この世界はうつくしい
なんもやる必要がない時間が生まれるときこそ、本当になにかしたいことというのは内から湧き上がってくるものであると確信する。
そういう意味ではやはりなんもしなくていい時間をいかに作っておくかによって、自分が本当にしたいことを見つけるための大事なヒントまたは答えを探し当てることができるのだと思う。
忙しすぎる生活の中でも、サウナやヨガや座禅のような瞑想するような時間を持つことで自分を整えることができることは間違いないが、やはり余裕というか完全にヒマを持て余すくらいのなにもない時間が大切だと感じる。
なんにもなさすぎて死にそうだな、となってから、死ぬのならこれをやっておいてから死にたいなっていうくらいの熱い思いで出てきたやつをやるんだということが、極端だけどいい感じなんじゃないのかなと思う。
さてインド滞在も残り二日である。
あとは、このマドゥライから、飛行機に乗るための国際空港があるコーチンまで行くだけだ。しかし、なぜか電車が取れないっていうことで、わざわざ最南端のほうにある街ナーガラコーイルを経由することになった。
朝の5時20分くらいにホテルを出たが、もうこんな早朝から活動している人がいるんだからすごい。とってもいいホテルだった。ありがとう。
街はもう忙しく動き始めていて、2時〜4時くらいしか寝てないんじゃないかこの街は???と思うほどである。大通りを抜けて、駅の方に歩いていく。
途中で愛想がいいんだか悪いんだかよくわからないおっちゃんのお店でチャイを飲む。ムスッとしているんだが、態度は友好的であるから不思議であるが、なんかインドの人ってこういう感じの人が多いよね。おもろい。
おっちゃんのチャイうまかったよ。
さて、裏通りを抜けてジャンクションへ。駅へ着くともうすでに電車が来ていた。どうやら30分前には準備できて待っているのが、こういう特急列車の始発電車のお決まりらしい。日本でも数分待つことは確かにあるなー。
電車が走り始めて、すこしすると「テテーテテーテテーテテー」っていう、なに言ってるかよくわからない人が入ってきて、なんだろうと思ったら、インスタントで作るチャイを入れてくれるらしいことがわかった。10ルピーを支払って飲むが、インドでいちばん大したことない味だった(笑)
やっぱそれぞれのお店でつくってくれているやつを飲むのが楽しいな。まあ電車の中で飲むチャイも悪くないということだけはわかったのと、車内販売みたいなものは、これ以外にもガッツリとメシも運ばれてくる。まあ数時間の旅になるから、そりゃそうかーって感じであるが、いろいろ勉強になる。
車窓からはいろんな景色が見えた。別になんということもないが、風力発電の風車が回っているのを撮っちゃうのは日本でもやったことあったなーとか思いながら写真を撮ったが、特別どうってことはない。
途中の駅で、インドのおじさんだなーっていう感じの半裸おじさんが乗車をしてきてそれらしい表情でそれらしい仕草をして、インドらしさを表現してくれたので、ごめんこっそり撮った。あまりにもインドらしくてね。
そうこうしているうちに、電車が到着した。カンカン照りというやつで、日本の夏でも特別熱い日に出る「あ〜ぢぃ〜〜」という声が出た。ちょっと、あまりにも暑すぎる。さすがにここらはインド最南端である。
到着するとまずはチケットセンターへ向かった。ここナーガラコーイルには経由地として立ち寄ったのであって、この場所で一泊することはなく、夜の便でコーチンの方へぼくは旅立つからである。
ジャンクションでチケットを買うのもやり方がわかってきた。まあとにかく目的地を何度も言う、そして出発時刻を何度も言う、ひたすらこれである。
よしこれで無事にチケットをゲットした。これでコーチンにはいけそうだがけど、出発時刻が夜中の2時だということだけがネックである。とはいえ、帰れないのではもっと困るのでそんな贅沢は言ってられない。深夜に乗って朝の8時前には到着する6時間の旅である。
さて無事にチケットも取れたのであとはヒマを潰すのである。本でも読もうかなあと思ったりするものの、とりあえずちょっとお腹も空いたのでメシを食おうかということで、人類にはGoogleという情報収集手段がありまして、インドの最南端にまできてもちゃんと機能はするのでござる。
街自体はちょっと田舎感ある。鹿児島の佐多岬にいくような感じやからね。
途中でインドにはよくある食料品のよろず屋さんで、半裸のおじさんに遭遇した。なんの実かは知らんけど、鉈でリズミカルにザクザク切り落としては、お客さんにホイって渡していく。ええ感じの田舎感ある。
あ!レッドバナナさまだ!!!
