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目配り、気配り、飯配り

私は学生時代にいくつかアルバイトをしました。
百貨店の店員や輸入家具の運搬・納品などが多かったですけれど、一回だけパブ・レストランで働いたことがあります。そして、そこでの経験はその後の私の人生に様々な影響を及ぼしています。
このnoteでは、学んだことの中で最も印象に残っていることの一つをシェアしたいと思います。

学生時代に悪友と夜遊びをしていた頃、入り浸っていた店がありました。
料理も美味しいし、かかっている音楽も趣味に合うし、マスターは気さくでダンディでカッコいいし、理由は最初は分からなかったけれど寛げる雰囲気がありました

私がこれまでやってきたアルバイトは親類に頼まれて手伝いにいくところから始まっていましたが(もちろん、それでも楽しみながらやっていましたけれど)、「この店で働いてみたい」と自分から思ったのは初めてで、そうなったことは自分でも驚きでした。
ランチタイムに一人でレストランを訪れ、ランチを取った後に「マスター、ここで働きたいんですけれど、アルバイトとかって募集していますか?」と勇気を出して尋ねたのでした。
マスターはニッコリしながら話に乗ってきてくれました。

「来れる時間はどのあたり?それに夜かな?」
「お昼時14時ぐらいまでと18時以降であれば毎日でもいけると思います。部活があるんで14時から夕方まではちょっと…」
「そりゃいい、一番忙しい時だよ。時給は他の時間と変わらないから割に合わないかもしれないけれど、いいのかい?」
「良かった!私はバイト代よりもここが好きでここで働いてみたいので、全然気にしないです」
「いいね。じゃ、いつから来れる?」
「明日からでいいですか?」
「ははは、構わないよ。よろしくね」
店を出た後私は、ガッツポーズを取ってました。それほど嬉しかったのです。

翌日。
開店前にレストランに入り、掃除を手伝いながらマスターからお店のことをあれこれ教わりました。開店が近づくと一緒に働く仲間たちが入店してきます。丁寧に一人一人に紹介をしてくれました。みな、個性豊かで楽しい人たちでした。

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最初はホールの仕事から覚えます。いわゆるウエイターですね。
ユニホームとも言えるサロン(エプロン)を身につけ、メニューを暗記し、トレンチの持ち方を練習し、片手で3枚の皿を持てるようにし、シルバーの配置の仕方・マナーを教わり、マスターが常連にサービスしているのを何回かオブザーブしてやり方、と言うよりは身のこなしを学びました。

最初の接客はランチタイム。その店ではランチはランチメニューしか出さないのでオーダーを取るのはセットのドリンクを聞くだけでしたけれど、捌く数がものすごく多いので、初回のランチタイムの2時間でおおよその基本はできるようになっていました。
「じゃ、晩も待ってるからねー」
マスターの明るい声を聞きながら、部活に行くために店を後にしました。

そして夜。
夜になると別の顔と言って良いほど店の雰囲気が変わります。照明は暗めになりますし、音楽も落ち着いたものになり、メニューは増えますし、何よりもお酒が出るようになります。
ホールのオペレーションはランチとは比べものにならないくらい複雑になります。その複雑さに圧倒されながら、マスターや仕事仲間のウェイターのやることを一所懸命理解しようと試みました。しかし、完全に足手まといになってしまっているのが自分でもわかりました。

閉店後、掃除を終えてからすっかり落ち込んでいると、厨房からチーフ(あだ名なのかそう呼ぶものなのか知りませんでしたが、料理長の人でした)が片付けを終えて出てきて声をかけてくれました。

「おう、お疲れ。どうだったよ、初日は?」
「はぁ、いや、大変だなぁ、と。特に夜は訳分からなくて」
「まぁ、最初はそんなもんだよ。すぐに慣れるし、覚えるさ」
「そうだといいんですけれど…」
チーフは、ニマッとイタヅラっぽく笑うと
「まだ早いし、意味わかんねぇかもしれねーけど、いいこと教えてやるよ」
と言って、私の目をじっとみました。

「いいか?ホールの仕事はな、目配り気配り飯配りなんだよ」

目をパチクリしていたであろう私に、チーフはそれぞれがどう言うことなのかを丁寧に教えてくれました。ひとつひとつシェアしてゆきますね。

目配り

ウェイターはホールの中では気配を消した状態でホール全体に目を配ります。
用もないのにホールの中を歩き回ったりはせず、普段はホールの目立たないところに立っています。休憩がない限り座ることはありません。

