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冬の記憶と猫のおはなし。


9月。少しずつだけど、秋を感じるようになった。

朝、蛇口から出る水が少し冷たく感じるようになった。
早朝に外に出れば、頬に当たる風がひんやりとしている。

私は、猫の次の次の次くらいに秋冬が好きだ。
肌寒い朝に淹れるホットコーヒーや、肺いっぱいに冷たい空気を吸い込む感覚、全てが愛おしい。

そして何と言っても、猫と過ごす寒い時期が大好きである。

寒くなってくると、猫は冬毛へと衣替えをする。
夏場のシュッとしたスマートなビジュアルもたまらないが、もっこもこに丸くなる姿も、胸が張り裂けるほどに愛らしい。

寒がりな愛猫は、夏以上にぺったりとくっ付いてくれる。
元々甘えん坊だけど、冬は甘え具合もヒートアップ。
作業中にちょっかいを出される回数も自然と多くなり、「困ったなあ」と言いつつ、内心はルンルンスキップ状態である。

夜は一緒のお布団で眠り、暑くなると一瞬キャットタワーに避難するものの、朝方にはまたお布団に戻って来てくれて、一緒に朝を迎える。

そんな温かな幸せを噛み締められる秋冬。
ずっと寒かったら良いのにと願ってしまう。


物心ついた時から寒い季節が好きだった。
冬に生まれたからか、ただ単に暑さに弱いからか、理由は自分でも分からないが、とにかく寒いのが好きだ。
かと言って寒さに強い訳ではなく、すぐに風邪を引くし冷え性なので、「冬しんどい」と思う時もある。

ただ、私にとって冬の記憶は鮮明なのだ。

体験したこと、感じたこと、目に映ったもの、言葉、匂い。
日常でふと思い出す小さな小さな記憶。

寒さと一緒に記憶をインプットしているのだろうか。
普段だったら思い出さないような些細な記憶の背景は、不思議なもので大概が冬なのだ。

年齢を重ねるほど、記憶の数は増えていく。
そして忘れることも増えていく。
きっと脳みそのキャパは決まっているので、新しく記憶すれば、古くて小さな記憶は消えていってしまう。

しかし、「寒さ」をきっかけに、消えていたと思っていた記憶がふと蘇ってくる時がある。
私は、そんな冬の温かさに期待をしているのかもしれない。

猫を迎えて4年2ヶ月。
私の冬の記憶に、猫が追加されるようになった。

まだ身体が小さかった頃、私のパーカーのお腹ポケットに入って温まっていた猫。
朝起きると、私の頭上で枕と壁の間に挟まって寝ていた猫。
ふかふかの布団の上で、ふみふみしたまま寝てしまった猫。

猫の事、全部覚えていたい。
日常での出来事、表情、鳴き声。
でも、全てを記憶したまま生きる事は、きっと出来ない。

けれど、何かを引き金にして思い出す事ができたら幸せだ。
私にとって、それが「冬」であるのかもしれない。

まだまだ残暑が厳しいけれど、寒い季節に想いを馳せ、のんびりと秋支度をしていこう。
何年後かにふと思い出して、頬が緩むような日々が送れますように。

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