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無料公開 【第2回】鬼木祐輔(後編) 雑草が掲げる「ノブレス・オブリージュ」

中村が会いたい人に会いに行き、活動や思想をインタビューしてくる「今日はこの人に会ってきた」。今回は鬼木祐輔さんロングインタビューの最終回です。

サッカー、言語、目的地の認識、メディア、キャリア……。さまざまな話題に波及した今回のインタビュー。最終回は、鬼木さんが考える「ノブレス・オブリージュ」と、この先の目標を語っていただきました。

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この記事は投げ銭記事です。面白い、深い、次も読みたい、などなど感じていただいた方は、お気軽にご購入いただければと思います。今後の取材活動等に役立たせていただきます。

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鬼木祐輔(おにき・ゆうすけ)
日本で唯一の「フットボールスタイリスト」。全国各地、小学生から大学生までのスタイリストを務めた後、2017-18シーズンより長友佑都の専属スタイリストに。著書に『重心移動だけでサッカーは10倍上手くなる』、出演・監修作に「重心移動アナライズ」「重心移動アナライズ2」がある。

ツイッター:@norishirodukuri


「第二の長友」を輩出できなければ日本サッカー界の敗北


―言語、概念、文化、宗教、社会構造……話題がかなり広がりましたが、それらのことはどのようにサッカーや長友選手のトレーニングに落とし込んでいるのですか? まだ模索中でしょうか。

うーん……逆にいうと、サッカーのことを考えていたらこうなったんですよね。どうやったら長友選手がうまくなるか、日本人がサッカーをうまくプレーできるようになるかを考えていたら、こういうことしか浮かばなくなったんです。実際サッカーしかやってませんから。

僕なんて雑草の塊のようなものです。中高の無名校のサッカー部出身で、レギュラーになることすら難しくて、でもサッカーが好きだから、紆余曲折を経てこの仕事についています。きれいごとだけではすまされないこともたくさんありますけど、毎日楽しく生きています。こんな人間が日本代表選手と一緒にサッカーができるなんて奇跡ですよ。それはサッカーのおかげです。

ある意味では、長友も同じです。大学サッカー出身者の中で、彼と同じようなキャリアを進めている選手は、今のところいません。でも、彼の存在を「奇跡」で終わらせてはいけない。再現性を高めて同じような存在を輩出できなければ、日本サッカー界にとっては敗北なんです。「こうすれば第二、第三の長友佑都になれる」という道筋を示す必要があるんです。

僕の「ノブレス・オブリージュ」は、こんな人間が体験している奇跡に近い出来事をみんなに伝えていくことです。サッカーに対するこの恩は、日本サッカー界に貢献することで返していかないといけない。日本にいる選手たちとも交流するし、こうやってメディアで話をしていくことも同じです。

自分に何ができるかを考えた時、サッカーコーチでもトレーナーでもないと思います。海外で生活して長友選手ともガッツリ組んでいますが、チームにどっぷり浸かっているわけではないので、その国のサッカーを深く語ることはできません。だからこそ僕にできることは、その国の文化や概念を学んで伝えていくことだと思うんです。


長友佑都に日本サッカー協会の会長になってほしい


―そういった文化、言語、概念などは、長友選手とも話すのですか?

たまにしますね。「よくそんなところまで目が向くね」と言われますよ(笑)。僕はけっこうなんでもやるので「適応力がすごいね」とも言われました。僕はイタリアよりもトルコの方が感度は高まったかもしれませんね。

イタリアではあまり言語は上達しなくて、お店でお会計を言われても値段が聞き取れませんでした。トルコ語はわりとすぐ聞き取れるようになりましたね。トルコではサポートしてくれる方もいなかったので、適応せざるを得なくて、貪欲に吸収していきました。

―サッカーでもそうやって周りを固めて、適応せざるを得ない環境を作ってしまえばいいのかもしれませんね。

長友選手も最初にチェゼーナにいたときは、言葉もわからないしサッカーもわからなかったと。だけど、インテルに移籍して少しずつ言葉もサッカーもわかるようになって、レギュラーをつかみました。

乾選手がスペインで成功したのも同じですよね。彼自身のスペイン語の能力は高くないですし、それはメンディリバル監督も言っています。それでも、サッカーの言葉は理解して何を求められているかはわかっているから、試合の中で体現できるんです。通訳の岡崎さんの力も相当大きかったと思いますよ。岡崎さんが1年目に「監督はどんなことを求めているか」を整理して伝え続けたからこそ、2年目からの躍進があったんだと思います。鈴木大輔選手は自分の力でスペイン語を習得して、サッカーも必死に学んで、レギュラーを獲得しましたよね。何も準備していなかった井手口選手はやっぱり通用しないんです。

ただ、日本で同じように先に形や仕組みで周りを固めようとしても、指導者側に「どういうプレーをさせたいか」というビジョンがないことが多く、あったとしても今度は固め方がわからない。どういう準備をしていけばいいのかわからないんです。

