしんどいことを考えられてたな~とビッくらポン!ですが、わたしにとっては親が世界のすべてだったので、ささいな出来事まで大げさに感じてしまうこともあっただろうし、そうやって自己否定していないと心のバランスを取れなかったんだろうなぁ…と過去のわたしに【よしよし】しています。

結婚して数年はまだ自己否定が強かったので、体調を崩すと「家事ができなくてごめんなさい。」と夫に謝ったり、迷惑をかけてしまったという罪悪感からまた自己否定していたので、当時は結婚生活もツラく感じていました。

今もまぁ、楽しい・しあわせしかないとは言いません。(言っちゃった)
結婚にかぎらず、人生ってほんと色々ありますよね。悲しい日もあれば、楽しい日もあり、怒りに身を震わせる日もあれば、しあわせで心が震える日もあります。

子どものころから自己否定のかたまりしかなかった病気がちなわたしが、子どものころより健康的でいられて、いろんな思考や感情のわたしを感じられることがすごいなぁ。しあわせだなぁ。と思えるまでになったんです。

体調がいまいちだなと思ったら、すぐさま夫に「しんどいから今日はなんもできへ~ん。」とか、「体調悪いから、早く帰ってきて看病して☆」と堂々と言ってます。

罪悪感?

そんなものはありません。家事してくれたり看病してくれたら、ただ「ありがとう」と感謝するだけです。

まぁ、何かあったらすぐ「病院行ったほうがいい!」「薬は飲んだ?」「ちゃんと飲まないと!」と言ってくる夫に、ちょっと、たまに、いや、結構?(めんどくせっ)と感じることはありますが、自己否定が強かった子どものころには感じることのできなかった、体調を崩せば心配してもらえ、かいがいしく看病までしてもらえるこの環境がとてもしあわせだなぁとしみじみ感じる今日この頃です。

(だからといって、夫の「薬飲んで!」を受け入れるかどうかはまた別の話だけどね!)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?