敬虔なインド教レッドバナナ宗派の信者である僕が、これを見逃すことはできないので、もちろん今回も購入して、滋養に頂きたいと思う。
青いバナナもあるんだけど、これはどうやら生で食うというよりは、調理をして食べるらしいということを聞いたので、ちょっと今回は選ばない。
レッドバナナさまにお仕えする小さなバナナも一緒に。僕の親指よりも、若干大きいかなくらいのやつ。どんな味がするんだろうか。
いやそれはそうと、レッドバナナ1本と小さいバナナ2本で8ルピーだったんだけど、ちょ、ちょっとどういう価格破壊なの?
レッドバナナ4ルピーで、小さいバナナ2ルピーくらいかな。なんせ安いな。昔からインドが好きな人にとっては物価がどんどん上がっているんだろうなと感じるけど、レッドバナナ15ルピーでも僕はいつでも愛している。
もはやレッドバナナさまの味はいつも通りうまいので割愛である。
なんどもレッドバナナの写真あげてもしゃーない(笑)
こいつである。この小さいバナナ。
皮が異常に薄くて、向いた瞬間にふんわり甘い匂いがしてくる。
食べてみると、期待を裏切らない甘さ。ねっとり感。
普通のサイズのバナナの熟れたところだけで構成されている感じの甘さ。
こっちきてバナナが甘すぎないところが好きなんだけど、悪くはないけど、ちょっと僕はもうすこしさっぱりしたバナナのほうを好んでおります。
到着したおしゃれなレストラン。
すぐゴハン大盛り出すインドなので警戒が必要だが、そろそろラストのビリヤニになりそうである。エッグビリヤニを頼んで食べた。衝撃が走るほど、とはいかない、うん、普通に美味しい。
お腹いっぱいになって、外を眺めるとクソ暑そうな天気。真夏の炎天下よりもう1段階暑そうなレベルである。きっつー・・・。
まだ13時すぎくらいであるから、ちょっとブログでも書いて時間を潰そうかってことで書き始めて、ゆっくりと書いて1時間くらいで書き終わった。
ひま。
絶望的なひまである。
買った本でも読めばいいのだが、なんとなく気が乗らないし。
わかっちゃいたけど、インドの最南端でやることなんかないし。
最南端っつったって、海くらいしかないし。
海か。海なあ。綺麗かなあ、いっぺんくらい海岸見てもいいか。
海岸か。夕陽とかきれいなんかな。
え、夕陽?夕陽あるの?天気いいよね?
インド最南端にきてるのに、夜中2時まで暇なくせに。
ここまできて、きみ、インド最南端の夕陽を見ないの?
ちなみにここ。
そしてもうちょいわかりやすくここ。
さらに詳しくいえば、ここである。カニヤクマリ。
まじで聞いたことが一回もない。人生で一回もないよ。
レストランを出たすぐのところがバス停だった。
そこからカニヤクマリまで30分ほど乗れば到着する。
バスに乗りながらカニヤクマリを調べてみると海側の聖地だった。
山の聖地はアルナーチャラであるが、カニヤクマリは海側の聖地。
なっっっっんも興味なかったけど、なぜか来ることになるのは、なに?
