Dialogue in the darkに行ってきました
15−6年前だったと思います。
当時CoachingやNLPを一緒に学んだいた仲間から、ダイアローグ・イン・ザ・ダークの話を聞いて、一度行ってみたいと思っていました。
一人で行くよりは初体験同士のパーティで参加したいと思いながら、なかなかそういう機会がなかったのですが、念願叶って先月末にやっと行ってくることができました。
実際に参加してみて、聞いていた通りだったなと思うところと、そうでもなかったなと思えるところがありましたので、このような体験から得られる気づきは人それぞれなのだろうとは思います。
それでも私自身の記憶が新鮮なうちに、自分にとってはどんな体験だったのかを振り返ってまとめてみます。
あ、ネタバレがあるかもしれないので、行ったことがなくて行きたいと思っている人は注意しながら読んでくださいね。
真っ暗になって起きたこと
私を含めて四人の仲間で集まって汐留の会場に着くと、最初に事前の注意事項の説明があり、その後に荷物を全部ロッカーに入れて手ぶらになります。スマートフォンとか時計も光るものは全部持たないようにしつつ、尖ったもの(キーホルダーとか含めて)も暗闇で転んだりすると危ないのでロッカーに預けます。
開始時間になると、他の三人のグループと一緒になり、案内役の視覚障がい者の人を入れて八人のパーティになりました。お互いをなんと呼び合うのかを確認してから白杖を渡され、使い方を説明してもらい、いよいよ中に入ってゆきます。
最初の空間では徐々に灯りを小さくして目を闇に慣らしてゆきますけれど、最終的には本当に真っ暗になります。
私が感じたままを言葉にすると、「真っ暗」というより「真っ黒」な空間が出現したという感覚でした。今まで体験してた闇はこれに比べると「濃い灰色」でしかなかったんだな、と思いました。
ふと死後の世界ってこんな感じだろうか、という思いがよぎりました。
目を開けていても真っ黒で何も見えない…
この状況の1-2分後、私がしたのは「目を瞑る」でした。目を開いていても何も見えないので開けているだけ無駄だなと思ったのが最初でしたが…
多分、目を開けてるのに真っ黒であることが怖かったのはあるなと今振り返って思います。
目を瞑ったことで私は「視覚を諦めた」状態になりました。
すると、その他の五感がフル稼働を開始しました。私はもともと聴覚優位なところがあったので、些細な音も聞き逃さないように神経が過敏になってゆきました。
あとは歩く足取りから地面の触覚もフル活用してました。
普段歩いてる時は視覚を活用しているので歩いてる先の地面が見えていますし、足の裏の触覚に頼る必要はなかったのだと気付かされます。
嗅覚、は使わないでも良さそうだったので、聴覚と触覚に意識をかなり集中して、闇の中を歩いてゆきました。手を繋いではいないので白杖で地面をつつきながら。
不思議と怖さはありませんでした。本当、不思議なのですが…
自分から目を瞑っていたので「見えない恐怖」がなかったせいかもしれませんね…
想像力ってすごい
闇の中をガイド役の声を頼りに進んで行くのですけれど、何もない部屋の中を歩いてゆくのではなく、部屋の中には実にいろいろなものが置いてあったり、仕掛けが施されています。
森の中を歩いたり、ベンチに座ったり、ブランコに乗ったり、電車に乗って旅に出たり、お茶とみたらし団子をいただいたり、丸太橋を渡ったり…
こうして書き出してみると短時間で本当にいろいろなことをしてました。
それらの体験の中で感じたのは、自画自賛になってしまうのかもしれませんが、想像力の素晴らしさ凄まじさ、でした。
ガイドの声で「この先に川が流れていて橋がかかっています」と聞くと瞬時にそのイメージが浮かびます。そして、白杖や手で触ってそれを確かめるとさらにイメージが鮮明になってゆきます。そして安心感を得られます。
そう、自分が今どこにいるのか、安全な状態なのか危険は迫っていないのかを確かめるために聴覚と触覚をフル動員しながら、実は視覚も稼働しており、見えない世界を頭の中で作り出していたのでした。それは見えてる時以上に鮮明だったかもしれません。
