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【第2回】鬼木祐輔(中編) 「目的地の認識」にはメディアの影響があるかもしれない

中村が会いたい人に会いに行き、活動や思想をインタビューしてくる「今日はこの人に会ってきた」。今回はフットボールスタイリストの鬼木祐輔さんの中編です。

前回のエントリーでは、欧州で行われている「サッカー」を鬼木さんなりに解釈し、日本とは「目的地の認識」がそもそも違い、それは「言語」による概念の違いが一因であるとお話いただきました。

今回は、私自身も属する「メディア」の話に言及しています。W杯で地上波各局も様々な試合を放送していますが、過度にバラエティに振り切った番組構成や、感想を述べるだけの解説者など、サッカーをサッカーとして扱えていない印象も拭えません。もしかしたらその風潮も、サッカー選手の体の動きに影響を与えているのかもしれません。


鬼木祐輔(おにき・ゆうすけ)
日本で唯一の「フットボールスタイリスト」。全国各地、小学生から大学生までのスタイリストを務めた後、2017-18シーズンより長友佑都の専属スタイリストに。著書に『重心移動だけでサッカーは10倍上手くなる』、出演・監修作に「重心移動アナライズ」「重心移動アナライズ2」がある。

ツイッター:@norishirodukuri


自国のアイデンティティを説明できなかった

前回の記事でも述べた通り、日本と欧州では言語や文化の違いが大きくあります。その状況で指揮をとっていたのだから、ハリルホジッチ監督と樋渡通訳も大変だったと思いますよ。結局、直訳しようとしてもニュアンスまで日本語で表現するのは難しかったと思います。だから解任後の会見で、記者クラブの通訳の方はああいった訳し方になったのだと思います。相当高度な翻訳でした。

やっぱり外国語と日本語の構造の違いがあった気がするんです。例えば日本だと、今はどうかわかりませんが、主語、述語、目的語を習うのは英語の授業からじゃないですか? 外国では母国語でそれを習うそうです。自分の国の言葉をよく理解しているし、だから他の国の言葉も理解できるんです。もっと言えば、外国語で適用する主語述語などを日本語に当てはめるから、少し不自然なことになるんです。さっき言った通り、そもそも言語の順番と概念が違いますから。

それは言葉だけではありません。自国に対するアイデンティティというか、そういった部分も外国は強いなと思います。トルコで「日本人は無宗教なのに本当にいい奴が多いな」と良く言われますけど、それについて僕は深く語れないんです。「神様がいないのになんであんなにいい奴が多いんだ?」と聞かれても、答えられないんです。

確実なことはわからないですけど、日本は仏教、儒教、キリスト教など、たくさんの宗教が入り混じっている国ですし、八百万の神なんていう考え方もあります。これらはいずれも外からの思想を自分たちの文化に取り入れているものです。本来ならリノベーションをする力はあると思うんですよ。だからこそいろんなことを柔軟に受け入れることが必要で、サッカーに関してももう一度「サッカー」を再定義する必要があると思うんです。

日本のメディアはサッカーをサッカーとして扱っていない

それにはメディアの力がものすごく重要になってきます。高校サッカーに人が集まるのはメディアの力じゃないですか。高校サッカーより大学サッカーの方が確実にレベルは高いのに、インカレの決勝は観客2000人ですよ。高校サッカーは3万人入ります。完全にメディアの力じゃないですか。

でも今のサッカーの報道の仕方を見ていると、サッカーをサッカーとして扱っていないじゃないですか。民放は結局バラエティになりますし、お笑い番組と扱いが変わりません。

アメリカではスポーツがエンターテインメントとして成立しています。サッカーは4大スポーツには叶いませんし、サッカー不毛の地などと呼ばれていました。あの国のトップアスリートは、バスケや野球、アメフトなどのスポーツをします。いわば国の中ではトップではない選手たちがサッカーをするのですが、それでも動きはとてもスムーズですよ。欧州の選手たちと同じです。

実はその状況は日本も同じですよね。サッカー人気が高まってきたと言われていますけど、文化的にはまだまだ野球文化ですし、国技は相撲です。アメリカと似たような状況ですけど、体の動かし方はぎこちない場合がとても多い。もちろんメディアの話と体の話を結びつけるのは少し飛躍しすぎな面もありますけど、サッカーをサッカーとして扱わない=サッカーの理解が深まらない=目的地の認識が間違ったところに設定されてしまう=体の動きも硬くなる、と考えれば、無関係ではないと思います。

一方で、イタリアのメディアはサッカー選手に対する目が厳しすぎて、サッカー選手が生きづらいです。ブッフォンもうつ病だったようです。長友も、コウチーニョやクアレスマは練習でめちゃくちゃ上手いのに試合では何もできなかったと、そういう選手はたくさんいたと言っていました。だからバンディエラと呼ばれる選手がいなくなるんでしょうね。

―小柳ルミ子さんが欧州CL決勝の中継で、カリウスのミスを厳しく追及していました。賛否両論があり、特に賛同している方は「欧州ではあれくらいの批判は当たり前」という意見のようです。
あのプレーを見て僕が思ったのは「このレベルでもこういうことは起こるのか」と、純粋にそれでした。あれは正直きついと思います。試合が終わった後に泣いて謝ったからこそ、ファンも擁護するようになったと思いますけど、あの瞬間の感情は「嘘だろ、何やってんだよ」が正直なところだと思いますよ。僕が自分のチームであのプレーを目の当たりにしたらとんでもなく怒る。でも批判の有り無しで言えば、もちろんない社会の方がいいと思います。

生活水準が高い社会だからこそ余裕がほしい

ブラジルでは貧困層が成り上がりたいがためにサッカーを頑張るとよく聞きますよね。だからこそハングリーさが出ると。でも、日本が同じように生活水準を落としてハングリーさを育もうとしても絶対に無理じゃないですか。

逆に生活水準が整っている国だからこそ、その余裕を生かすこともできるはずです。でも現状では、ツイッターでちょっと発言するとすぐ炎上騒ぎになるし、何か失敗した人をとことん攻めて住所や実名まですべて晒されてしまいますよね。そんな大きな話ではなくとも、コンビニやカフェでものすごく態度が悪くて少しのことに怒り出す人もいます。なんでもっと余裕を持てないのかなと思いますよ。

いまの日本の社会の概念は、戦後の高度経済成長期がベースなんです。サービスや商品が行き渡っていないから、しゃかりきになってひたすら量を働いて生産していく。そんな時代に若者だった人がいま社会のトップの方にいるけど、その方法はもう通用しなくなっているという構図です。でも結局その時の成功体験から離れられず、サービス残業や過労死がなくならないんです。

ドイツで働いていた友人がいて、こんな話を聞きました。ドイツ人は早く帰りたい時には、始業時間の2時間前に出勤して仕事をはじめ、その分就業時間より2時間早く帰るそうです。日本では9時始業となるとその前に準備しておくのが美徳とされていますが、「それ時間守ってないじゃん」と考えるそうです。そして早く来たのに就業時間は結局規定通りですよね。


歩きスマホはやった方がいい

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中村僚(Ryo Editor)

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フリーランス編集者、ライター。サッカーや写真の本や記事をつくります。
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