糸冬🪡

小説を書いています。

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最近の記事

蝶々の住処

「秘密、守れる?絶対、絶対に秘密よ」 薄紅色の形の良い唇をした美しい少女は細く艶のある髪に指を通し背中に流した。 私が通っている学校の教室のスピーカーの横にはセミヌード神様が磔にされている。 朝は主の祈りから始まり、学校の敷地内にシスターが寝起きする修道院とチャペルがあり、年に数回ミサが行われる以外は至って普通の女子高だ。 中学で盛りのついた猿のように男子の目線を気にしてひっきりなしに前髪を櫛で整え、色つきリップを塗っていた子達はここでは少数派となり、比較的マイペースで自分

    • 食べちゃいたい

      この世界にはその他大勢の一般人の中に、極稀にケーキと呼ばれる人間とフォークと呼ばれる人間が生まれる。 ケーキとは血肉は勿論、涙や唾液、体液も全てが極上のケーキのように甘く素晴らしい特異な存在であり、フォークには通常の味覚が無くケーキの人間にのみ味覚を感じることができる。 味覚がない分、フォークはケーキに目がなく最終的に捕食行為に及んでしまうことがある為、世間からは予備殺人鬼と呼ばれ差別の対象である。 一般的にケーキは先天性にケーキとして生まれ、フォークと出会うまでは当人も自ら

      • さくらは桜が大嫌い

        桜散る。梅はこぼれる。椿落つ。牡丹崩れる。 さて人は? 満開の桜を前に榎本さくらはため息を吐いた。 テレビのニュースでまで桜の開花、満開予想までするこの国は異常だ。何が桜前線だとさくらは苦々しく思う。 さくらの名付けの由来は単純にさくらが春生まれで、生まれた日病室から見えた桜が満開で美しかったからという何ともありがちで安直なものだ。 そんなさくらは桜が大嫌いだ。 桜の開花に一喜一憂したり、桜前線異常アリ?!と大騒ぎする浮かれた国民性も嫌いだし、ろくに桜を愛でもしない癖に桜の下

        • 男女の友情

          「近くまで寄ったからさ」 大学で同じゼミだった達也はそう言うと、笑おうとしてしそこなったようななんとも言えない表情を浮かべながら私と傍らの女性を交互に見た。 「たっちゃん」 思わず口から零れた懐かしい名前に誰より私自身が驚いた。達也とは卒業式の日以来、もう二年も会っていなかった。 「久しぶり」 「久しぶりだね。元気だった?」 「この近くのアパートに越してきたんだ。こいつ、綾子」 「こんにちは、たーくんと同棲中の彼女の綾子です。たーくんから話はいつも聞いてます」 綾子と呼ばれた

        蝶々の住処

          彼の名前を

          改名したい。いや、絶対にする。 僕がそう決意したのは三年前の中二の夏、クローゼットの片隅から出てきたモロゾフのクッキー缶の中を見てからだ。 その中には厳格な中高一貫教育の男子校を卒業した父とその恋人との、むせ返るような親密なやりとりが収められた手紙や思い出の品々がぎっしり入っていた。 六年分の青い春が閉じ込められた手紙達によると、父とその恋人は卒業式の日にネクタイを交換してきっぱりと別れたらしい。 緑と紺のダサいネクタイの裏側にはなんとも言えない臙脂色の糸で名前が刺繍されてい

          彼の名前を

          みーちゃんが死んだ

          母の電話はいつもでたらめで要領を得ない。 いつも自分の聞きたいことだけを聞いて、話したいことだけを話して勝手に切る。 まるで嵐のようだと思う。 きっと必要な情報の取捨選択、物事の優先順位の付け方、根本的な価値観がそもそも私とは合わないのだ。 日曜日の朝。手に持ったスマートフォンが母からの着信を知らせるのを見た私は、心の底から居留守を使いたいと思った。 こういう時、携帯電話というのは不便だ。基本的に常に携帯している上に着信履歴が残ってしまうので後でかけ直すという先延ばしコマンド

          みーちゃんが死んだ

          他人の関係

          母親というのはつまり、一人のちっぽけで不完全な女のことなのだということに私が気が付いたのは十五の時だった。 同時に家族なんて血が繋がっているだけの他人なのだから、決して分かり合えないし、分かり合えなくて良いのだと早々に見切りをつけた私は高校卒業を機に家を出た。 家族を愛せなかったのは不運だったかもしれないが、ただそれだけのことだ。家出同然で家を出た日の清々しさを私は今でも鮮明に覚えている。 自由だと思った。 もう誰も、二度と私を踏み躙ることはできない。 そう思った。 「……甘

          他人の関係

          希死念慮の希死田 第3話

          美波 恋をした。命懸けの恋だった。骨の髄まで愛していたのだ。 男の名前は田嶋悠介。 田嶋は邪険に扱われれることが多い派遣社員の美波にも紳士的で優しかった。 田嶋は結婚指輪をしていたし、スマホの壁紙は二歳になるのだという息子の写真だったので妻子がいる ことは分かっていた。 最初に触れてきたのは、美波の手を握ったのは田嶋の方だった。 大きくて骨ばっていて乾燥した熱い手だった。 その夜、美波のアパートで美波は田嶋に抱かれた。 田嶋は子供を産んでただの母親に成り下がり自分を邪険に、

          希死念慮の希死田 第3話

          希死念慮の希死田 第2話

          奈緒子 母性というのは子供を産めば自然と湧いてくるものだとばかり思っていた。 しかし、現実は違った。 奈緒子は自分が産んだ子を愛おしいと思うことが出来なかった。 涼介は酷い偏食で癇癪持ちで兎に角寝ない子供だった。 一日中火がついたように身体を仰け反らせて泣き喚き、抱かれるのを嫌がり、この世の全てが気に食わないのだと全身で主張するように地団駄を踏んで物を投げつけた。 一歳六ヶ月健診で言葉の遅れと多動傾向を指摘されてからは市の療育センターに通っているが、抱っこ紐は勿論のこと、自

          希死念慮の希死田 第2話

          希死念慮の希死田 第1話

          あらすじ 疲れた。消えてなくなりたい。 就職活動の失敗。過酷な労働。先の見えない毎日。 いつしか漠然とした死を願うようになった内気なケーキ屋店員、果歩の前に現れた謎の男。 黒い細身のスーツに身を包んだ死神のように陰気で不気味な男は自らを希死念慮の希死田と名乗った。 夫のモラハラに悩む育児ノイローゼの主婦、奈緒子。 相手が既婚者とは知らず妻子ある男性と交際していた事に気付いてしまった派遣社員、美波。 三人の生きる事に疲れ果てた女性達に希死田がもたらすものとは? やり場の

          希死念慮の希死田 第1話