買ってよかったと思えてきた

古民家を買ったことを後悔したことというのは、一時的にせよ、割と何度かあった気がします。


まず家に縛られてしまうということ。

持ち家だから、簡単に引っ越すわけにもいかないし、いろんなところで自由気ままに生きていくってわけにもいきません。お金がなくなっても適当に家賃の安い暮らしにするために、借家を低価格に抑えようなんて話にはできないので、暮らしに関する柔軟性は少し下がった気がします。


そして割とやらなきゃいけないことが多いこと。

草刈りも掃除もだし、村づきあいも、村での作業なんかも結構やることがあるって、あとから気づいたのでした。そういうのも田舎暮らしの醍醐味かななんて思ってたけど、実際に忙しくてやってられない感じになると、嫌になっちゃうこともあります。いまでも。


さらに自然相手はほんとに悩ましいということ。

草も、虫も、獣も、天気も、もう本当になにもかも思い通りにいくものはなくて、予想だにしてないことばっかり起こる。予想外に損害が出たり、支出もあるし、理由なんかわからないし、理由なんか全然ないけどいきなり困らされることなんか全然ある。だからまじでなんともならない。


それでも、なぜそれが自分にとって「なんだかなあ、やだなあ」という気持ちになってしまってたのかなあと思うと、自分が計画したことが崩れそうになったり、予想を超えた不安なことが起こったり、理解も対処の仕方もわからない解決策の見えない課題が生まれたりするからだなと思ったのでした。

結局のところは、「計画通り・思い通りにしたい」とか「予想の範囲内で安心していたい」とか「自分が解決できる課題を選り好みしたい」とか、なんかそういう気持ちがあったのかなと。つまり、不安を避けたいとか、合理的でありたいとか、そういう気持ちだったんだなと。


そうすると、じゃあなんで不安を避けたり、合理的でありたいかといえば、うまくやらないと困ることがあると思い込んでいるからなんじゃないかという恐れがあったんだろうなと思ったのでした。それは、単に不安が嫌だというシンプルなこともあるし、一方でその不安によって時間が奪われたり、合理性を損なうことでやはり時間を奪われたくなさそうだなと感じました。


じゃあ、なんでそんなに時間を奪われたくないのか。認めたくないところに向き合えた気がしました。僕は、お金をちゃんと安定的に稼いでおかないと不安だったんだということに気がつきました。もちろん、稼ぐだけじゃなくて、人にとって喜ばしいことをし続けているとしたら、きっと何か困った時にはきっと助けてもらえるはずだろうっていう気持ちもありました。

好きなことばっかりやっているのは確かですが、好きなことが仕事になるためには、それを仕事にするためにやらなきゃいけない時間的な投資が莫大にかかってきたことを、僕なりに感じて生きてきたんだろうなと思いました。

好きなことを仕事にすることはできても、それで満足な暮らしを立てていくのは簡単なことではない。もしくは、仮に満足な稼ぎがあまりなかったとしても、みんなにしっかり支えられて生きていくってのでも構わない。それもまた簡単なことじゃないことに変わりはない。

だけどそれを実現し続けていたいので、僕は時間をきちんと安心・安全のため、将来の不安を取り去るために使いたいという強い欲求があったから、いろんなことを大事にしてこようとしてこなかったんだなということが最近すごくわかってきました。


そして、そこから徐々に離れつつあります。安心が手に入りつつあります。

それは実際にお金が手に入ってきているということも一つの要素ではあるけれど、それよりも、僕は多分なにかに困ったとしても、本当に本当に困ったと伝えたらなんとかしてもらえるような関係性をこれまでの人生で「構築できていた」と、信じられるようになりつつあるのが大きい気がします。

だから、不安が徐々に薄れつつあります。そうすると、その不安を解消するための時間を確保できなくなることへの恐れや嫌悪感が薄れていきます。


だから、最近になって身の回りのことを、ようやく大切にする余裕が本当に生まれてきたように感じています。それは「大切にしたほうがいい」から「しなくちゃ」と思って、無理にやろうとするような義務感ではないもの。

「それを大切にするととても嬉しい」と本当に思える気持ちが芽生えるくらいに、不安が薄まり、心に余裕が生まれてきたということを感じています。だからこそ、いま自分の持ち家があって、それを大切にし、この居場所から生まれる物語に対して、ようやく期待が生まれてきています。


すでに買ってから6年も経っています。でも心境ってのは、こんなふうに徐々に、ただ確かに変化していくものなんだなと感じています。

先日は当帰(トウキ)の苗を畑に植えて、昨日は無花果(いちじく)も植えましたが、今日はブルーベリーの苗をひとつ果樹園に追加しました。植物は本当に不思議というか、凄くて、生きる力に本当に驚かされます。雑草とかにはひたすら悩まされますが、それでもちゃんと本気で関わってみると、絶対になんとかできないなんてことはなくて、やりようはあるなと思います。

でもうっかりと僕が見逃してしまったりすると、シロアリに食われてしまったり、枯らしてしまったこともあり、生命のやりとりから勉強させてもらうことがいっぱいあります。めっちゃ学びがあります。


世の中にはそんなことに長けていたり、経験をたくさん積んでいたりして、めっちゃそういうのがうまくやれる人たちはいっぱいいて、自分の未熟さに気付かされます。まだまだ生きる力が全然ないんだなと痛感させられます。

でもその力がないから落ち込んで、手が止まっていてどうするんだろうってことを、自分がそれなりに得意なことには思えるくせに、ちょっと経験の浅いものにはそうやってションボリしているわけです。なんだ普通だなーと。


そう、そんなことをたくさん気付かされますが、だからこそやりたいなあと思えるようになってきたし、できるんだ、できたんだ、と思えると嬉しい。

なんかそれがようやく、7年目に入って楽しくなってきたのでした。ものすごく時間がかかっておりますが、めっちゃいい買い物したなと思ってます。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。