ちょっとこういうことしかないインド旅で、もはや見えない何かの力に導きを受けていると言ったっていいでしょ。ねえ、いいよね。
そういうわけで、あっという間にバスが着いてそこは海。
ほはーーーーー!海か!海かーーーー!
くっっっそ暑いけど、潮風が吹いてくるとテンションが上がるものだ。
近くのモールには商品がずらりと並んでいて、大きな巻貝の笛とかも売っている。大阪の商店会とかで同じ雰囲気を見たことある感じするな。
商店街を抜けた先にあるのが、南インド最南端のお寺。デヴィ・カニヤクマリ・テンプルというらしい。ここを抜けて、そのまま先へ進んでいく。
あ!!!なにあれーーーー!!!
「カニヤクマリ 石像」で一撃で出てくるんだから、もうこのテクノロジー社会ったら本当になんでも僕に教えてくれる。すげーな、名前が。
タミルの詩人ですって。もっとも南端にある場所から見える離れ小島、ここに建てるということは何世紀にも渡って語り継がれるであろうことは容易に想像がつくもの。そこでなにを銅像にするかってとき、詩人を銅像にするというのはなんかいい。
なんか有名な作品でもないかなと探してみたらtwitterのbotがあった。
ふかい。
というか、1500年前も同様のことが金言と言われていて、今もそんなに変わらないということは人間そんなに変わらんということかな。
海岸沿いを歩いていって、もう少しティルヴァッルヴァル像が見えやすい、座りの良いところを見つけてぼーっとしていた。ときどきいろんな人のことを思って、合掌をした。合掌して愛を届けようとしたり、幸せを祈ったり、苦しみが消え去るように願ったり、いろいろした。
ティルヴァッルヴァルは詩人なので、そんなん僕に言われても、と思ったのかもしれないが、拝みたくなる場所にあるということが素晴らしいのです。
インドの旅を思い返しながら、ひたすら幸せな気持ちで佇んでいた。こんな時間が自分の人生には何度も起こってきた気がするし、それはとても恵まれていることだが、それがどうしたって自分の人生には起こると信じられる。
今回のインド旅なんか、もう明らかにそういう動きになるもんなんだって、そういうことが示されたことを感じた。不思議とかそういうもんではなく、もうそういうものなんだから諦めてくれ、というか、観念しろ、というか、信じろ、というか、安心しろ、というのか言葉が今はまだみつからない。
なにか不思議なことが起こる人生だなと思う。ただ、それはすべての人がそうであると僕は思う。自分の人生をひたすら過ごしていくうちに、個人で仕事をするようになったり、でかい会社の社長になったり、めっちゃ貧乏暮らしになったり、芸能人になったり、宗教を始めたり、罪を犯したり、人からめっちゃ褒められたり、人から衝撃的な裏切りをされたり、世界のどこかで暮らしたり、日本から一度も出なかったり、いろんなことが不思議なのだ。
「なんでこんな人生なんだろう」
そんな風に思うことは誰にでも一度や二度くらいあるものだろう。そして、それは誰もがきっと思うので、誰もが当たり前に思う感情なのだろう。
なんでこんな人生なのかはわからない。ただその人生をどう味わうのかに、人生の価値はあるのだろう。
他の人になることはできず、与えられた身体はそのまま魂が抜けるまで、その身体のままなにかしらの喜怒哀楽を伴う経験をしていく。
それが他の人が羨ましいという感情を持ったり、自分の状況が思わしくないといっても、なんにも出来ようがない。自分の世話を自分でする、それこそがやるべき唯一のことであって、他人を見てどうこういう必要は一切ない。
なんでこんな人生なのかという理由は、自分で勝手に決めればいい。それは答えなどないし、人生をいじけきって文句を言いつつ生きるのもひとつだ。足りないものを追いかけて必死で成長を重ねていくのもひとつ、足りないものを諦めて自分にあるものだけで生きていくのもまたひとつ、どんな人生も自分が生きるスタンスを決めて納得して生きて死んでいけばいい。
