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指 輪

 私がS氏からきいた話の一つに

こんなのがある。

 その頃S氏は、茅ヶ崎の街端れ

の、南湖院にあまり遠くない、松

林の中に住まつてゐた。海邊なの

で、潮ざゐがすぐ間近にきこ江て

ゐた。

 ある秋の月の良い晩のことで、

淋しすぎるくらゐ靜かな室の中に

靑白い月かげが射しこんでゐるの

が、妙に氣味わるく感じられたの

である。S氏はその夜、珍らしく

回想的な瞳を輝かし乍ら、私にそ

の話を物語つてくれたのである。

以下私とあるのが、S氏自身を指

してゐるのは、云ふまでもない。


 日比谷公園の方から、電車道を

つたつて銀座の方へ散歩したこと

のある人は、そのなかほどにSと

いふ橋のかゝつてゐるのを知つて

ゐるだらう。

 恰度、今夜のやうに月の良い晩

であつたが、私が未だこのY子(と

いつて、S氏は傍らのS氏夫人を

指してみせた)と戀人時代で、機

會さへあれば、逢ふことばかり考

へてゐた私は、その夜はS橋の袂

で待ち合せる約束をしてゐたので

ある。戀人が待合せをするときに

はきまつてどつちかゞ、ひどく待

たせられるものである。私とY子

の場合は、いつも待ち呆けをくは

されるのが私であつた。その夜も

さうだつた。だが、その夜にかぎつ

て私は、そんなすこしの待呆けな

どに、いら/\して腹を立てたり

はしなかつたのである。それには

こういふ特別なわけがあつたから

である。その頃の私もY子も、ひ

どく貧乏をしてゐた。私は學校を

でて、すぐあのM會社へ勤めるこ

とになると、もう家の方からの仕

送りは貰へなくなつてしまつたの

で、わづかばかりの俸給で生活を

支へてゆかなければならなかつた

Y子とても、女學校をでると、あ

る外國の活動寫眞會社のタイピス

トになるといふ風なので、いづれ

にしても、あまりゆとりのある生

活をするといふわけにゆかなかつ

た。私達はそんな味氣ない、不自

由な暮しのうちにも、戀を語るの

が何よりのたのしみであることを

信じてゐたので、私達の心持は、

二人の生活にかゝわりなく、だん

/″\深められ、温められていつた

のである。私はある日Y子にこん

な約束をしたことがある。自分は

出來るだけ無駄使をやめて、すこ

しお金をつくるから、あなたもな

るべく倹約して下さい。そのお金

で、指輪を買つて贈り合はうでは

ないか。私の買ふ指輪にはSと彫

らせるし、あなたの指輪にはYと

刻ませなさい――そしてそれを取

交へて、いつも指から離さないこ

とにしやうではないか。それは我

々の初戀のいゝ紀念であるし、一

つには私達の愛の長くかはらぬこ

との證にもなるのだから。――こ

ういふ、私の言葉をY子は喜んで

うけいれてくれた。それから二月

あまりたつて、その夜こそはその

指輪を二人の指にはめ合ふ時がき

たのである。。だから。Y子の來か

たのおそいのも、何か彼女に、自

分をおどろかすやうな、たくらみ

でもあるのぢやないかしら――そ

んな風に考へると、妙にうれしさ

がこみあげてきて、私はほがらか

に口笛を吹いてゐたのである。や

がて、よほどおくれてY子はやつ

てきた。私はその夜にかぎつて、

Y子の肩を抱きすくめて、ゆすぶ

つてやりたいやうな、病的な、愛

着を感じた、私はめつたに女にそ

んな考へをおこしたりする男では

ないのだが。

 とにかく私はY子にこう訊いた

「僕は指輪を持つて來ましたよ。

 あなたは」

 Y子は、その美しい、若々しい

瞳を月かげにひらめかし乍ら答へ

てくれた。

「私も持つて來ましたのよ。早く

 とりかへつこしませうよ」

 私が橋の上にひとりで彼女を待

つてゐたときにふと考へたやうな

私をびつくりさせるたくらみなど

はY子はみせなかつた。けれども

その代りに私の思ひもしなかつた

一つの出來事がおこつてしまつた

のである。

 私は、まづ彼女の指に、私の頭

文字をほりつけた細い金指輪をは

めてやつた。そしてそのあとでY

子が、彼女の指輪を私の指にはめ

てくれようとしたときに、私は默

つて、おとなしく、彼女にまかせて

おけばよかつたのである。だが私

はその前にちょつと、彼女のくれ

る指輪がどんな風な形につくられ

てゐるか、手のひらへのせて眺め

たいと云ひだしたのである。そこ

でY子はケースからそれをつまみ

出して私の掌にのせやうとした

ほんのその瞬間のことだが、私は

めまひのしさうな、爆音をきいて

思はず飛び上つてしまつた。あと

で、それは貨物自動車のガソリン

の音だと分つたけれど、その時に

はひどく驚いたものである。私が

跳びはねたのと、Y子が私の掌

に指輪をのせるのとが殆んど同じ

だつたのだらう。ちやりんと金属

特有なひゞきを立てゝ指輪は石橋

の上へ落ちたのである。私とY子

とは、本能的といつてもいゝ位の

敏感さで、そこにうづくまつて、

あちこちと探してみた。だが、どう

しても指輪はみあたらなかつた。

私は何べんも注意深くさがしてゐ

るうちに、その指輪がどこへ落ち

たのか解つてきた。あのS橋には

雨水を流すためにところ/″\に小

さな穴があけてある。私は根氣よ

く指輪を探してゐるうちに、ふと

その穴の下に、月かげのきら/\

した河水の光をみたのである。こ

ゝだ。この穴から落ちてしまつた

のだ。

 私はその夜、Y子にくど/\と

わび言を云つたことを覺えてゐる

その後、間もなく、私がY子と結

婚してから暫らくの間は、私は秋

になつて、月の良い晩がくるのを

怖れたものだ。怖れるといふのが

大げさならすくなくとも私は後悔

するやうな氣持になつたのである

 だが、今ではもう、その頃の眞

剣な氣持などはすつかり忘れてし

まつたやうである。見給へ、Y子

のしわのすこしみ江る指には、あ

の頃の僕達の生活のすべてをきざ

みつけた、指輪のひときれがはめ

られてゐるではないか。だが、それ

は片方の心臟だ。もう一つの心臟

は、恐らく、あの夜、靑白い月か

げに、きらめき乍ら、あのどろん

と、よどんだ運河の泥底深く埋つ

たまゝ、錆ひ朽ちてしまつたであ

らう。   (十二年十二月稿)


(越後タイムス 大正十三年一月一日 
     第六百三十一號 二面より)


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