イタロー

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イタロー

自己紹介 https://lit.link/itaro 実験的な文章を置いています。 The Dreaming SOMEONE's Experiment(DSE)参加中 https://mmm06090609.studio.site/1

マガジン

  • 新版『ドン・キホーテ』島村・片上訳【前編】

    セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』。 ネット上に(青空文庫にも!)、「無料」で「自由」に読めるテキストがまったくないので、島村抱月・片上伸(のぶる)訳を書き起こし、文章を読みやすく微修正しました。 おススメ:漫画や絵本、ゲームなどで知ってなんとなく読んでみたい人、雰囲気を知りたい人、古めかしい物語が好きな人、奇想天外な文学が読みたい人、などなど。 お好きな用途にご利用ください。 ※前述のとおり、細部については底本に忠実なテキストではありません。ご了承ください。 のっそり作業中です。 https://scrapbox.io/DonQ/

  • DSE MAGAZINE

    The Dreaming SOMEONE's Experiment(DSE)関連のマガジン。

最近の記事

  • 固定された記事

NFTプロジェクト"DSE"に参加しました

The Dreaming SOMEONE's Experiment(DSE)は、MMM氏が生み出したまったく新しい形のNFTプロジェクトです。 2023年12月25日、私、イタローは、画期的なステップを踏み出しました。DSEのNFTを購入し、それを基にSUZURIでユニークなグッズの販売を開始したのです。これは単なる商品販売ではありません。これは、デジタルアセットを物理的な表現に変え、新しいクリエイティブな可能性を探求する試みなのです。 DSEのNFTを使用することで、私

      • 大江健三郎

        『みずから我が涙をぬぐいたまう日』には感心する。 フランシス・ベーコンを評価したことはすばらしい。 彼がもう少し悪者であったら、もう少し自分の能力に正直であったら、日本に超ド級のカーニバル文学世界が生まれていたと思うと、日本文学とはつねに幻滅と挫折の物語である。

        • 生身と言葉の距離

          話す感じと、書く言葉のあいだにギャップがある状態の人を、あまりすきではない。 以前は話すより書く方が尖っている人が苦手だったが、今はそうでもない。 まともなことを書いても、話してみるととんでもない人だってごまんといる。 生身と言葉の距離は、テーマになるだろう。

        • 固定された記事

        NFTプロジェクト"DSE"に参加しました

        マガジン

        • 新版『ドン・キホーテ』島村・片上訳【前編】
          10本
        • DSE MAGAZINE
          4本

        記事

          歌詞とかわからないんですが。最高ですね。 https://open.spotify.com/intl-ja/track/0pMt7vUOIzL0BmQ15vMHqJ?si=67ac7903c65146a4

          歌詞とかわからないんですが。最高ですね。 https://open.spotify.com/intl-ja/track/0pMt7vUOIzL0BmQ15vMHqJ?si=67ac7903c65146a4

          『南総里見八犬伝』と『1Q84』思いつき

          『1Q84』と『南総里見八犬伝』最近いくつかの作品を並行して読んでいますが、そのなかで思いついたことがあります。 「馬琴の『南総里見八犬伝』と、村上春樹の『1Q84』には、共通点がけっこうある(あるいは反転要素がある)」というものです。 思いつきにすぎないのですが、気になる部分を挙げてみます。 興味があれば気軽にお読みください。 千葉が舞台(の場面がある) 『1Q84』を読んでオッと思ったのは、地元の千葉が出てきたところです。 主人公の天吾と青豆は、千葉県の小学校に通って

          『南総里見八犬伝』と『1Q84』思いつき

          第十章 ドン・キホーテとその家来サンチョ・パンサとの間に取り交されたおもしろい議論のこと。

           托鉢僧の騾馬引きどもに少々痛めつけられたサンチョは、丁度この時立ち上った。そして自分の主人ドン・キホーテの勝負を見守りつつ、心の中にはどうか神様の御意によって自分の主人が勝つように、そしてそれによって自分は、かつて主人が約束したように一つの島を得てその島の太守になれるようにと、神に祈っていたのである。そこで、今や勝負が終って、主人がロシナンテに乗ろうと引き返して来るのを見ると、彼は鎧を抑えてやるために主人に近寄った。そしてまだ主人が乗馬しないうちに、その前に跪き、その手を取

