イタロー

宇宙をひとつの冗談として https://lit.link/itaro The Dr…

イタロー

宇宙をひとつの冗談として https://lit.link/itaro The Dreaming SOMEONE's Experiment(DSE)参加中 https://mmm06090609.studio.site/1

マガジン

  • 新版『ドン・キホーテ』島村・片上訳【前編】

    セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』。 ネット上に(青空文庫にも!)、「無料」で「自由」に読めるテキストがまったくないので、島村抱月・片上伸(のぶる)訳を書き起こし、文章を読みやすく微修正しました。 おススメ:漫画や絵本、ゲームなどで知ってなんとなく読んでみたい人、雰囲気を知りたい人、古めかしい物語が好きな人、奇想天外な文学が読みたい人、などなど。 お好きな用途にご利用ください。 ※前述のとおり、細部については底本に忠実なテキストではありません。ご了承ください。 のっそり作業中です。 https://scrapbox.io/DonQ/

  • DSE MAGAZINE

    The Dreaming SOMEONE's Experiment(DSE)関連のマガジン。

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NFTプロジェクト"DSE"に参加しました

The Dreaming SOMEONE's Experiment(DSE)は、MMM氏が生み出したまったく新しい形のNFTプロジェクトです。 2023年12月25日、私、イタローは、画期的なステップを踏み出しました。DSEのNFTを購入し、それを基にSUZURIでユニークなグッズの販売を開始したのです。これは単なる商品販売ではありません。これは、デジタルアセットを物理的な表現に変え、新しいクリエイティブな可能性を探求する試みなのです。 DSEのNFTを使用することで、私

    • 武田泰淳が、埴谷雄高と荒正人との鼎談で、いいことを言っていた。

      • 2024年10月をふりかえる

        デライトがなければこんな総括はできなかった。デライト様様。 趣味 インドのダンス音楽を漁った。 久々にブルートゥースイヤホンを使った。耳の周辺が楽。 大長編小説を読んでいくことにしたので、そのための準備をした。読む本をリストアップして、順番を決めたり進行度合いをチェックするなど。 デライトの輪郭数が3000いった。 ツイキャスで、カラマーゾフの冒頭数篇と走れメロスを朗読。 ラテンアメリカの作家を調べた。サバトやアレナスなど。 木村泉。ウラジーミル・タラソフ。 「長い小説サ

        • fineganswake 朗読

          フィネガンズウェイクを朗読してみた

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        NFTプロジェクト"DSE"に参加しました

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        • 新版『ドン・キホーテ』島村・片上訳【前編】
          10本
        • DSE MAGAZINE
          4本

        記事

          シェンデン

          この無料キャンペーン期間中に、 このサーバーで原稿を公開、ダウンロード可能にしています。 利用・拡散は自由ですので、どんどん入手したってください。

          シェンデン

          2024/10/25メモ

          具体化が創造なら、抽象化は破壊? 実際のモノを壊すというのは、人間の記憶に関わっているだろう。 モノから抽出した観念と、モノを指示した観念を同一に見ないことは……? つまり、モノは記憶に関わり、観念は時間に関わる……? つまり、出会ったモノは覚え、忘れる。時間をかけて考えればある観念にたどりつく。 モノの破壊の方法には、物理と忘却と時間がある。物理も忘却も時間が支配している。 ここに抽出/抽象化を入れると……? 抽出した観念は時間と関係してはいるが、時間に縛られていない……?

          2024/10/25メモ

          心象スケッチ『まだら牛の祭り』

          私の書いた小説『まだら牛の祭り』 10月25日くらいから無料キャンペーンを実施します。 この小説は私が危機に陥っていたとき書かれたもので、「小説に擬態した心象スケッチ散文」です。 ちょうど10年前に書かれ、5年前に完成しました。 私はこの小説の完成によってある種の「心身の模型」を獲得し、危機から脱することができました。 小説を書くということは地の底からデーモンを招来して格闘することかもしれません。しかし誰もが無理に執筆する必要はないのです。私は必要あってそうしました。 いま読