かくいう自分も、まさか長友選手からオファーが来るとは思っていなかったですし、それがなければこの世界を見ることもありませんでした。将来的に海外で活動する可能性も考えて、言葉の勉強はしていました。通訳もできて、サッカーもある程度わかって、体のケアもできる。そんな人間になりたいと目標は立てていました。でも、言葉は実際に使う機会も限られるからあまり伸びないし、体験がリアルじゃないんです。イタリアとトルコに行ってからの経験は、日本で準備していたものより何十倍も濃いものです。

―それらの準備は、ピッチに立つ前の段階ですよね。
まさにそうです。外国の報道を見ても、日本人選手は頭がいいし、戦術理解度は高いと書かれます。言われたことを理解できれば、ピッチで表現できるんですよ。それを育成段階から言われているか、そして現地に渡ったらその言葉を理解できるかどうかなんです。

言われてもわからない場合は、言われている内容とピッチの景色がリンクしていない気がします。例えば映像を見て「こうだったよね」と言われれば理解できますが、ピッチでそれと同じような場面に出くわした瞬間にその指摘がリンクしない。ピッチの外から見る現象と中から見る景色はまるで別物ですから。逆に言えば、そこさえきちんと整理できれば、ピッチの中でもうまく表現できるし、外国語で指摘されたとしてもある程度理解できると思います。

それに、ひとりひとりに課されるタスクの負担が大きくても、日本人は頑張れる選手が多いです。僕が見てきた東急レイエスというチームがあり、スペイン遠征に行きました。そこで地元の街クラブと対戦したとき、ボールを握ってるのはレイエスでした。相手は「これ無理、どうすんの?」とベンチを見て、プレーをやめてしまいました。監督も指示を出していましたけど、個々人の能力やチームの戦力差を考えても対応しきるのが難しい状況でした。

日本人の選手は、どんなに実力差があるような状況でも、諦めずにプレーは続けようとしますよね。だからこそ、ちゃんと仕組みや形を整理してあげれば、日本人の方が強いと思うんです。みんな頑張れるから。

でも現状は、その仕組みや形の整理は現場の指導者に完全に依存してしまっている。協会が人の情熱に甘えすぎなんです。なぜトップダウンで「日本のサッカーはこう」という提示をしないのか。

―「現場の情熱に甘えすぎ」はサッカー界だけに限らないですね。自分の前の会社で同じような経験をしていますし、世間には「やりがい搾取」という言葉もあります。

現場の人はみんな頑張ってますよ。長崎の小嶺先生なんて最たる例じゃないですか。おじいさんになっても現場で踏ん張り続ける人はたくさんいるんです。

―一方で、頑張り方がバラバラで、うまく循環していない面もあります。中学で指導されたことが高校ではまるで通用しない、というような。

その指針を示すのが協会なんですよ。他の国はそうなってるじゃないですか。

僕は長友佑都に日本サッカー協会の会長になってほしいです。今回のW杯、イタリアは出場できませんでした。その原因はイタリアサッカー連盟の腐敗だと言われています。そこ立ち上がったのが、選手協会会長のダミアーノ・トンマージら、往年の名選手たちです。最終的にはロベルト・ファブリチーニが当選しましたが、副会長にはアレッサンドロ・コスタクルタが就任しています。そういうレジェンドたちは、絶大な影響力を持っているんです。

長友も同じように、大きな影響力を持っています。世界を見ている彼のような選手が入って協会を変えていかないと、日本のサッカー界は変わらないと思います。

―明確なビジョンを長友選手が打ち出し、それを実行する優秀な部隊がいると。その構図は確かにイメージしやすいですね。

そういうことです。政治も同じじゃないですか? 元タレントや元スポーツ選手の議員なども、影響力は持っている。

―Apple社も同じかもしれないですね。スティーブ・ジョブスはテクノロジーの知識はあまりなかったけど、製品に対しては強烈なこだわりがあり、美しくないもの、使いやすくないものには容赦なくダメ出しして、部下のエンジニアたちに修正させていたと聞きます。どれだけ部下に反対されようとも、強烈なビジョンを打ち出して実行させたようです。

良くも悪くも、ジョブズも長友も言葉に力がある人です。ツイッターで炎上もしますし、逆に海外でとても愛される面もある。そういう人がFIFAの会議の場に出れば「ユウトじゃないか、元気か?」となるんですよ。これは本当にそそのかしたいですね(笑)。


些細な喜びや幸せ作り出す価値がサッカーにはある


―この先の目標はどう考えていますか?

