「孤独」と「繋がり」とについて考えたこと
人事の仕事をしていて最近ひしひしと感じるのは、新型コロナウィルスによるパンデミックの前後で、個人の在り方や人と人との繋がり方、関係性の築き方が大きく変わったのではないかということです。
Face to Faceの接触にリスクがあったから普及したオンラインでのコミュニケーションは、コロナ禍が明けてからも定着していますね。
zoomなどのオンラインコミュニケーションツールは、より簡単に広く他者と繋がれる手段としてはとても有効ですし、これからも使わなくなることはないのかもしれませんが、その一方で人と人との関係性の築き方に大きく影響をしてきているように私は思っています。
コロナ禍以前は会うのが標準であったので、好むと好まざるに関わらず、人との繋がりの深さ、濃さはあったと思いますし、その分自分の時間というのは制限されていたでしょう。
それがコロナ禍になって対面で会うことができなくなると、人と会わないといけない煩わしさから解放されたと感じている人もいれば、人と会えないことについて強いフラストレーションを感じていた人もいました。
そしてコロナ禍が明けて私たちは、選べるようになったのです。
対面で会うのか、オンラインで済ませるのか、を。
これは、「人と親密に繋がる」ということと、「一人の時間もつ」ことを選択できるようになったということでもあるのかなと思っています。
少し前に書いた以下のnoteの中で、RTO(Return to Office)になっても人が壊れてゆくという話を書かせていただきました。
オンラインミーティングは実はかなり神経を消耗すること、余白のない仕事の仕方が追い込まれてゆくことに加え、孤独についても触れました。
オンラインでも、気軽に繋がったり、雑談をしたりという時間と取ることで孤独感やバーンアウトから少しでも解消されるのではと考えていましたし、それはあるとは思っています。
しかし、もっと根本的なところ、「人との繋がり」というところについて今一度しっかりと考え直す必要を感じていました。
孤独とは何か
そんな折に、「孤独の本質 つながりの力」という本を見つけました。
第19代、第21代のアメリカ公衆衛生局長官であった、ヴィヴェック・H・マーシーという人が書いた、アメリカでは2020年4月に出版された本です(日本語訳は2023年11月)。
原題は「Together」副題に「The Healing power of human connections in sometimes lonely world」とあり、人と人との繋がりが如何にして人を「孤独」という病から救い出し健康な心身を保てるようにしてくれるのか、ということについて多くの事例やエピソードが紹介されています。
この本が書かれた時期がコロナの前後に掛かっていたこともあり、コロナ前後の人のつながり方の変化について書かれているかもしれないと思った私は、手に取って読んでみたのでした。
そこに書かれていた孤独の定義は以下のようなものでした。
つまりこれは、物理的に一人っきりであることが孤独であるということではなく、誰かと一緒にいても孤独は感じることがあるし、むしろそちらの方が孤独感が強いかもしれないという意味でもあります。
独りが孤独とは限らないということ
独りでも孤独ではないというのはどういうことでしょうか。
孤独と似て非なる言葉として英語ではSolitudeという言葉があります。英和辞典で調べると「孤独」と訳されてしまうのですけれど、そこにはポジティブな意味があり、独りでいることを楽しんでいる、心地よいと思っている状況があります。
本の中ではOnelinessという言葉が紹介されていました。孤独は英語ではLonelinessですからそこからLを取ったものが別の意味になっているというのは面白いなと思いました。Onelinessについては以下のように語られていました。
ずっと誰かと一緒にいるのではなく、独り静かな時間を持つというのは私に取ってはとても重要なことですので、このOnelinessの考え方には強く共感するものがありました。
少し前に、ライフ・バランスについて以下のnoteを書いた時に、Solitudeについても触れさせていただきました。
じっくりと何かに浸ったり、勉強をしたり、あるいはぼーっとしたり、人とのつながりから切り離されて自分自身と向き合う時間、整理する時間は人間にとって重要な意味を持っていると私は考えています。
それでも人は人と繋がるもの
しかし、孤独がこのような意味があり、価値があることばかりではないのは、人間という生き物の根本に関わっている理由に関係しているようです。
人間は社会生活を営む生き物です。
それができたので万物の霊長として地球上に今も存在し続けています。人間という小さな生き物が、大いなる自然の変化や野生の脅威、災害の中で生き残ってこれたのは、他者と繋がり協力しあってきたからであり、それは人間の進化の過程でおそらくは脳に生まれながらに組み込まれているプログラムなのでしょう。
だからこそ、人は自然に人と繋がろうとするわけであり、独りでいることを自分で選んでるわけではない場合、人と一緒にいてもそこから切り離されている感覚があると孤独感を感じしてしまうということになります。
あるいはこの孤独とは「孤立感」と言っても良いのかもしれないですね。
孤独の意味は変わってしまったのか
しかし、前項の引用の後半に気になることが書かれています。
「現在の私たちの状態」はそれをできなくしているというのが著者の主張です。そうしている原因はテクノロジーの変化とそのスピードの速さによる無言の圧力だと語られています。
この無言というのは有無を言わさず変わってゆく世の中の状態を指しているようで、変化について行けるように皆が必死になっていて、他者を顧みていない様子が伝わってきます。
変化について行ける者と行けない者との間に分断が起きていても、ついていけない側の者はそれを告げることもできずにそのコミュニティの中にいる。それが孤独感を発生させることになっているのかもしれません。
しかも、それが一箇所ではなく、そこかしこで起きており、この中で触れる「緊張関係」を生じさせている。
さらに、自身が変化の荒波の中にいると普段はそのことに気づくこともなく、ある日ふと気がつくと取り残されたような、自分だけ孤立しているような感覚に突如として襲われることになる…
孤独な世界で生きてゆくために
自分が属するコミュニティで、自分だけが取り残されていると感じることになったらそれは相当に辛いことだと思います。
しかも、自分はそこに属し続けなければならず、抜けるわけにはいかない…
これでは、壊れてしまうのも無理はないでしょう。
そうならないための方法には、二つあるのかなと私は思います。
一つは、自分の属するコミュニティの中で心許せる誰かとの深い関係を作ること。言葉を変えると親友を作って、相談したり自分の辛さを話せる状態、サポートし合える状態を作ってゆくこと。
もう一つは、一つのコミュニティに縛られないこと。
いくつかのコミュニティにおいて、それぞれ自分の違った側面で繋がり、認知や承認、サポートを必要に応じて得られるようにすること。
こちらは深い関係でなくても良いのです。深い関係になると決裂した時に切り離されて孤立をすることになってしまうので。
本の中では、三つのサークルという考え方が紹介されています。
Inner Circleはせいぜい4-5人のサークルらしいですが、深く濃い関係性で、本音でなんでも話せるような関係性です。本当に信じられる友人や肉親、配偶者がここに入ると思われます。
Middle Circleというのは、そこから少し外に出て、さまざまなコミュニティに入って人と繋がっている状況だと私は理解しました。
そしてCircleが変われば、そこでの関わり方や相手との距離感も変わってくるはずです。現代社会で生きてゆくためには、まず自分のCircleがどうなっているのかを理解し、関わりの切り替えをしっかりできることが必要になってくるのかもしれません。
孤独と繋がりについて考えてきましたけれど、最後にこの本の中で最も私が印象に残った一節を引用したいと思います。
たぶん、答えはここにあるのかな、と。
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