          心象スケッチ『まだら牛の祭り』

          青年の環を少し読みましたが、やはりいいですね……野間のこのライフワークをちょこちょこ読んでいくライフワーク

          青年の環を少し読みましたが、やはりいいですね……野間のこのライフワークをちょこちょこ読んでいくライフワーク

          読中メモ:『2666』ボラーニョ①

          ちょっとイヤな眼で見て、ちょっとイヤな考え方をして、ちょっとイヤなことを書く作家は、いざ精一杯はげんでみても、ちょっとイイ話しか書けない。それはその作家が普通の平凡な善人であり、あるいは単に才能が欠けていただけであり、それ自体は悪いことではない。もちろん邪悪なことではまったくない。 よい作家は、世間をイヤな眼で見て、じつにイヤなことを考えて、見事にイヤなことを書く。それは悪の行為だ。醜悪であり、邪悪ですらある。 ではなぜ読者は作家の本を読むのか? よい作品は、全体は測りがたい

          読中メモ:『2666』ボラーニョ①

          歴史的イメージからモデルをつくりだす、文学

          「水を差す」という言葉がある。浮かれていたり熱狂している話の合間に、場を「冷ます」「打ち水」となる言動を行う。冷静な、ウケを狙わないツッコミ、ともいえる。 ところで、お互いに「水を差」しあうとどうなるか。それは「水掛け論」となる。びしゃびしゃと論を水のように掛け合う、それは「対話」というより「言い合いっこ」です。 これが「水を差す」と「水掛け論」の関係……とするには、まるでこれでは言葉遊びだ。ですが、単なる言葉遊びとも言い切れないところがある。それはこの二つの言い回しが「水」

          歴史的イメージからモデルをつくりだす、文学

          フロイト・三島由紀夫・無意識

          https://gendai.media/articles/-/137647?page=1&imp=0 「知的な作家の場合、昏い無意識の奥処からこんこんと湧いてくるような謎めいた力などない、すべてを自分自身で意識的に統御しているんだ、と。そういう自信があったのでしょう」 この記述の内容については三島本人が明確に違うことを言っていて、むしろ作品においてはストイックに統御して統御して……それでも無意識だかなんだかの得体の知れないものがでてきてしまうんだ、その強力な出現のために抑

          フロイト・三島由紀夫・無意識

          カエサル(イタリア語でチェーザレ)について、モンテーニュとマキアヴェッリの評価

          以下の文章は、「思想・哲学・文学・芸術の会」で行われているマキアヴェッリ『君主論』読書会に投稿した文章です。 会への参加はこちらから。 →https://discord.gg/arpla 『エセー』の第二巻第三十四章・第三十六章で、カエサルへの言及があります。 第三十四章のタイトルはそのまま「ユリウス・カエサルの戦争の仕方についての考察」。 冒頭から、モンテーニュは戦術家として最高の評価をカエサルに与えている。 そしてカエサルの見事な戦争法が長々と列挙される。 第三十

          カエサル(イタリア語でチェーザレ)について、モンテーニュとマキアヴェッリの評価

          「サシ氏との対話」(フォンテーヌ/サシ/パスカル)覚え書き

          テクストの性質と内容ルイ=イザク・ルメートル・ド・サシ(通称サシ)の秘書、ニコラ・フォンテーヌが書いた『ポール・ロワイヤルの隠士列伝あるいは覚書』の中にある文章。 サシとパスカルの対話が描かれる。 パスカルの原稿とサシの引用集(聖アウグスティヌスが主)を基に書かれた。 エピクテトス、モンテーニュ(デカルトを援用)についての言及。評価と批判。 テクストの要約エピクテトスについて ・評価:義務を説くことによる怠惰打破。 ・批判:人間の力についての誤解による傲慢さ。 モンテー

          「サシ氏との対話」(フォンテーヌ/サシ/パスカル)覚え書き

          びっくりマークのない世界

          『青年の環』の第一部「家の中」の章には、家庭内のゴタゴタが描かれているけど、書きっぷりが執拗で生々しく個人的なヒットだった。主人公の兄と曾祖母の互いの怒りが相手の怒りを増幅して尽きない酷い状況をこれでもかと活写している。これは例えば野間が影響を受けたサルトルや、同じくサルトルの影響を受けた大江健三郎にはない、地を這うようなリアリズムだと思うた。車谷長吉やドストエフスキーに近いものがあるかもしれないが、より野暮ったく、より変な実感がある。あるいは日本の自然主義文学の中には、こう

          びっくりマークのない世界

          世界は小さいけれども、文学はもっと小さい

          世界は小さいけれども、文学はもっと小さい