立ち方も決まっています。手を後ろに組むのは以ての外。前に組むのも本当はあまりよろしくありません。手は体の横にスッと添えるようにおきます。

入店したお客様が席についてから、落ち着いた頃を見計らって近づいてゆきメニューを渡します。渡したら一旦ホールの片隅に下がります。
そこから再びホール全体の様子を眺め、先程のお客様が何をオーダーするのかが決まったタイミングで自然に傍に立っているようにします。オーダーをしようとしてお客様がウェイターを呼ぼうとしたら隣にいる状態ですね。呼ばれてから行ってるようでは叱られました。

立つ位置にも配慮がありました。会食の場をホストしていると思われる人物の利き手(あるいは利き目)の斜め前に少し腰を折って立つ感じです。
そう、利き手や利き目を入店時から観察してテーブル毎に違うアプローチをすることになるのです。

夜になると、さらにお酒が入ってくるのでさらに複雑化します。
ビールやワイン、シャンペンの場合は、あとどのくらい残っているのかを知っておき、お酒が無くなったタイミングで
「代わりのものをお持ちしましょうか?」
と話しかけます。
これはタイミングが難しく、空になった瞬間に語りかけたのでは売りつけられてる感があるので、ボトルが空になったタイミングで、これで終わりなのか、もうちょっと飲みそうなのかをチェックしています。

ウィスキーの場合は、これに氷と水が加わります。氷は溶けますし、水割りのための水は残量を見ながら必要な時にはあるように、こちらはお金をとっているものではなかったので(その店では)、無言で追加します。

つまり、ホールに立っている時というのは気を抜ける状態になることはあまりなく、常にお客様を観察して絶好のタイミングで傍にいる状態を作るということになります。
ホールの中で走るのはご法度ですから、さりげない動きが重要です。私は剣道をやっていたので摺足がとても役に立ちました。音が出ないですからね。

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気配り

十分に目配りをしながら、同時にお客様への気配りはかなり細かいレベルで行うことになります。

例えば、お酒の代わりを持つかどうかを尋ねる時でも、絶対に会話の邪魔をしないタイミングで関わることになります。
お客様は食事と会話を楽しむことができる場が欲しくてここにいるのだということを忘れることなく、お客様の雰囲気を壊さないこと、店が提供する心地よい場を維持することがウェイターの使命でもあります。

ときどきは大声で喋るお客様も来られたりします。
ある程度それらを和らげる意味で音楽をかけていたり、テーブルとテーブルの間の距離は取っていますが、それでも周りのお客様の迷惑になるような大音量で喋る人は対処しないといけません。
この場合のアプローチは、正面からではなく、横ないしは斜め後ろから、
「周りのお客様が驚かれてますので、少し声を落としていただけると」
のように語りかけていました。(もうちょっと気の利いた言い方だったかも)
これはこれで結構なチャレンジになることもあります。中には怒ってしまう方もいますが、怒ってそのお客様が2度と来ないということになろうとも、場を維持することの方が大切です。

慣れない頃は怒らせてしまうことも正直ありました。凹んでいるとマスターが
「いいんだよ。ああいうお客様はうちの客じゃないから、来なくなって全然構わない。場の雰囲気を大切に思ってくれるお客様は必ず来続けてくれるから」
と支持してくれました。
それを聞いて安心するというよりも、雰囲気を作るのは自分なのだという使命感がものすごく強まったのを覚えています。

あと、BGMの管理も気配り、場づくりの上で非常に重要でした。
ランチタイムは回転を上げるためにテンポの良い曲をかけますけれど、それが終わった喫茶の時間と夜はくつろげる音楽をかけます。

当時はレコードとCDの両方があり、レコードの場合はA面からB面への切り替えに気を配りました。プツッっというレコードと針の擦れる音がホールに鳴らないようにするためには、あとどのくらいで曲が終わるのかも掴む必要があります。

アルバイトをしている中で、音楽の趣味はかなりマスターの影響を受け、それは未だに続いています。
次に何をかけるのはマスターが決めていましたが、途中から「次は何をかけるのが良いと思う?」と聞かれるようになり、やがて光栄にも選曲を任せてもらえるようになりました。マスターとの音楽談義もここで働く楽しみの一つでした。

