坐ることの大切さ

ただ坐ること。それは座禅という、仏教の日本の宗派において発展した禅宗の教えの基本的な教えであり、ただ基本的な教えでありつつ、それそのものが本質でもあるというものです。

なにかを得ようと思って坐るとしたら、もうその時点でなにかしら意図は働いており、無心になることには近づいてはいないということです。


自ら執着を手放すことで自分がとらわれている欲望や、迷妄から離れ、苦しみを減らすことができることを仏教においては重視していますが、呼吸という観点で見ても、やはり坐ることはとても大事なことだなあと思うのです。

ついつい普段の暮らしをしていると、自分の呼吸に目を向けることが少ないわけですが、ただ坐っていると、自分の心臓の音や、呼吸の速さに気づけることがあるでしょうし、それをまた自分の意志でもってある程度の調節ができることであると気づける人もいると思います。


息をなが〜くたくさん吐くことで、気持ちがすこし落ち着いたりします。すると不思議と脈拍もまた落ち着いてきたりして、頭もスッキリしてきます。

ひさびさに丹波市の、薬草薬樹温泉にいってサウナと水風呂と外気浴を楽しんできましたが、スカーンと気持ちの良い呼吸ができて、ご機嫌な気持ちで仕事や作業に取り組むことができました。これで十分だなと思います。


昨年からの取り組みで、徐々に変化はしてきており、確実に生活も態度も変化していっています。自分の取る態度が変わると起こる事実も、関わる人も確実に変化していきます。その景色を眺めるように生きていきます。


今年に入って、運は良いと思います。いろんなものが順調に運ばれてきて、また自分もエッサホイサと運んでいるつもりですが、手数が追いつかないくらいに運ばれてくるものに対して、ついつい睡眠不足や休息不足になってしまいがちなので、メンテナンスこそ重要な仕事と意識しておきたいです。


もやもやした頭で仕事をすることを、できるだけ避けること。
こころを落ち着かせ、余裕を持って取り組みたいと思います。


まあ目的をもって坐ってちゃ「それは違う」となってしまいますが(笑)
なにせご機嫌よく生きることができればいいと割り切ってます。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。