日本サッカー界に何かしたいです。このままでは確実にいけない。

いま何が嫌かって、日本人が日本サッカー界を否定したり批判したりする空気が嫌なんです。それはサッカーに限りません。特に海外で生活すると、「海外に比べて日本は……」と否定的になりがちですが、僕はそうなりたくない。第一、そういう人が言っている「海外」はほんの一部だけで、日本以外のすべての国を指しているわけでもありません。

でも現実は、お年寄りや妊婦さん、子ども連れのお母さんに席を譲らない若者がいて、「なんなの日本」って思わされてしまうんです。日本人は謙遜だと言われますし、それが美徳だという意識があります。しかし、自分や自分たちの国を誇れないのはすごく悲しいことです。長友選手や他の欧州の選手を見ていても、自分のことが好きだということがとても大事だなと感じます。SNSを見ていても自分の写真はたくさんアップするし、恋人とイチャイチャしているところもためらいなくあげていきます。ネイマールはお母さんに膝枕してもらってる写真をアップしていました。さすがにあれはきついですけど……(苦笑)。でもそういうマインドはとても大事だと思います。自分や国を愛する気持ちが希薄だから、政治に興味がなくて選挙にもいかないのでは? と思うこともあります。

風間監督は「自分に期待しろ」と言いますよね。サッカーを通して自分を愛する気持ちを育むことはできると思うんです。それができるようになれば、たとえプロサッカー選手になれなくても、一般の会社でリーダーシップを発揮したり、地域で周りを巻き込んだ活動ができたりするようになると思います。僕はそのための歯車になりたいです。

イタリアとトルコでは「日本は本当にいい国だな」とよく言われるんです。だからこそもっと日本のことを知って、自分を愛して、誇れるようになりたい。そのためにも自分の周りの人や、さらにその周りの人にも、自分の力を還元させていきたい。せっかく僕と知り合ってくれたんだから、その人たちはみんな幸せになってほしいじゃないですか。その力をもっとつけていきたいです。

イタリアに行くことが決まって、それを周りの人に報告したら、自分のことのように喜んでくれるんです。長友選手のインスタに僕が一瞬登場するだけで携帯の通知が止まらないわけですよ(笑)。この活動を続けてよかったなと思います。この歳まで独身を貫いてね(笑)。

そうやって自分の頑張りで周りが喜んでくれることに、いま僕は幸せを感じています。それはきっと、サッカー選手や芸能人、タレントの方達が感じていることだと思いますし、その影響力が強いからこそ収入を得ているんです。そしてそれはそんなに大きな規模ではなくとも、お父さんが仕事をする、お母さんが家事をする、子どもがサッカーを頑張ることで、少なからず他の人が喜んでいるはずなんです。そんな些細な喜びや幸せを見直すきっかけも、それを作り出す価値も、サッカーにはあると思います。

どこかの記事で、三浦知良選手がこう言っていました。「自分にとっては何試合あるうちの一試合かもしれないけど、見に来てくれる人にとっては一生に一回の観戦かもしれない。そこで自分が全力を出せないのは、お客さんに失礼」と。シビれました。

日本サッカーが良くなっていくための歯車のひとつに

「サッカーは人間力が大事」とよく言われますが、僕はそれは本質ではなく、あくまで付随されるものだと思います。日本代表、欧州のトップレベル、さらにその上を目指すのであれば、自分を律することは大前提です。でも日本では、あまりにもそこに焦点を当てすぎます。人間力を鍛えて、その先に何をするのか? 鍛えた先に何をさせるかというビジョンを、指導者は明確に持っているのか? それをきちんと定義・提示できていないのに「人間力を高めましょう」と言って、曖昧なまま教育の一環としてスポーツが使われてしまっている現状がとても歯がゆい。

いま日本で言われている「人間力」は、上の立場の人から言われたことを従順にこなす力で、上の人にとって扱いやすい人間を育てているだけです。

スポーツの本質は、「自分を律し、自分で何かに気づいて行動を起こせるようになる力」のことだと思います。自分がその競技を追求し、頑張って、結果を残していくこと。それによってたくさんの人を幸せにできる可能性があります。日本のスポーツも、そういった本来の形を取り戻していく必要があるんです。

「誰かのために頑張れる」と自分で思える人が強いなと、長友選手を見ていると思います。もちろん最終的には自分のためですよ。でも、心の中心は「自分のため」だったとしても、その周りに「誰かのため」がたくさんあるんです。自分の頑張りが誰かの力になることを知っている人ほど、「自分のため」と「誰かのため」のバランスが取れています。欧州はそうやってスポーツが成り立っている。

それを見てきた人たちは、日本にそれを伝える義務があるんです。「ノブレス・オブリージュ」だから。この立場になった以上、僕にもその義務が生じてしまった。だからなるべく多くのものを見て多くのことを伝えていきたいんです。それは驕りや慢心ではなく、純粋にそう思います。

「石の上にも三年」じゃないですけど、何かを成功させるには時間と苦労が必要だという考え方が日本にはありますよね。でも、例えば僕が5年かかって身につけたものを誰かに伝えたとして、その人も5年かかってしまったら、僕の負けです。次の人は1年しかかからなくて、それを身につけた上であと4年を過ごしたら、その4年で僕よりもすごい世界を見られるかもしれない。何かを積み上げるとはそういうものだと思います。

昔は手作業で何時間とかける仕事があって、その苦労が経たから身につくものだという考えかもしれません。でも今は機械を使って数秒でできる作業が圧倒的に増えてわけで、その浮いた時間で何をするか、どんな世界を見るかは自由です。

僕はそうやって価値観を変えるきっかけになりたい。誰かに何かを伝えることで、大それたことはできなくても、日本サッカーが少しでも良くなっていく歯車のひとつになりたい。いまは強くそう思います。

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