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飯配り

配膳(サービング)とお皿の引き上げのことを一つにしてチーフは飯配りを意味していました。やや乱暴な言い方ですけれど、チーフのべらんメェな感じが私は好きでした。

お客様が楽しみにしているお料理ですから、それが最も美味しそうに見えるようにサーブすることを心がけます。
運び方は優雅に、そしてテーブルに置く時には絶対に音を立てないようにそっと置きます。難しいのですけれど皿を指で掴むことは極力ないようにして(皿の縁に指をかける)、どうしてもそうなってしまいそうならばトレンチを使います。
難しいのはスープ・スパゲティのようなもので、スープで皿が汚れたりこぼしては台無しなので、慣れないうちは一人分ずつ丁寧に運んだものです。手間はかかりますが、お客様にしてみればたいそうなものを大切に運んでいるように見えて好感を得やすいようでした。

カップルの場合は、チーフが料理の出来上がりの時間を揃えてくれているので二人分同時にサーブできるのですが、どちらが何を注文したかはちゃんと覚えておいて、間違っても「○○の方はどちらですか?」などとお客様に聞いたりしないようにします。
グループの場合は食事の進行状態を見ながら、最も適切(としか書けませんけれど)ば場所に新しい料理を置きます。

一方で皿を下げる場合は、音も立てずに空いた皿をさりげなく引き取ります。
残っているけれど下げて欲しい場合はお客様は言ってくれるので、皿の上に残ったままかなり時間が経っている場合でも「お下げしますか?」とこちらからは声をかけませんでした。
これも、会話を楽しんでいるところで不用に間に入らないためです。

気配りと飯配りは、お客様と呼吸を合わせてゆくような感すらあります。
なので、お客様が入られた時からいわゆるラポールをかけることを自然にやるようになります。
お客様の持つ雰囲気、ペースを認識し、同伴者との関係性などを想定しながら、短いおしゃべりで場を和ませることもあれば、影や忍者のように必要最小限の関わりだけで済ませることもありました。

経験を積むうちに常連さんとの関係性もできてゆきます。ウェイターは名乗らないのですが、顔を覚えてくれていることは伝わってきたりするから不思議です。そう、それはこちらの顔を見てニコッと微笑んでくれることで伝わって来たりします。そういうのがあると疲れも吹っ飛ぶくらい嬉しいものでした。

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そして

気配り、目配り、飯配り。
この話を聞いて、今まで客として店に入った時になぜ心地よく感じていたのかの謎が氷解したとともに、ホールの仕事が俄然面白くなりました。
会食の場を如何に心地よいものにしてゆくか、この考え方は実はチーフのものではなくマスターの哲学でした。マスターは建築デザインをしている人でしたが、以前ホテルマンをやっていたことがあると後になって聞きました。

この他にも、このアルバイトの経験から学び培ったことは挙げるとキリがないほどあります。
美味しいドリップ・コーヒーの淹れ方とか、皿洗いの楽しさとか、ね。

とても充実していたし楽しかったのでずっと続けたい気持ちはありましたが、就職活動が佳境に入ってきてしまったことで継続を断念しました。
雇ってもらっていることにすごく感謝の気持ちがあったのと頑張りを買っていただいていたので申し訳なさがものすごく、マスターの自宅に行って謝ったのを覚えています。
マスターは辞意を伝える為にわざわざ自宅まで来たことを驚いていましたが、事情と私の気持ちを汲んでくれ、
「またいつでもお客さんとして来てよ。そしてまたうちで働きたくなったらいつでも歓迎だよ」
と、いつもの柔らかな笑顔で言ってくれました。ありがたくて涙が出ました。

店にアルバイトとして戻ることはありませんでしたけれど、ここでの経験があったことは私自身が社会人としてスタートするときの大きな自信になりました。
社会人で最初の仕事は営業でしたが、このアルバイトのおかげで私の中には営業の筋肉みたいなものができていたのではないかと思っています。それは、テクニックではなく接客のあり方であり、おもてなしの心だったのかもしれません。

最後に思い出のアイテムを。
店で使っていた灰皿です。雰囲気伝わるかな?

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