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腹鳴恐怖症だった私と吃音症の娘NO.167 今年度最後、娘の病院の日!そして全員を敵に回したと思った瞬間。

いつも、お読みいただき、ありがとうございます。

皆さんは、自分の置かれた環境で、全員を敵に回したなと思ったことはありますか?

私はここ最近、ありました。
しかし、一瞬、1時間内といった感じです。
なんとも言えない雰囲気ありますよね。
家族内のことですが。
あくまで、私の心の中の話です。
自分の味方をしてくれる家族がいないなと感じる時です。

いくら自分の中では、頑張ってると思ってることも、報われない努力ってあったりしますね。

そして、義母の介護を再び、となる前に働いていたところでも、全員を敵に回したと思うこと、あったなーと思い出しました。
もう、思い出さなくても良いレベルなのですが、今日はその話をしたいと思います。

その職場での出来事ですが、全員と言うよりは、こっちの味方は、自分ともう1人。向こうの味方は残りの8人。
そんな感じでした。

『昨日の味方は今日の敵』なんて、言ったりしますよね。
その時、そんな言葉を思い浮べたりしました。

その時は、私は8人の方と、合わせて、仲良くしていました。
仲良くする為に、人の悪口も、心では嫌だなと思いながら、2時間も付き合ったこともあります。
初日から、それは、何度もありました。
私は入ってすぐだったので、ほとんど、うなづくか、聞くかのどちらかでしたが。

なので、その時は全員敵に回した状態と言えます。

数時間でその事は解決し、元に戻ったのですが、女の世界はとても怖いとなと思います。

言い方がキツかった人は、皆んなから好かれてはいませんでした。
しかし、もう1人のボス的存在の人は、みんなに慕われて?いました。
その、ボス的存在の人が、ある日、よりによって遅れてきました。
みんなは、その人に、日頃ペコペコして合わせていました。
人柄はともかく、仕事はでき、さばけているからです。
私も、結果ペコペコして、合わせていた1人だったことに違いありません。

私が辞める決心をした頃、そのボス的存在の人は、皆んなから、よく思われていなかったということが、他のおばちゃま方の証言でわかりました。
お金の問題や、色々な話を聞きました。

私は、働いている時には、理不尽なことを言うなと思いながら、そのボス的存在の人は、みんなから好かれていると勘違いをしていました。

私が辞める頃になって、そうではなくて、全員から好かれていない事が分かり、私がいつも、休みの日に振り回されてるから、心配していたと、ある人から言われたのです。

私は、初めは、嫌ではなかったのですが、仲良くしていくうちに、だんだんとエスカレートしていき、仕事前も呼び出されるようになりました。
色々なことに、気を遣い、ペコペコしている他の人たちも見ました。

面倒見は良かったのですが、うちの家庭は、おそらく、めちゃクチャになるなと、思っていた頃と、娘が、吃音症で学校を頻繁に休みだしたのは、ほぼ、同時期であり、コロナ禍でもありました。

そこまで暇な人はいないと思いますが、そのボス的存在の人は、暇だ、暇だと口癖のように言っていました。

私はすごく、職場と家の距離が近かったので、よけいに、朝から暇だから早く出てきてと、上から圧をかけられ、仕事前と、仕事後に、ぺちゃくちゃと喋るのは毎日のことで、とても、そんなことに合わせたいとは、心の底では思っていませんでした。

実弟に、その頃相談していたら、その嫌な空気もらってくるから、良くないよ、早くそんなところ辞めろと言われていました。

しかし、私は経済的なことや、年齢のこと、職場が家から近いこと、色々考えて、なかなか辞める決断ができず、自分さえ我慢すれば良いことだとも思っていました。

ある日たまたま、ボス的存在の人が遅刻して、その時に、上司がたまたま、職場に顔を出し、あることの手伝いをもう1人の言い方がキツかった人がしに行ったため、私はどうしようか、迷った結果、同じ班の、言い方がキツかった人が動いたから、自分も手伝うのが妥当だと思い動きました。
タイムカードを切ったことにより、目の前で女同士の火花が散りました。

後から、なんで、あんた、手伝ったんよ?
タイムカードを切って、仕事して、他の人は良い気はせんよ、と言われました。
しばらくは、2人浮いていたと思います。
上司はタイムカードを切ってと言ったのですが、もう片方の班の人たちは座っていたので色々と言われました。
その仕事はすぐ終わる仕事で、手伝うほどもなかったのです。
判断に困った私が出した判断でした。
色々な圧が怖かっただけでした。

要は、判断ミスです。
他の人と比べ歳も若く、職場での月日が浅い私は、そこまで考えることができず、同じ班の先輩が動いたから動いたのですがその日は、私は他の人から後からは話してもらえたのですが、もう1人の言い方のキツかった人は、数日は、1人ポツんとしていました。

と言っても、お昼ご飯は、一緒に食べるのですが、一言も口も利かないので、何とも言えない雰囲気でした。

女って面倒くさいなって、書いてて思います。

私は、昨年の3月、カウンセリングで藤原先生と出会うまでは、人に、物凄く気を遣い、自分の意見や考えがあっても、それを表に出すことはほとんどなかったように思います。
ある意味、人に合わせることは、得意になっていました。

任期満了のタイミングで職場から離れ、吃音症の娘としっかり向き合い、義母を再び介護することになった現在。

仕事を辞める時は、何事もなかったかのように、娘の吃音のことを理由に、時間が、バラバラだからとか、適当なことを言って辞めたのですが、それからも、ボス的存在の人は連絡してきました。

いっさい電話には出ず、LINEで上手いこと断り、数人の方からも連絡はきたりしましたが、もうその職場には戻る気はありません。

そんなこんなで、私は、他人軸から自分軸に考えが変わったのです。

家族とも対立することも、最近ではあったりします。

介護と一言で言っても、やさしい気持ちで接していても、届かない時があります。

人と人の考え方は違います。それでも思ったことを、正直に言える環境は良い環境だと思います。

今日、娘が、今年度最後、吃音でお世話になっている病院の日でした。

言語聴覚士の先生も、4月からは異動で
院内ですが、次回、引き継ぎをして、次の先生になります。
以前noteでも言いましたが。

中学校の入学式が終わらないと、動き出さないので、次回の予約はしてきましたが、どうなっていくのかは、まだ良くわかりません。

今のところ、娘は気を使うに人には、吃音を出さないように努力?をして、置き換えしたり、吃音ができるだけ出ないようにしています。   

病院では、卒業式や、入学式、お友達や、家族の話などを先生としたりして、メンタルリハーサルをやっていたようです。

言語聴覚士の先生も変わってみないとわからないし、中学校にも行きださないと何も始まらず、わからない状態です。

親子共々、中学校へ夢をふくらませている、今日この頃です。

病院から、中学校への書類も、入学式までにうちに、送ってくださるそうです。
入学前には中学校にも電話をかけ、担任の先生に詳しく、吃音のこともご相談できればと思っています。

今日も、最後までお読みいただき、ありがとうございました^ ^







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