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あなたとわたしの今日が、美しい日になりますように

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最近の記事

私も「明日、死にたくない」と思っている

特別な日はここのタルトを食べる、と決めているタルト屋さんがある。 クリスマスイブの夕食はいつも通り、家にあるもので済ませた。だけど、1ヶ月前に予約したこのタルトが食後に控えているだけで、なんだか特別に幸せな気持ちになった。 『正欲』で言う所の、世の中は「明日、死にたくない」を前提として構成されている、とはこういうことなんだろう。

    • 意外性を楽しむ

      私は映画の試写会に応募をすることが好きだ。 試写会であればなんでも良く、16:30開映という明らかにターゲットが親子のアニメ映画から、邦画、洋画のどんな作品までも構わず応募をしている。 私は昔から懸賞が好きで、月刊漫画を開いてすぐの所にあるプレゼントコーナーなんかは毎月応募していた。応募から数ヶ月経って突然プレゼントが届くサプライズ感が大好きだった。 試写会もそれと同じだ。まず、当選するかどうか。次に、全く興味の無かった映画を「試写会に当選したから」という理由だけで観に

      • 『正欲』

        自分とは異なる他者を認めることを正しいとする「多様性」という概念、またその広がりに対してなんとなく抱いていた気持ち悪さのようなものが、しっかりと形を持ったような感覚になった。 皆「自分は変じゃない」ということを確かめ合いながら生きている。その中で「異物」に出会った時、自分達マジョリティにとって受け入れ可能であった場合のみ【認める】ことを行う。 私も大也と同じく八重子に対し「なんで自分が認める側だと思っているんだ」と感じた。それと同時に、私も自分自身を認める側だと考えている

        • 『コンビニ人間』

          とても無機質な話なのに、どうにも面白くて、audibleで一気に聴いてしまった。 「普通」とは何か。 ポジティブな意味では、皆がそれぞれの個性を持っているこの世界に「普通」なんてものは存在しない。だけど、やはりネガティブな意味での「普通」は存在していて、それはつまり「異常ではないこと」と言い換えられるだろう。 主人公の古倉は、そういう意味で世界において「異常」であった。だけど、古倉の視点からすると、世界の「普通」は、コンビニ店員という絶対的なものさしを与えられなければ達

        私も「明日、死にたくない」と思っている

          言葉と文章と思考

          私の書く文章は、ブログの場合は他人に向けたものなので、機嫌が良く見えるらしい。noteの場合は、知り合いには見せていないので感想を聞いたことは無いが、多分とても暗い。 どちらも自分であり、自分の文章なのだけれど、noteはより深い部分の自分をそのまま出している気がする。 言葉が思考を形成するとよく言うが、そうであるならば、私の心の根底には、ずしんとした感情が横たわっているような気がしてしまう。 言葉を、文章を、そして思考を、もっと優しく変えていきたい。 その日あった楽

          言葉と文章と思考

          interestingになりたい

          私は面白い(interesting)人が好きだ。 だから、私も幅広く知識をつけたいし、その中でも何かに特化をしたinterestingな人間になりたいと思っている。 私はそれすら達成していないのに、世の中にはinterestingとfunを兼ね備えた人すらうじゃうじゃいる。 ようやく作り上げたぼろぼろの自己肯定感は、そんな事実によって簡単に揺らいでしまう。

          interestingになりたい

          自分の中の1%の感情

          私は心を許している人と話す時、ほとんど何も考えず言葉を発するので、自分の中の1%ほどの小さな感情も全て言葉にしてしまう。 同様に、私は親しくない人と話す時、いろいろと考えすぎた結果、自分の中の1%ほどの小さな感情を、さも大きな感情かのように誇大に表現する。 私の中の多くを占めるのは自分に対する感情や考えなので、1%ほどの小さな感情は、多くの場合、他人に関することである。それを言葉にすることは、自分の問題ではないことにあれこれ口出しするような状態であり、好きではない。 だ

          自分の中の1%の感情

          冬と祈り

          空気が冷たくて、今年も冬がきたことを感じる。 寒い部屋に一人でいる時、イルミネーションで輝く街の中を一人歩くとき。 冬は寂しい気持ちになるから好きではない。 大切だったあの人が、どこかで寂しい思いをしていませんように。

          冬と祈り

          思考の抽象度を上げること

          思考の抽象度を上げると、くだらないことで悩まなくなると言う。 たしかに私は、自分の周りのことしか考えられない。自分の感情や記憶ひとつひとつを宝物のように扱い、目の前の人が今どう思っているかを過剰に気にする。 感情はただの生理現象で、他人は自分とは関係のない存在で、過去は今や未来によって意味づけがされる。 だから、感情、他人、過去、この3つは気にする必要がないらしい。

          思考の抽象度を上げること