【頼むから、死んで下さい】
「頼むから、死んで下さい。」
そう、言われたことがある。
「頼むから」
懇願している訳である。お願いだから。どうか。
「死んで下さい」
命を終わらせろという訳である。目の前からいなくなるだけじゃ足りない、この世から消えてほしいと言う訳だ。
その一言は、「強い」という表現には収まりきらないほどの強さを放ち、一瞬にして破裂した。高温に沸騰したあとすぐに、凍てつく闇に引きずり込む。
十八年間生きてきた君の体内に蓄積された言葉の中から選び出された、君が思いつく最も残酷な言葉だったはずである。
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病的に冷え切ったオフィスから芯の芯まで冷え切ったこの体を力なく引きずって真夏の炎天下に出た。ランチタイム。最近はお弁当も作っていない。眩しすぎる日光が、酷使したドライアイにしみて思わずくらりとした。コンビニで少しだけ買って、オフィスに戻ろうとする足をとめた。ふらふらとおぼつかない足取りで向かったのは、逆方向の小さな公園だった。
真っ白い太陽が、ひりひりと私の表面を焼き付ける。その中には酷く固く凍りついた私の中身。
あぁこの感覚を知っている。
この不安定な体温と、弱々しく浅い呼吸と、抜け出しようのない密閉感。なんだっけこの感覚、と探る間もなくはっきりと浮かんだ。あの日の君の顔が。べったりと貼り付いた。十八の君が。
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教師の目を盗んで、ブレザーのポケットにいつもケータイを忍ばせていた。今でいうガラケー。当時はガラパゴスどころか最新モデルだったあれだ。
賑やかな声が飛び、ポテトチップスの匂いが広がる昼休み、私は友人たちとくだらない話をしながら、軽い笑いを交換していた。ふと、振動を感じてポケットを上から軽く押さえる。鳴ってないか。だけど少し気になってちらりとポケットを開けて見る。ランプが静かに虹色の点滅をくりかえしていた。
友人達の軽い冗談に笑いながら、慣れた手付きでぱかっと折りたたみ式のケータイを開く。
うぐいす色の画面。濃灰色の点々で形成される機械的な文字。
その羅列に私の目が一気に吸い付く。
顔文字も絵文字も何も無い一列だけの文章が、私を闇に突き落とす。どん、と背中を無情に押して。明るい青空膨らむカーテン鳴り響く笑い声スナック菓子の匂いブレザーの紺色廊下を走る足音、
そして、闇。
明るい外の世界に触れてる体の表面はその体温を保ったままに、反比例して体の内面は急激に冷えていく。重く、冷たく、凝固して。
このアンバランスな体温と、浅くなる呼吸と、抜け出せそうにない闇に気づかれまいと、友人の冗談にけたけたと笑ってみせた。
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闇に突き落とされた、なんてよく言える。最初に闇に突き落としたのは自分のくせに。
冷たい深い闇に引きずり下ろして、その中を引きずり回した。ぼろぼろに君が擦り切れるまで。
純真無垢な少年だった君が青年になっていく過程の中で、私の色に呑み込まれていくのが、私のことでいっぱいになるのが、心地よかった。
傷つけると、さらにその色は濃くなり、さらに私でいっぱいになった。
君の白さを食べ尽くした。
卑しい私が持ち合わせてない白い白い純粋さ。ラグビー部の強くて大きな体は、小柄な私に食べ尽くされる。
ぼろぼろに穴だらけに荒んだ君が、最後に言った。あの一言を。
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最新モデルのあのお揃いのケータイが、ガラパゴスと呼ばれるようになり、
あんなに離れようとして離れられず遠くなったり近くなったりを繰り返した二人が、はっきりと分かれた二本の道をそれぞれ進んだ。
年に一度、君の音に鳴る私のスマホ。決まった日に決まった文章。「誕生日おめでとう。」
そのメールは毎年届き、私も毎年送った。そのうち君に彼女が出来て、そのうち私は結婚した。
ある年の春。
何度か書いて消して書いて、最後に送らない、と決めたあの年のあの日。「君」だった四月五日が、ただの四月五日になったあの日。
その年の私の誕生日に無言でいてくれたのが嬉しかった。私の無言をちゃんと受け取ってくれた。無言をちゃんと返してくれた。あの誕生日メールは惰性で続いてたのではなく、君の意思だったと確信できた。
そんなところまで、君はちゃんと君だった。
最後までちゃんと、君だった。
無言に無言で答えて、私達は最後のつながりを断った。もう、交差することはない。
柔和な君に、優しい君に、あんな酷い言葉を絞り出させた存在はきっと生涯私だけだろうと、
遠く遠くまで離れてもう二度と交わらなくても、きっと君の記憶から私が消え失せることはないだろうと、
そんなところにふとちいさな安堵を見出してしまう私は、やはり歪んでいるんだろう。
目に焼き付いてるあの一文が、あの日ガチャンと鍵をかけた。私の本能と本性を閉じ込めて。
君の中には傷跡のついた心臓が、私の中には鍵のかけられた心臓が、今日も時を刻んでいる。
ぇえ…! 最後まで読んでくれたんですか! あれまぁ! ありがとうございます!