          第十章 ドン・キホーテとその家来サンチョ・パンサとの間に取り交されたおもしろい議論のこと。

          20240213

          読んでるらへん 『さようなら、私の本よ!』 『宴のあと』 『ドン・キホーテ』 『白痴』ドストエフスキー 『1Q84』BOOK3 『戦後文学のアルケオロジー』 『死後に生きる者たち』マッシモ・カッチャーリ 『反時代的考察』 『南総里見八犬伝』 『青年の環』 朗読や引用が楽しい。

          読書はいいぞ

          読書はいいぞ

          What is DSE?

          DSE, standing for The Dreaming SOMEONE's Experiment, is a concept that provides holders with three key rights: commercial use translation and imaginative use. These rights allow for the commercialization of characters by MMM and SOMEONE (

          DSEとは何か?

          DSEは、The Dreaming SOMEONE's Experimentの略称で、保有者に3つの主要な権利を提供します: 商用利用 翻訳 空想 の権利。 これらの権利には、MMM氏とSOMEONE(someone-san)のキャラクターの商用化、および保有者の自身のDSEの自由な商用利用が含まれます。 Msignの使用は一般的に禁止されていますが、DSE画像に含まれるMsignについては例外です。 https://opensea.io/ja/collection/the

          DSEとは何か?

          Participated in the NFT Project "DSE"

          The Dreaming SOMEONE's Experiment (DSE) is an entirely new form of NFT project created by MMM. On December 25, 2023, I, Italo, took a groundbreaking step: I purchased DSE's NFT and began selling unique merchandise based on it at SUZURI. Th

          Participated in the NFT Project "DSE"

          おススメ読書系Discordサーバー 「LforL」 https://discord.gg/J9FfVbtdWF

          おススメ読書系Discordサーバー 「LforL」 https://discord.gg/J9FfVbtdWF

          はてしない息子たちの物語

           モンデンキント――かつては幼ごころの君と呼ばれていた――は、はてしない物語が永遠に続くとてっきり思いこんでいた。ファンタ―ジェンが「虚無」に飲み込まれることはもうないと、信じていた。    実際の話はこうだ――そもそもはてしない物語などこの世に存在せず、バスチアン・バルタザール・ブックスが妄想した世界に過ぎない。すべて物語など妄想に過ぎないと言ったら、それまでだが。  その名前が示す通り、バスチアン・バルタザール・ブックス――BBB――もまた、一冊の本に過ぎなかった――一人

          はてしない息子たちの物語

          生と、生の讃美者

          『死霊Ⅲ』p57~58 ※生の讃美者とは、私が便宜的に使う語。 本文では、「生を讃えに讃える何ものか」 生の罠である、食い食われ食うの「果てしもない連鎖」は、「窮極的な弾劾」(『死霊』の最終課題である「存在の革命」を実現するための「存在への弾劾」)を成り立たせないようにしている。 生の罠は、生の讃美者がつくったのか。それとも、「生」がつくりあげたのか。 「生を讃えに讃える何ものか」は、「自分のこの上ない罪と誤りを認めたくな」く、「その罠」(果てしもない連鎖)を「《食物

          生と、生の讃美者

          『高野聖』の檜と『狂風記』の倒木

          『高野聖』の檜の描写が印象深いです。 これを読むと、石川淳『狂風記』の冒頭を思い出します。 『高野聖』ではこのあと僧は美女と謎の男のいる家に迷い込むことになり、『狂風記』ではさっそくゴミ山から屑掘りの主人公が登場します。 『高野聖』は僧が迷い込んだ山奥の異界、『狂風記』は、ほとんど異界な裏社会にうごめく群像を描いていますが、両作とも、現世と異界の境界を区切るものとして「大木」があるように思います。 後続者・石川淳は昭和の社会のゴミ山を、泉鏡花の幻想世界の舞台として

          『高野聖』の檜と『狂風記』の倒木