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腹鳴恐怖症だった私と吃音症の娘NO.156 スープの冷めない距離

一緒に住んでいる義母とは、もしかして、今が一番、同居している期間が長いのではないだろうか。

昨年の10月20日、施設に入所していた義母が、突然家に帰ってきた。

それから、早、4ヶ月は過ぎた。

私たち夫婦は、ボロアパートに2年間住んだ後、そのアパートから、車で10分ほどの夫の実家の敷地内に家を建てたのだけど、その時には、義父も、夫の実家に、義母と2人で住んでいた。
私の26歳頃の話である。

家を建てた時に、もう、実家も古くなってきていたので、一緒に住もうかと、声をかけたのだけど、義父は、自分達の建てた家が良いと言って、一緒には住まなかった。

正直、私は、少し、義父が苦手だったので、ちょうど、少しだけ離れた、スープの冷めない距離である実家が、良いと言ってくれた時、半分は嬉しかったのかもしれない。

しかし、義母は何故か、初めから、私達と同居したかったようだった。

義父は、もう亡くなって、15年程が経つ。

孫(うちの息子たち)が生まれ、義母はちょこちょこ、ほとんど毎日、うちの家には上がってきていた。

夫の実家は、敷地内を少し歩いて、ちょっとした階段を少し下った、本当に近距離だったが、義母はそこから、作った料理をせっせと持ってきていた。

その当時は、

えっっ?

そんなにたくさん、誰が食べるの?というくらいの量を鉢や、お皿や鍋に入れて持ってきてくれていた。
義母は料理は、1番の趣味であったようだ。

まあ、田舎で、昔の人は、田んぼやなんやと、そして、子沢山だったりすると、それだけの量を作っていたのだろうと今なら想像できるのだけど。
その当時は、頑張って食べても、ごめんなさいをすることは度々あった、一生懸命に食べた結果であり、ここだけの話である。

義母は、82歳の時に2回転んで骨折し、股関節人工骨頭を入れた。
それから3ヶ月入院して、退院。
うちでみることになった。

と言うより、ちょうど、うちの玄関入った左横に廊下をつけ、一部屋増築したタイミングだった。
客間というか、仏壇を実家から、供養してもらい、うちに持ってくるという作業をしたばかりだった。
仏壇自体は新しく購入したのだけど。

義母が82歳の時、同じタイミングで股関節を骨折したことにより、元々、糖尿病があったので、心臓や、腎臓、膀胱にも色々と病気が判明し、入退院を繰り返した。

その繰り返しで、家にいる時は、デイケア、デイサービスを利用させてもらい、いずれ、ショートステイを利用させてもらうようになった。

その流れで、数年が経ち、私の役員が三つ被ったことにより、綺麗に施設に入所ということになったのだった。

つい最近、義母に、料理をよく、うちに持ってきてたよね?
と、話をした。
いや、絶対に覚えていると思っていた。

そしたら、そうやったかな?
もう、忘れた、と言われた。

マジ?

いっーっぱい、もってきてたやん!

それにも反応せず、いや、忘れたと。

マジか、あれだけの量を毎日に近いくらい持ってきていたのに、そんなにあっさり、あっさりでもないだろうけど・・・

今は、今日は何曜日、これはだいたい当たっているのだけど、明日はどこに行くとね?
週2回は、病院のデイケアよ、と私は言うのだけど、決まって、『えっっ?また行かんばとね?』
と言う。

いやいや、毎週2回、病院のデイケアに行ってるよ、と言う私である。

義母は、今はもう、就職して他県に住んでいる、孫(うちの息子たち)が、小さい頃はとても、嬉しかったのだろうと思う。

娘は、私たちも本当に諦めた頃生まれたので、奇跡の子と、私たち夫婦は言っていた。

義母が、スープの冷めない距離で、スープらしきものは、あまりないが、あえて言うなら、味噌スープ、いわいる味噌汁を持ってきていた。

あとは、肉じゃが、ポテトサラダ、とりレバーの炒め煮?白和え、混ぜ飯、押し寿司、魚の煮付け、イカの煮付けなどなど。
よく、廊下に、煮汁をこぼしてたよね、と言う話をしたら、全く覚えていなかった。

若い時は、ないない、と思っていたが、煮汁をこぼしたりは日常にあることだ。
人には言えないなと思う。

もう、義母は、3歳児と、夫は言うが、いや、おそらく1〜2歳児だよと言う私。

うちの夫は、仕事柄、朝早く、今は1時間ほど遅くなったが、帰りも遅い仕事なので、とても子育てには余裕はなかったし、地区の役員もあったり、学校の役員もそこそこやってきた。

今日も同じ地区の分区長から電話があって、一つの役員がまた、回ってきた。
ほとんど、名ばかりなので引き受けた、と言うよりも、うちの地区は、もう、お年寄りが多く、分区長をできない家もあって、本当にすぐに役員がまわってくる。
田舎なので細々とした役があったりする。

まあ、やっていくしかないが、そんなこんなで、嫁が仕事とはなかなか、ならない我が家である。

義母は、7月の末で89歳である。
昨日も、デイケアに行って帰ってきた義母は、何かの競争で一番だったと、帰ってきて速攻、私に話してくる。
競争心があるし、頑張っている、精一杯生きる、そんなお手本ではないかと思ったのだった。
我が家で一番活き活きしてるよね、と思う。

義母の作っていた田舎風のいや、義母風の、お煮しめは、ピカイチ、相当美味しかったし、混ぜ飯というものも、おそらく誰にも負けないくらい美味しかった。

もっと元気な記憶のあるうちに聞いておけば良かったと思ったのだが、お煮しめは、聞いて、一度は作ったのだったけどやはり、義母の作るお煮しめの味は出せなかった、あとは、想像と、研究して、作って行くしかない。
一度や二度で決して出せる味ではない。
料理は何度も作り、極めていくものだと思う。

親が元気なうちに、少し早いと思っても、習っておくのが良いなと後悔している部分である。

しかし、義母は、一度忘れたと言っても、また、思い出すこともたまにある、だから、また、この話をして、思い出すかもしれない。

しかし、義母は、今では、杖いる??

と思うほどに元気に歩くし、誰よりも、食欲があるのか、もりもり食べる、もりもりと言っても、88歳のもりもりだけど。

義母から教えられること、まだまだあるのだと思う。

今日も、最後までお読みいただき、ありがとうございました^ ^

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