三島由紀夫「魔群の通過」

三島由紀夫短編集『ラディゲの死』に収録の「魔群の通過」を読了。

さいきん読んだ長短編ふくむ小説でいちばん気に入った。
戦後の退廃的なムードのなか、没落した名家・蕗屋家でおこなわれる、ブルーフィルム鑑賞会。
そこで出会った一癖も二癖もある参加者たちは、欲望とプライドにつき動かされ、あやしくうごめく。
そんな彼らを冷徹な目で見つめるのは、実業家・伊原慶雄。そんな彼も「魔群」との関わりによって日常をかき乱されてゆく。
肺病やみの歌手・伊久子、売れない作家・曾我、異様な存在感をみせる蕗屋恒子など、戦後的な「魔」がくりひろげる人間模様は、伊原の目を通して「現代」を逆照射する。
技法としては、自在な文体、蕗屋家での耽美的な、懐古的な雰囲気から、市井での戯画的な、日常的な生活感との対比が鮮明。曾我の描き方など太宰の「ダス・ゲマイネ」を連想させて楽しい。
もちろん同作家の、群像劇としての、『禁色』『鏡子の家』『豊饒の海』をはじめとした長編と比較しても発見があるだろう。
モチーフとしては、「カネ」は三島文学のなかで案外に見過ごされているテーマなのではないかと思った。
読み終わってから、20代で書かれた小説だと知り、ただ事ではないとおそれいった。
ちなみに山田風太郎は、水戸藩の天狗党をテーマに同名の長編小説を描いているらしい。三島由紀夫も水戸学には関心を寄せていたという。
やはり注視していかなければいけない作家と作品だ。

「厭世的な作家?」――伊原には自分を楽天的な事業家と言われたようにそれが響いて聞き咎めた。「そんなものはありはしないよ。認められない作家はみんな厭世家だし、認められた作家は長寿の秘訣として厭世主義を信奉するだけだ。とりたてて厭世的な作家なんてありはしない。彼らとてオレンジは好きなんだ。オレンジの滓がきらいなだけだ。この点で厭世家でない人間があるものかね」

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