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問いを発する

『これらのなにがダメかって、その人の人間としての権利を奪ってきた、奪われ続ける社会をつくってきたからなんだよ。』石川優実

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映画をみながら、羨ましくて仕方がなかった。
積極的に発言できる子どもたちと、授業の方法について話し合う先生たち。

時間になっても席につかない生徒について、
「怒鳴って言うことを聞かせれば、子どもたちの行動の理由が、先生に怒られないために、となってしまう。」
彼は、生徒に対して敬語で接していた。学校のルールとかではなく。



国語の授業を通して、文章を深く読むという経験をする。大切にしているのは、子どもたちから問いを引き出すこと。

『ちえちゃんは、空襲から逃げるときにお母さんとはぐれてしまいました。逃げる人々のなかで、お母さんを探していると、おじさんに「お母さんは後から来るから大丈夫」と言われて、抱きかかえられて逃げることができました。』

みんなどうおもった?
「男の人は背が高いから、遠くにいるお母さんが見えたのかな?」
「でも、このおじさんはだれ?」
「ちえちゃんのお父さんは、戦争に行ってるから一緒にいないんだね。」
「じゃあなんで、このおじさんは戦争に行ってないの?」
「おじいさんに近いおじさんだからじゃない?足腰が弱いから戦争に行けなかったんだよ、先生みたいに。」
「そんなことないよ、先生はまだお兄さんの雰囲気があるよ。」
「ありがとう。」
「近所のよく知ってるおじさんかな?」
「このおじさんは、ちえちゃんやお母さんのことを知らない、なんでもないひとだったんじゃない?」
「おじさんは、『この子は親とはぐれたんだな、助けなきゃ』とおもってちえちゃんを抱えて逃げてくれたんじゃない?」
「だってこの状況で、小さな子どもがひとりでいたらおかしいもん。」

生徒たちは次々と発言し、先生は大きく頷いたり生徒の言葉を繰り返したりと興味深く聴き、ほんとうに(すこし泣きました)理想的な討論が行われていた。その理由は、生徒たちが自分に自信を持てる環境がつくられているからだとおもう。誰も、恥をかくことを心配していない。教師から生徒へ、また生徒が互いに注意することはあっても、バカにしたり蔑んだりしないからだと思う。しかも、子どもたちがが先生につっこみを入れる場面も多くあった。いろんな方向の矢印がある。

『これから生きだそうとする子ども、自分の足で立とうとする子どもを"カワイイ"にとじこめる権利は私にもあなたたちにもないはず。
 大人にとって(子どもがカワイイだけの存在であれば、)どんなにらくでしょう。そんな子どもと向き合う大人の地位はどこまでも安泰で、おびやかされることはありません。問いを突きつけられることもなく、したがって自らを変革する必要もありません。力ある者はその力による支配を脅かされる心配のないものを「カワイイ」と呼ぶのではないでしょうか。』清水真砂子

先生だけが正解を知っている、生徒は受け身で言われたことをするだけ。そんな一方向の教育では子どもたちの自信は奪われ、権力をもつ大人にとってはコントロールしやすい人間となる。忖度したり、わきまえることが得意な人間になる。

でも本来学校とは、自ら学ぼうとする子どもを育てる場所であるはずだ。教育によって自分の尊厳を捨てさせられ、だから多くの大学生はヤケを起こしているんじゃないか。僕も週3で飲み会をしていた時期があったけれど。

教育に限らず、

『たぶん、大半の男が「守る」と「支配する」の違いを認識できていないと思う。
女性がひとりで生きていけないように社会全体で仕向け(女性の賃金を低くしたり、)男に依存しないと生活できないシステムをつくり、女性の生殺与奪の権利を男が握り、「面倒をみてやってる(結婚など)」を「守る」だと思っているんでしょう。

でもそれは、与えているようで奪っているだけだ。』石川優実

相手を自分の下に置く。自尊心を奪うことで、言うことをきかせる。

『この学校は、ロボットをつくるための場所ではありません。』映画「あこがれの空の下 〜教科書のない小学校の一年」

この学校で教師は一方的に教える側ではなく、課題を用意し、それについて生徒から発せられた疑問を整理する、自主的な議論を促すという役割を担っていた。一般的な学校のやり方とは正反対で、教師はあくまでサポート役で、主役は生徒たちなのだとおもう。

問いを発した子どもを尊重し、生徒たちが自ら考えることを大切にする。だから授業は想定していなかった方向に向かう。予定通りに進めようとすれば、生徒の発言を無視するしかなく、その態度はすぐにバレる。

ここで重視されているのは、言うことをよくきく「良い子」になるよう育てることではなく、また意思を持たない従順な人間をつくることでもない。生徒一人ひとりを尊重し、自ら学ぼうとする子どもを大人が手助けすること。物事に対して疑問を持ち、みんなで意見を出し話し合うこと。

自分が学生だったころを振り返ると、疑問を言葉にすることなんてほぼなかった。問いを発することが、こんなにも豊かな学びの場をつくるなんて、今回はじめて知った。
勉強を通して学ぶことの面白さを知った、というだけで幸運なほうなのかもしれないけど、この映画を観て、もっと面白いことがあったんだ、という驚き。

自分の中で何度も反芻している学校での思い出も書きたいけど、もう家に着くのでまた今度にします。(仕事帰りの車のなかで書きました。自分のことを書くのは、なかなか苦手です。)


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