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ショートストーリー「線香花火、みたいな恋。」


そろそろ夏が
終わるのかもしれない。

少し前まではあんなに
うるさかった蝉の鳴き声も、
迷子の子がお母さんを
探しているかのような
細々とした頼りない声に
変わっている。


バイト、サボりたいなぁ。


今日何度目かの思いが
頭をよぎる。


だって。知らなかったんだもの。



***



居酒屋のバイトは
大学2年の夏から始めた。

大学生の夏休みは、長い。

折角だからバイトをしようと
求人雑誌をめくっていたところ、
自宅から数駅のところにある
居酒屋の求人に目が止まった。


面接を経て採用が決まり、
一昨年から働いている繭子さんが
色々教えてくれることになった。

ショートカットが似合う
背の小さな人だった。



最初のうちは
覚えることが多く大変だったが、
繭子さんの教え方は分かりやすく
徐々にできることが増えていくのは
嬉しかった。


働くことの楽しさって
こうやって覚えていくのかな。
だったら私は
いい先輩に巡り会えた。

幸せ者だ。



働き始めて3週間くらい経った頃、
店の定休日に、繭子さんから
食事に誘われた。


「実はもう1人バイトがいるの。
 今までは教育係ってことで
 私とのシフトで固定だったけど、
 今後は3人で回すことになる。
 今日、紹介しようと思って。」

「そうなんですね」


繭子さんと会えなくなるのは
少し寂しいが、
認めてもらえつつあると思うと
嬉しかった。



「ごめん、遅れた」


後ろから聞こえた声に振り返る。


「お疲れ〜。
 この人、もう1人のバイト。
 ゆたかくん。私と同い歳」


背の高い
サラサラの黒髪の人だった。


「初めまして。大学生?」


笑うと、目が線になるんだな。


「はい。よろしくお願いします」


一目惚れだった。



それから間もなくして、
ゆたかさんと一緒に
働く日がやってきた。

先日見せた優しい笑顔とは
また違った、
お客さんに合わせる明るいノリや
混雑時に見せる真剣な表情、
オーダーを読み上げる澄んだ声。


知れば知るほど
ゆたかさんのことが好きになった。


一緒に働ける日が
待ち遠しくて。

「お疲れ」って
言ってもらえることが
嬉しくて。


それだけで
ただそれだけで
幸せだった。

それなのに。



昨日も、ゆたかさんと一緒だった。
ゆたかさんは店長と話があり
私の方が少し先に店を出た。

「お疲れ」という声を聞いて。


その後、近くのコンビニで
少し雑誌を立ち読みした。

立ち読みをするふりをして
道ゆく人の中から
サラサラの黒髪を探した。

そろそろゆたかさんが
店を出る頃じゃないかなって
今思いついたふりをして。


一緒に駅まで歩きたいな。

もう一度、
「お疲れ」って言って欲しいな。


そんなことを思ってしまったから
バチが当たったのかもしれない。


私の目は、
ゆたかさんを見つけてしまった。


胸が高鳴る。
あわててコンビニを出る。


ゆたかさん、駅まで一緒にーーー


「ゆたか。お疲れ」

「おっ。来てくれたんだ」


私の好きな、優しい笑顔。
その先に、もうひとつ。

私の好きな、ショートカット。


あぁ。
この2人、並んで歩くと
身長差が凄いんだな。
そっか。そりゃそうだよね。
繭子さんは小さくて
ゆたかさんは大きいから。

そっと踵を返し、
再びコンビニの自動ドアをくぐった。



***



「ありがとうございましたー」


会計を終え
最後のお客さんを見送る。

外は、先程のゲリラ豪雨が過ぎ去り
湿気を纏った
夜更けの空気に変わっている。


何とか大きなミスもなく
いつも通り仕事を
こなすことができた。


やればできるんだな。
大丈夫。
大したことじゃないんだな。



繭子さんがレジを締めている間に、
テーブルの片付けをした。

なかなかとれない醤油の染みに
少しだけ泣きたくなったけど、
強く擦って、取れたことにした。


「ねえ、花火。したくない?」


唐突に繭子さんが言った。


「もう夏も終わるのに
 お祭りも行ってないしさ。
 花火くらいしとこうよ。
 雨も上がったし」


正直、今すぐにでも家に帰って
布団に潜り込みたかった。


「ゆたかも呼ぼうか」

「…いいですね」


この期に及んでまだ、
私はゆたかさんに会いたかった。

優しい笑顔で
「お疲れ」って、言って欲しいと
思ってしまった。



繭子さんがゆたかさんに連絡し、
待ち合わせの公園に向かう途中で
コンビニへ寄った。


「あー。これしか残ってなかった」


繭子さんの手にあったのは、
線香花火ばかりが十数本入った
小さな袋だった。


「私、可愛くて好きですよ」


100円ライターも合わせて購入し
公園に向かうと、
ゆたかさんはもう来ていた。


「お疲れ」


優しい笑顔。

いつもと同じなのに、
いつもとは全然違った。

あぁ。繭子さんがいるから、
いつもよりもっと
優しい笑顔なんだ。


「まだ地面濡れてるから、
 足元気をつけてね」



ゆたかさんが
ライターに火をつけた。

それぞれの線香花火を
その火に寄せ集め、火を灯す。


細い先端は消えてなくなり、
代わりにぷっくりと
小さな丸い球ができた。

可愛くて、頼りない。
その不安定さが、とても魅力的だ。

一方で、その小ささからは
想像ができないほどの激しい火花を
周辺に散らす。

周りの空気を巻き込むように
熱く盛り上がり、
闇夜を照らしていく。


しかし、それは
長くは続かない。


徐々にその力は衰え、
小さな球はより小さく、
より頼りなくなっていく。


そしてついに。

ポトリ

と落ちた瞬間、



ぱぁーん!!!



「……えっ?今の、何?」

「はじけた…、よね?」


地面に落ちた小さな球は、
最後の力を振り絞るかのように
大きな破裂音をたてて
弾け散った。


「コンビニに売れ残ってたやつだし、
 古かったんですかね?」

「もう1本やってみるか」


ゆたかさんが再び
火をつけようとすると、
スマホを覗き込んでいた繭子さんが
あわてて止めた。


「待って!調べたら、
 雨上がりの地面だと
 線香花火って跳ねるんだって!
 火傷することもあるみたい」

「まじか…。繭子、大丈夫?」

「私は大丈夫。大丈夫?」

「私もです」


よかった〜、と
安堵のため息を漏らした後、
ゆたかさんは私に
笑いかけながら言った。


「全然知らなかったよ〜」


その笑顔はやっぱり、
私の知っている、
優しい笑顔だった。


「ですね。
 私も知りませんでした」


お幸せに。
心の中で付け加えて、
笑い返した。




おしまい。

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