見出し画像

HADOの歴史について語ろう。〜2016年編〜

スポーツ観戦をする上で、コートで何が起こっているのかわからなくては楽しむ事が出来ません。それと同様にスポーツの歴史を知っているか否かで観戦体験は大きく変わります。

何故ならば戦術一つをとっても歴史背景という文脈を無視して語る事は出来ないからです。

そこで今回はHADOの歴史を振り返る中で戦術がどの様に生まれ、移ろいでいったのかを考えていきます。

そもそもHADOってなんなの?という方には"HADOの生みの親"こと本木さんのnoteをどうぞ💁‍♂️

という訳で、初めての方ははじめまして。久しぶりの方はお久しぶりです。
HADOチーム、わちゃわちゃ☆ピーポー所属プレイヤーのぶちょう。と申します。 よろしくお願いします。

2016年シーズン


HADO WORLD CUP2016

記念すべき第一回大会。

W杯と冠してはいるものの、参加チームは国内チームのみ。
出場チームは事前応募から抽選で選ばれ、現在のスタンダードなルールとなっている3on3の他1on1等のレギュレーションも存在していました。

出場チームにはわちゃごな☆ピーポー(現57☆TOKYO)やEXPENDABLES等現在でも活動しているチームも含まれており、彼らはHADO界の中でも特に歴史のある、いわば最古参チームに当たります。

また、初代W杯王者であるランニングクラブには現わちゃわちゃ☆ピーポー所属のD選手が所属していました。
上記PVには現在も活動しているプレイヤーが他にも登場しているので探してみても面白いかもしれません。

当時のシステムについて

・チャージの自動装填
現在のHADOではデバイスを付けた腕を上げ、エナジーボールを撃つためのチャージを溜めなくてはならない。(最大5発分まで溜められる。)
しかし、当時のHADOではエナジーボールは1発分が自動装填される形式だったため、クールタイムさえ待てば腕を振るだけでエナジーボールを撃つ事ができた。

・ブーストタイム
試合時間残り20秒からブーストタイムとなり、エナジーボールを撃った後のクールタイムがなくなる。そのため、チャージの装填を待たずに大量のエナジーボールを放つ事が出来た。

・シールド
現在のシールドと比べてかなり小さく、上半身が少し隠れる程度。チャージは不要で腕を下から振り上げるだけで貼る事が出来た。

・ステータス
現在のHADOでは1人10ポイントのステータスをエナジーボールのスピード、エナジーボールの大きさ、チャージの溜まる速度、シールドの強さの4項目に振り分ける事で自らのステータスをカスタマイズできる。
しかし、2016年当時のHADOにはこのシステムは存在しなかった。

当時の戦術について


ステータスによる役割分担が持てないため、個人能力への依存度が高かった。
自動装填式のため現在の様なチャージ技術は必要とされないが、腕を素早く振って装填され次第エナジーボールを撃つ事が求められた。

当時のシールドは身を守るにはサイズが小さく、シールドを貼ってもエナジーボールですぐに破壊されてしまう事からあまり効果的ではなかった。
そのため、チャージが不要と言えどもシールドを貼るアクションよりもエナジーボールを撃つ事の方が優先度が高かった。

シールドで身を守る事が難しいため、回避の方法としては両サイドを行き来する事で弾幕の様に押し寄せるエナジーボールをやり過ごす方法が主流だった。

この動きをチームとして唯一落とし込めていたのがW杯初代王者のランニングクラブであり、3人が前衛、中衛、後衛に別れる事で回避時にお互いのスペースに干渉する事なく、より自由に動く事を可能としていました。

正に「約束事は動きを縛るためではなく、自由を与えるための物である。」という好例であり、各チーム手探りでアドリブ的な戦いをする中で随一のオーガナイズされたチームでした。
今振り返ってみても優勝に相応しいチームだったと言えるのではないでしょうか。

今でこそフォーメーションというのはHADO界でもありふれた戦術の基本ではありますが、そのルーツは第一回大会から存在していたのです。

あとがき


今回のnoteは「HADOを観戦していても何が起こっているのかわからない。」という人のために書きました。
「観るよりもやる方が楽しい」というスポーツやゲームというものは得てして何が起こっているのかわからないという点があるのではないかと自分は考えています。

現在のHADOもご多分に漏れずその「観るよりもやる方が楽しい」ものの一つであり、「何が起こっているのか」を伝える必要があります。

しかし、前書きでも触れたように戦術一つとっても歴史的背景を無視する事は出来ません。

そして、その歴史自体を知る人も語れる人も多くはありません。
僕自身当時のHADOについて多くは知りませんでしたし、この機を逃せば歴史として残る事はないだろうと思い、このnoteを書きました。

このnoteを書くにあたって、当時を知り、なおかつ現在もプレイヤーとして活躍している前P選手に協力していただきました。
本当にありがとうございました。

このnoteからHADOに興味を持ったり、歴史を語るキッカケになれば幸いです。

追記
このnoteの続きとして2017年編も書きましたので良ければこちらもどうぞ。


貴方にとってこのnoteが有意義であれば幸いです。 普段は「HADO」というスポーツのプレイヤーをしています🍌  スキ、フォローで応援頂けると嬉しいです