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さくらは桜が大嫌い

桜散る。梅はこぼれる。椿落つ。牡丹崩れる。
さて人は?
満開の桜を前に榎本さくらはため息を吐いた。
テレビのニュースでまで桜の開花、満開予想までするこの国は異常だ。何が桜前線だとさくらは苦々しく思う。
さくらの名付けの由来は単純にさくらが春生まれで、生まれた日病室から見えた桜が満開で美しかったからという何ともありがちで安直なものだ。
そんなさくらは桜が大嫌いだ。
桜の開花に一喜一憂したり、桜前線異常アリ?!と大騒ぎする浮かれた国民性も嫌いだし、ろくに桜を愛でもしない癖に桜の下にブルーシートを敷いて乱痴気騒ぎをして大量のゴミを放置したり、桜の木を手折ったりする愚かな花見客が大嫌いだ。
大体桜は散り際が美しくない。
茶色く変色した花びらが道路の片隅にわだかまって風でとぐろを巻いて舞う姿など噴飯ものだ。
みすぼらしい。
未練がましい。
雨で濡れた街路樹に落ちた半分透けた花びらなんて見られたものではない。
さくらは自分の名前の由来を聞かれるのも嫌いだが、いつも当たり障りなく母から聞いた名付けの理由を答え、世間には、親や姉妹達にですら筋金入りの桜嫌いを隠している。
なんと言ったって桜は日本の国花だ。
国民に広く親しまれ、事実上の国花として扱われてる桜が嫌いだなんて言ったら異常者扱いされかねない。
桜嫌いはマイノリティだ。
さくらはそれを痛いほどよく理解している。
さくらにとって春は憂鬱な季節だ。
なんてったって桜が咲くし、誕生日プレゼントに桜モチーフの小物を貰う確率が格段にあがる。
今年も見たくもないのに桜が咲き、欲しくもないのに捨てるのには忍びない桜グッズを山ほどプレゼントされる。
それでもさくらの桜嫌いは墓まで持っていく重大な秘密なのだ。
桜を、春を愛する人達の気持ちに水をさしたくないのだ。
ちなみにさくらは四人姉妹の長女で妹達は梅、椿、牡丹という。どうして自分だけひらがななのか、とさくらは聞きそびれたまま今に至る。きっと大した理由などないのだろう。
そんなさくらも年頃になり縁あって結婚をし、子を授かった。
四歳になる冬生まれの一人息子は壮馬という。
名付けの理由は画数だが、息子に聞かれる前にそれっぽいエピソードをでっちあげなければいけないと思っている。
子育てというのは難儀なもので、大の桜嫌いの桜から生まれてきた壮馬は桜が大好きだった。
赤ん坊の頃から桜並木をベビーカーで散歩するときゃっきゃと嬉しそうに笑っていたが、少し喋れるようになると「そうま、お花見したい」と言うようになった。
お花見と言ってもさくらに出来る最大限の譲歩は桜並木をお散歩する程度のものなのだが、それでも壮馬は大層喜び、桜シーズンは晴れている日はほとんど毎日「ママ、お花見しよう」と花見をせがんだ。
地獄だ。
一体何の苦行なんだ。
さくらはそう思ったが、さくらの桜嫌いは墓まで持っていく秘密なので「あらいいわね。行こっか!」と笑顔で愛息子のリクエストに応じた。
さくらは満開の桜を見る度、浮かれる花見客を見る度に憂鬱だった。
しかし、桜の花びらを手で挟んで捕まえようとする息子の姿を見るとほんの少しだけ気持ちが解れた。
「そーちゃんはさぁ」
「なぁに?」
「どうしてそんなに桜が好きなの?」
力強い足取りでさくらの前をズンズン歩いていく壮馬にそう尋ねると、壮馬は少し驚いたように大きな目を丸くしてさくらを見上げた。
「そんなの、ママとおんなじ名前の花だからに決まってるじゃない」
思わぬ理由に虚をつかれ、さくらが息を飲み刮目すると、ざぁ、ざざぁっと一際強い風が吹き、桜の花びらが乱れ散った。
桜吹雪だ。
さくらが心の中でそう思うと、壮馬はぴょんぴょん飛び跳ねながら言った。
「すごいねぇ!桜の雨だねぇ!」
「……桜の、雨」
さくらが思わずオウム返しにそう呟くと、壮馬は「ママ、桜綺麗だねぇ!」と言って満面の笑みを浮かべた。
春に生まれて桜嫌いでさくらの名を持つ女は桜吹雪に乱れたショートボブの髪を耳にかけると「ほんと、綺麗だねぇ」と桜の花が綻ぶように柔らかく微笑んだ。

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