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腹鳴恐怖症だった私と吃音症の娘NO.113 人間、出来ないことがあっても良いってことだよ。

12月に入り、専業主婦である私にとっても、やはり、なんとなく、ソワソワ、バタバタしている。いつもと変わらず、波風を立てずできるだけ生活する、苦と楽は交互にやってくるということを自分に言い聞かせながら、ネガティブな日は、んー、こんな日もあるよ、とその日は落ち込んでも、それで良いと肯定している。
今その訓練に取り組んでいる。
実際いいなと思って2日くらいすると苦がやってくる。
いかに、つかまないかになってくる。


そんな言うほどおおげさなことではないのだけど・・・

今年、色々なことを学び、外は寒くても、心の中は温かい気持ちでいることの方が断然多いなと思っている。

何度も言うけど、お金は暮らしていけるくらいで、とてもお金に余裕があると、自信持って言える家ではない。

随分、昔の話は出てこなくなったというのか、嫌な過去はもう、私の中では、どうでも良くなった。
自分のことを受け容れることができるようになったから。
もう、見る世界が変わっている。

本当に、心から信頼できる先生に奇跡的に出逢うことができたから。
と言っても、私が先生を知っているのは、SNSの世界だ。
この、noteやTwitterもSNSだろうけど。
 SNSというものに前はかなりマイナスなことを考えていた。
確かに、そういう一面もある。
でも、まさか、自分が、SNS繋がりで、こんなに心が変わるとは思っていなかった。
この、noteでも、最近はコメントのやり取りもさせていただくことが増えた。
それぞれ、色んな生きづらさを抱えていたり、色々な人がいる。

この広い世界の中で、SNSではあるが、人と出逢えることは私は未だに奇跡と思う。
沢山の勇気、やる気をいただくことの方が多い。
この場をお借りして、いつも、私のnoteを読んでくださる皆様、心よりありがとうございます。感謝しています。
これからも良いお付き合いができると良いなと思っています。

出逢いとはこんなに人の考えを変えれるのだから、出逢いとは本当に、大きいことなんだと実感しています。
今はもう、自分で決めて、定期的にZoomカウンセリングはやっていただきたいと思っているのだけど、それを無くしてしまえば、また前に戻ってしまうのではないかと、心のどこかでは思っている自分がいるというのが正直なところで・・・

こんなことを言うのは、本当に、おこがましいと思うのだけど、私は常に、先生を目標にしている。
とても、凄い人というのは、ネット上で色々見てしまうと、とても遠くの人に感じる。
しかし、先生は、本当に、心から、一人一人に寄り添って、カウンセリングしてくださっているのだと、昨日もそんなことを思った。

昨日は、何かの話から、こんな人もいるし、あんな人もいる、こんな人は良いけど、こんな人は受け入れられないよ的な話を呑んだ勢いで、いや、勢いはいらないが、夫がしていたので、そうね、そうね、と聞いていた。
これまた、話の流れで、そんな出来た人、神様みたいな人いる?って話で、私は、いるにはいるよ、いる、いる!みたいに、意味深発言で終わった。

本当に、先生は、神様に近いような人だと思っている。

私は、父親から、子供の時、誰々もできるんだから、〇〇(私の名前)もできるって思ってやれ!みたいなことを、良く言われて育った。
だから、ある意味、『なにくそ』(言葉が悪くてすみません)と思い、頑張れた時もあった。
しかし、『なにくそ』と思ってやっても、いや、そこまで思えないことも勿論あるが、できないこともあるのだ。

しかし、この歳になって思うことは人は一人一人誰しもが違うし、考え方も一人一人違う。
もちろん、近い考えの人は沢山いる、その中でも、個人個人違うし、その人の生き方を、どうのこうの言える筋合いはどこにもない。

私は、昨年までは、やはり、人には好かれたいし、嫌われたくないと思っていた人間だった。
しかし、今年のもう、師走、昨年とは思うことは違っている。
あんなに人に合わせてばかりの昨年までが嘘だと思いたいくらいだ。
『嫌われる勇気』ではないが、嫌われても良いと思えるところもある。

自分の思いも随分、前に出せるようにはなってきた。
ある意味、自分の考えを通すということは、孤独も感じる。
いや、この思いは、恐らく私にはなかったことだけど、普通に、いや、普通とう境界線はないのだけど、普通の人は思っていることだと思う。

次男についての話はちょこちょこnoteにも書いているが、みんなある程度、同じようにできると言われて育った私は、長男と次男も、同じようにできるという目線で育ててしまった。

長男ができて、次男はできない(苦手)こともある。
もちろん、その逆もあるのだ。
今の時代は、色々な人が認められる時代だと思う。
『みんなちがって、みんないい』みたいなことを聞くが、その言葉があまり、ピンとこなかったのだ。
しかし、今は、『みんなちがってみんないい』が深い意味で分かる気がする。

夫婦でもそうだけど、夫ができて、妻はできない、そういうところもあって当然だと思う。
そのできない部分をできる人がお互いうめていけば良いのだから。

今の私は思う。

『できないことがあっても良いってことだよ』

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました^ ^





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