電車で旅をするところでは、ガタゴトを電車が揺れる音を聞きながら、自分の体が左右に揺れてゆくような感覚も得られました。
車輌内の四人がけの対面シートで、車内販売のお茶とみたらし団子をいただきながら、皆の食べている姿、笑顔すら浮かんでくるようでした。
そして、お茶は体に沁み込んで行くほど美味しく感じました。
「野原につきました。満天の星です」
と言われた時には、自分が天井が20mぐらいある部屋の中にあるような感覚になり、気温も下がってきたように感じましたし、風がそよいでいるようにも感じていました。
後で6畳間ぐらいの天井2mぐらいの部屋にいたのだと知った時には本当に驚きました。
視覚がなくても、こんなにも豊かに鮮明に世界を作り出して認識することを人間はできるのだな、ということに感動すら覚えた経験でした。
チーム、グループへの関わり
個人の体験として視覚がない状態で自分がどうなるのかを知れただけでも得難い体験でしたけれど、グループでそれを体験したことでこのような非日常体験で自分がどのように人に関わっているのかを改めて認識する機会にもなりました。
前半に暗闇になっても恐怖は感じなかったと書きましたが、そんな中でも怖いなと思った瞬間はなかったわけではありませんでした。
その怖さは闇に対してではなく、「取り残される恐怖」でした。
別のnoteでT Groupに参加した時のことを書きましたが、グループやチームに関わる時の自分のパターンとして「問題の状態があるうちは積極的にサービス精神を持って人や場に関わるけれど、一度問題が収まるとスッと身を引いてゆく」というのがあるのですが、それが闇の中でも起きたのでした。
具体的に何が起きたのかをお伝えしましょう。
暗闇になった時に、仲間たちに「えー、どっちー?」とか「この先どうなってるの?」とか「みんなどこにいるの?」みたいな声が聞こえているうちは、そこから私は動けませんでした。
みんなが不安な状態からどうにかして安心して闇の中を進めるようにしたいと思い、積極的に声をかけていました。
それが功を奏したのか、皆が私よりも先を歩いてゆきました。
そして、その音を聞いてホッとしたところで気づいたのが、「あ、取り残された。自分はこの先1人で行けるんだろうか」というどうしようもない不安でした。ザワザワ・ゾワゾワする恐怖感でした。
自分から声を出して皆のいる方向を確認するのですけれど、やたら遠くにいるように感じられました。そう10mとか20m先から声がするような…
そんなに広い部屋のはずはないので、実際には仲間たちはせいぜい2-3m先を歩いていたのだと思いますけれど、心細さや恐怖がそういう距離を作るのでしょう。
自分のことを後回しにして他者にサービスをしてゆくことで、却って自分自身で孤立感を作り出してしまっているのだということを改めて認識した瞬間でした。
確かにお勧めです
私の場合の気づきを書いてきました。
もう一回参加したらきっと別の気づきが得られるのかも知れないと思える体験でした。
単に「視覚」がないという体験がどのようなものであるのかを知るとか、視覚障がい者の状況を理解するとかの意味以上に、自分自身が普段とは別の環境でどのような振る舞いをするのか、どのように他者に助けを求めているのか、求められる可能性があるのかについて気づきを得ることができると思います。
視覚以外、いや目が見えなくても視覚を使っているという意味では、知覚をフル活用した体験ができます。
最後に仲間と一緒に円陣を組んでやったアクティビティで感じられた人間同士の温かい繋がりを私が忘れることはないでしょう。本当に豊かな時間でした。
友人や職場の仲間と一緒に参加すると、グループの結束はきっと強くなると思います。
ひとりで参加すると、自分自身が勝手のわからない中で如何にして他者と関係を作り助けを求めることができるのかを知ることができるでしょう。
そしてインクルージョンが「誰も取り残さない」ことであることを骨身に沁みて理解できると思います。私が取り残された感に恐怖を感じたように。
まだ体験をしたことがないというこれを読まれたあなたにも、きっとあなた独自の体験が待っていると思います。
闇に出会うことで自分と出会う。
ダイアローグ・イン・ザ・ダークはそんな体験なのかもしれないですね。