なんせ続けるんだということ

noteの音声配信を始めまして、これで7日目となりました。いやー、めっちゃ簡単すぎて、むしろ書くのめっちゃ面倒くさいと思え始めています(笑)


しかししかし、それでもやはり、文字情報というのはシェアしやすさを考えるとめちゃんこ大事なのです。まあそして、なんでか違う人格っぽさが出る不思議さがありますね。

ペラペラと言葉で流暢に早口で話せちゃうのと、なんでしょう、タイピングしながらつくっていく文章の口下手さのギャップすごいけど、まあこのクチというかフデというかタイピングというかの下手さもこれはこれでいいんじゃないかって思えたりもするわけですが。


いちいち100文字ちかく書いては、ふーって一息ついて、右上に記載されている文字数をチラ見して「え、まだこんなもんしか打ってないのか」なんて思って、自分が口で話せば一瞬で終わることを、こうして文章にすることの非効率さを感じるような気もして、しかしそれが文字になっているからこそ、それをみんなが見える形にシェアができたり、なにせ視覚情報になっているんだということですよね。


視覚情報は自分でそのスピードを決めることができるわけですが、流れていくような音声情報の場合は、youtubeであればスピードの調整が出来るわけですが、ちょっと新しいこととかを話しているのをゆっくりと考えて理解をするためには、わざわざ自分が流れる配信をストップボタンで止めて、「いまなんつった?」なんて止めて、考える時間をとらなくてはいけません。

文字情報の究極の良さは、自分のペースで早くも遅くも読めるし、途中からすぐ読み始められたりするってとこですね。そしてちょっと読むのを再開してもわからなければ、若干戻って読めば、すこし前の記憶を思い起こして読み直していくことで理解を追いつかせるってことができたりするわけで。


そういう意味では、やはり文字情報は侮れないなーって感じです。しかも感覚的にいえば、文字情報は左脳が作用している感じがかなりしていて、音声情報は右脳が作用している感じがしていて、それぞれが違う出し方をするイメージです。だから、音声情報も文字情報も両方やるってのはなかなかトレーニングとしてはいいなあーと、やりながら感じてたりもします。


音声情報を配信し始めて今日で7日経ちますが、文字情報を続けるよりも簡単ということもありますが、やはり文字情報で毎日配信をしてきた自信があるので、続けられないわけがない〜っていう気持ちでやれてて嬉しいです。

3日坊主にならず、着実に続けていくことの良さを実感する頃には、続けることが習慣化していて、まったく無理せずという感じでもないんですが、今はなんとなく「げげ、ブログ更新してない!!」っていう気持ちになるのが当たり前になったことは、けっこう変化したものだなあと思います。


まあどっかで、そのうち行水になったり、読経になったり、礼拝になったりするのかわかりませんが、とりあえずこれもまたひとつのお勤めです。しかもお勤めのつもりがご縁が生まれたり、仕事が生まれたり、新しい自分の可能性が広がる活動にもなるわけですから、これはホンマにやっすい投資やなつくづく〜、と思ってます。


最近ずーっとnoteの回し者かなと思うくらいにユーザー増やしている感じしますけど、自分の整理を、右脳と左脳と両方でやれているのはいいなーって思います。とりあえず習慣になったことを素直に喜びたいと思います。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。