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やってみなくちゃわからない。

小学校の頃、プロ野球選手になるのが夢でした。            毎朝ランニングをしてから登校。放課後と土日も野球に明け暮れていた。 身体は小さかったが、ソフトボールの遠投では学年一になったことも。  あるとき、身近な人に、「将来、プロ野球選手になりたい」と言ったら、                「そんな小さな身体じゃ、無理だよ」と一蹴されました。

学生時代にジャーナリストの本多勝一に傾倒。就職試験で新聞社を受けるも全敗。そこで、父親が転勤族でいろんな地域に移り住んだ経験から、まちづくりや建築への関心があることに気づき、住宅メーカーに就職しました。

希望がかない都市開発の部門に配属され、ある時、自分の関わった大規模共同住宅に移り住んだ住民に意識調査をしました。購入動機の8割が「通勤利便」であり、「隣近所との付き合いを強要しないでほしい」との意見が目立ちました。

また、某駅前の再開発プロジェクトで街の将来のためにどんな建物がいいのか商店街の人たちと定例会を重ねても、街の将来ビジョンは全くのお題目で、商店街の店主も住民も役所も地権者も事業者も、エゴのぶつかり合いが繰り返され調整に四苦八苦したのを思い出します。

「すべての人が共通に願うまちづくりビジョンは描けないのか?」
現実を前に自らの無力さを噛み締める日々が続きました。

一新塾に入塾したのはその頃でした。一新塾の仲間にこの疑問をぶつけると
会社の仲間の反応と全く違っていたので驚きました。
世間では「できもしないことを語るな!」と一蹴されてしまうことが、
一新塾では、その理想ビジョンを実現するために一緒になって考えてくれる
仲間を得られたことに正直救われました。

コミュニティの再生は、まずは私たちが意識を変えること。
私たちが一市民に立ち戻ることからと確信を得ました。

そんな時に一新塾で働かないかとの誘いを頂いたのです。
社会変革のためにジャーナリストを目指していた学生時代の胸の高鳴りが甦って来ました。

1997年、一新塾事務局の仕事に就くことになりました。

私は「サラリーマンが好きな政策に取り組み、ボトムアップで提言することで、社会を変えらえる」と信じていました。そこに、挑戦したいと思っていました。

当時、サラリーマンが働きながら自分が好きなテーマで政策提言が出来るプログラムを作ろうと、政策シンクタンク・官僚・政治家の方にもアドバイスしてもらったところ、「それは、難しい!」「素人が簡単に政策は作れない」「本当に実現したいんだったら、塾生全員が同じテーマで取り組んで全員で行動しないと無理」とのコメントでした。

しかし、塾生と相談しても、「与えられたテーマでは嫌だ。自分がやりたいテーマでなければ、モチベーションが湧かない」と口を揃えて言います。

だったら、「やってみなくちゃわからない!」と、これまで、事務局側で政策テーマを設定していましたが、塾生自らでテーマを決める仕組みに転換しました。

粗削りでも、塾生は、自らの生活実感、仕事で疑問に思っていたことを言葉にして、発信して、行動していきました。当時は、「市民からの政策提言です」と言っても、議員の方もまともに取り合ってくれないことはたくさんありましたが、時々、真摯に取り上げてくれるようになりました。

「政策提言」のみならず、「社会起業」や「市民活動」についても、あの時の、それぞれが、自分がやりたいことをやる、という自分起点の文化が根付いていきました。

何かを始めるときに、壁は訪れるものですが、やってみなくちゃわからない。そして、一新塾では、必ず、応援してくれる人が見つかります!


■新しい日本を創造するネクストリーダー養成学校            NPO法人一新塾(東京・大阪・名古屋・仙台・通信科)
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■『第二の人生は志を生きる~サラリーマンから市民への転身』(一藝社)
NPO法人一新塾/森嶋伸夫 著
https://www.amazon.co.jp/dp/4863592485

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