でも絶望して生きるには人生が長すぎるので嫌になってしまうと思う。
ただ希望をもって生きて成し遂げるには短すぎる感じもしたりして。
この世界が醜いもの、苦しいもの、悲しいもの、寂しいもの、辛いもの、と思うことができるだろう。それは誰にも許されているものだし、発言を縛ることはできても、心の中を縛ることなどどんな人もできたりはしない。
だけど世界はやっぱり美しいと思って、手を合わせた。
合掌していると気持ちが嬉しくなって、ニヤニヤとしていた。
となりのインド人の家族が面白がってみてくれて、小さな子供も嬉しそうに笑ってくれてとても可愛かった。みんなそれが嬉しくて家族が生まれていくのだとすると、それはとても自然なことだよなと息子たちのことを思った。
また手を合わせていたら、「おい、一緒に写真を撮ろう!」って声をかけられた。めっちゃカメラの調子が悪くてこんな写真だが、若い兄ちゃんたちがノリノリで楽しかった。どこの海岸も若者はノリノリで楽しそうだ。
デリーからきたインド人社長たちは、もうすごいうるさい。なんせオッサンたちが悪ノリで元気だというのはいいことだ。うるせーよっていうくらいに元気なおっさんと若者が喧嘩をするから国は面白くなるのかもしれないな。
夕陽の時間だ。夕陽は思ったよりも遠く遠くにあって、もうすこし大きく見えるのかなと思っていたから、ちょっとなんかもうちょっと見たいんだよと思って追いかけてみた。
そしたら、もう全然だめだった。追いつくはずがなくて、猛スピードで夕陽は落ちていった。こんなことならもっと早くそっちに歩いていればと思ったが、そんなわけあるか、と思い返した。夕陽はどこで見ても遠くで落ちていくのであって、追いかけたところで追いつけるわけがないのだ。
諦めてそこで見ておけば、疲れたりもしないのに、無駄な努力をしたか。
いやいや、そんなこともなかった。
誰も見に行かない場所の方までいったら、もう人は去っていった。
その先で見通しのいい夕焼けが見られたことがとても素晴らしかった。
なにやっても美しくなっちゃうのかよ。そうかい。
すこしいろいろ考えながら時間を過ごし、陽が落ちてからまた端っこに戻ってみるとライトアップされてる石像。こっちもまた美しくなっている。
いつかあんまり誰もいない朝にきて、ここで瞑想でもできたら気持ちが良さそうな建築物がある。一人でなにしてんのかな、こんなとこでと思った。
でもありがたいことに寂しがりやの自分が寂しくないように世の中と繋がる手段があって、それでみんなにありがとうって送ったりしていた。
お祭りはどこの国に行っても楽しそうで、みんなやっぱり楽しく生きるのが好きなんだな。だれも楽しくない生き方なんてしたいなんて思っちゃいないはずだ。そういう感じでみんなが生きて世界はできているんだな。
あんまり遅くなってもいけないので、そろそろメシを食って帰ろうと思ってずっと食べられなかったマサラドーサを見つけて注文した。
となりのガーリックチキンがお腹で爆弾が爆発しているのかな、というくらい辛くてめっちゃきつかった。今朝になってお尻で爆発していたよ。
バスに乗って途中まで乗って、あとは駅に向かうまでの一本道。暗いインドの田舎の夜道をひとりで歩いている。なんにも不安がなくて、旅行前に色々不安になっていたものは、もうとっくに消えて無くなっていた。
導かれるように進んできたこの旅も、あとは無事に帰るだけの最後の1日。
とにかくどうせ持って帰れるバッグはないし、土産はないものと思ってね。
みんなと会って話せる土産話はいっぱいできた。
はやくみんなと話したいなあと思った。