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あなたは特別。そして私も

「わかる」とか「同じ」ってすごく便利な相槌だ。


自分も同じ経験をした、自分も同じ気持ちになった、自分はあなたの話を理解している


その言葉は悪いものじゃない。


ただ、辛くて仕方ないときに言われた「わかる」に反発心を抱いたから、辛くて仕方ない人に「わかる」とか「同じ」とか言うのは私の姿勢とは違うと思っている。



中等度うつ状態と言われる数ヶ月前、友人に自分は死んだほうがいいとこぼしたことがあった。

友人は同じ講座を受講していて、同じサークルで、私が辛くて吐き出していた言葉を唯一拒否せずにいてくれた人だ。今でも感謝している。

ただ、彼女も他人だ。彼女の思考回路があって、その中で私の言葉を受け取って返してくれる。私が本当にほしい言葉をくれるような、私にとって都合の良い存在ではなかった。


「死んだほうがいいって思ったこと誰にだってあるよ」


その言葉を私は拒否してしまった。彼女なりの思いやりだとわかっていながら。

「誰にだってある」ことが救いになる人であれば、この言葉に励まされただろう。


でも、私みたいに尽くした男に惨めに捨てられて、私みたいに大好きだった場所がエゴで埋め尽くされて、私みたいに自分の感情自体を否定されて、私みたいに上手く人を動かせずに一人ぼっちでキャパオーバーになって、私みたいに誰かを守りたいって必死に考えて、私みたいに気持ち悪いと思われるのが前提になって、私みたいに全部意味のないことだったって気付かされて、私みたいに口をつぐむことしかできなくなって、私みたいに全部がはちきれて悪者にされて、それでも走り切らなければいけないものがあって、

その全てをもって、復讐として私を傷つけた者全てを書き残した上で、みんなにこれ以上迷惑をかけないようにいなくなるべきだ、なんて同じように思った人はいたの?


みんな、胸の鈍痛が続いて腹まで震えるような、悲しみと罪悪感と苦しみと憎悪と怒りの感情の経験があるの?



みんなの「死にたい」は全く同じ「死にたい」なの?



絶対に違う。



各々の「死にたい」は各々の理由や感情で生まれたものだ。


友人の「死にたい」と私の「死にたい」。

あの子の「死にたい」とその人の「死にたい」。


辛いのは自分だけじゃない。そんな言葉も大嫌いだけど憎たらしいほど事実だ。

ただ、一つ一つが違ったもので、一つ一つが尊重されるべき感情だ。


私は特別だ。

「誰でも同じ」と言った友人も特別だ。

そしてあなたももちろん、特別だ。



私の文章は特別なあなたの感情とは別物だから、あなたが全てを共感できるはずはないだろう。


ただ、私の文章の明度なのか温度なのか、はたまた速度なのか、肌触りなのか揺らぎなのか、味わいなのか、

何かがあなたの心とリンクして、何か良い感覚を感じてもらえたらと思う。


それと私の感情を吐き出すこと、それがこのnoteのテーマ「スナック感覚で食べられる人生」の目的です。



私の表現は「感情を売る」ものなのかもしれない。

演劇、今作っている途中の写真集、そしてこのnote。


私の苦しさや悲しさ、辛さ、幸せだって、止まることはない。ずっと感情が自分の身体の中をぐるぐる蝕んだり熱したりしている。

それでも私はこのめんどくさい感情を持つ人間に生まれてよかったと思う。こんなんだからできる表現があって、こんなんを好きって言ってくれる人がいるから。


だから、気に入ったらこの感情を買ってください。

自分を商品にするなんて、と言われたとしても

大丈夫。減ることはあっても止まることなんてないから。

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【募金箱】病人ですが演劇も被写体もこれからやっていきたいです。サポートしてくれたらもっと色々できちゃうかもしれないので、興味があれば是非。