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對 話 三 人 (上)

  (小村隆二君へおくる)

情景。――銀座の裏通にある或る小

  さなカッフェの飾一つない狭い室

  に、おきまりの粗末なテーブルが

  四つ許り置いてある。その一隅の

  窓寄りの一つには、今、二人の貧乏

  な靑年が腰掛けてゐる。窓硝子を

  隔てゝ、直ぐ道路が見江る。或る

  雪のひどい夜のことである。バサ

  /\と硝子戶を打つ雪は、見る間

  に室内の温かさの爲めに水の玉に

  されて幾筋も硝子面を傳ひ流れる

  のだ。靑年Aはじつとそれを眺め

  てゐる。Bは小さなストーブの石

  炭火をかき廻してゐる若い給仕女

  に話しかけてゐる。二人は先刻か

  ら、一杯のホツトウ#スキイを、文

  字通りになめるやうに飲んでゐる

  この二人の外に、客の姿は一人も

  見江ない。――

B『(女に)君は何處で生れたのだ

 ?』

女『私ですか・・・(笑ふ)そんな事

 お聽きになつて如何なさるの』

B『君は素直にそれを云へないの

 だネ』

女『(笑ふ)だつて・・・・』

A『君は何んの爲めにそんな事を

 訊くんだ。君はカッフェへ來れ

 ば決つてそれを訊く男だ。恰も

 そうするのが女に對する禮儀か

 なんかのやうに。おかしな男だ。

 生れた國が氣に入つたら戀でも

 する心算なのか』

B『僕はそんな意味で訊くわけで

 はない。僕は同情するのだ。こ

 んな職業の女の人には、きつと、

 何か暗い、悲しい、苦しい思出

 や生活があるに違ひないと思ふ

 んだ』

A『同情して何うするのだ』

B『救へるものなら救ひたいのだ

 慰められるなら慰めるんだ。そ

 れが大きな神の愛に叶ふのなら

 ばネ。そしてさうするのが、何

 んな人々に對しても、神の愛を

 高唱し、傳道する僕等のつとめ

 なのだ。神に對する奉仕の端く

 れなのだ。』

 突然窓の硝子を叩く音がする。雪の

 中に、若い男の顔がボンヤリ浮江て

 見江る。

戶外の男『オイオイ、A君ではな

 いか、僕だ、僕だよ、Cだ。』

 A、衝動的に立上つて、いきなり窓

 を開ける。吹雪が、その空虚をめがけ

 て、横ざまに吹き込む。

A『おぅ!C君だナ、C君だナ、ほ

 んたうにC君だナ。まァ入れよ

 右へ曲れば入口があるんだ。』

 B、入口へ走つてゆきCを連れて來

 る。やはり貧乏な靑年勞働者である

A『そして君は一体いつ東京へ出

 て來たんだ。だしぬけに喫驚す

 るではないか。そして又その君

 がこの前を通り掛るなんで丸で

 神話がお伽噺にでもありさうな

 ことではないか。』

C『ウン全く急に出て來たんだ。

 工塲の方へも默つて來た位だか

 ら知らせる暇もなかつたんだ。』

A『僕は君に會ひたくて堪らなか

 つた。殊にこの半月程前から君

 を戀人かなんかの樣に懐しく思

 つてゐたんだ。ウソではない。

 ウソと思ふんなら僕の心を江ぐ

 出してしらべてみるがいゝ。』

C『(微笑)僕もさうだ。昨夜東京

 へ着いて神田の下宿屋へ泊つた

 んだ。何の考へもなくやつて來

 たんだから、久振でこんな雪夜

 の盛塲でもブラ/\するより外

 に用は無いんだ(Bの前の酒杯を

 見て)B君、君はクリスチャンの

 くせに酒を飲んでいゝのか。』

A『B君はクリスチャンでも變態

 なんだ。つまり基督敎そのもの

 ゝ革命兒なんだ。酒や煙草は無

 論だし、美しい女をみれば、矢

 張僕等と同じ樣に若い心臓が高

 波をうつのだ。それ丈け人間味

 のある、謂はゞ僕等の近き易い

 宗敎家なんだ。只僕等と異ふ處

 は生活信念だ。彼の行爲に對す

 る宗敎的な、小主觀的な、反省

 が彼の生活を消極的にする點な

 んだ。B君は何事でも神に歸納

 しなければ已まぬ男だ。僕等が

 疑はずにはゐられない處を一切

 信じ切つて掛つてゐるんだ。そ

 して人間の靈肉二元を信じてゐ

 るんだ。そこが僕達現實的革命

 兒との信念上の岐路となるのだ

 然し彼も一人のプロレタリアと

 して惨めな生活に苦しんでゐる

 男だ。現社會が間違ひだらけな

 事は、彼だつて知り過ぎる程知

 つてゐる。社會主義的にしろ、

 無政府主義的にしろ、現實の不

 合理な、醜惡極まる、寄生的權

 力の根本を破壊すべく、强い信

 念と理想とに殉じる丈けの元氣

 は彼とても十分持つてゐるんだ

 只、彼は餘りに八方美人的セン

 チメンタリストなんだ。涙が多

 過ぎるんだ。實行をさへ神の名

 に依つてなさんとする。僕等は

 自分の生活苦を自ら堪江忍んで

 生きてゆかねばならぬ以上、そ

 れからの解放も僕等自身の力で

 成就げやうとするのだ。自分達

 の生命を救ふ爲めに神の名をか

 つぎ出す程、卑怯ぢやないんだ。

 非現實的ではないんだ。處がB

 君の塲合、その肝心なところが

 神の力への轉嫁になるんだ。僕

 等から云へば人工的神が邪魔す

 るんだ。變な諦めに閉ぢ込もる

 のだ。ある時は生活苦其ものが

 神の深い愛だと云つた。人間の

 死を指してさへ最上の神の愛だ

 と云つた人間が死ぬ時生に執着

 する眞劍な苦惱をみたら迚も肉

 体と共に其靈魂が滅亡するとは

 信じられないといふのだ。然し

 僕等は人間の死際の悲しい光景

 を怖れたり淋しがつたりはする

 が夫以上人工的天國を空想する

 程宗敎家ではない。ツルゲネフ

 の「父と子」の結末、「ルージン」

 の結末はどうであつたか。そし

 てあらゆる人間の死の刹那に僕

 等は、永劫の虚無を直觀する外

 何も實感し得ないのだ。前田河

 廣一郎といふ男の書いた小說を

 讀むと、亜米利加へ働らきに行

 つた貧乏な靑年勞働者の悲惨な

 生活がマザ/\と書いてある。

 異國で肺病に患つた靑年が困窮

 のドン底であ江いでゐる。友人

 が色々慰めて呉れるが、健康が

 スツカリ壊されてゐると、どん

 な美しい、どんな樂しんもので

 も、すこしも精神に響いて來な

 いといふではないか、又ドウラ

 メットリィといふ唯物論者は、

 多くの學者達と會食した時に、

 肉饅頭を腹の張裂ける程食つて

 その塲で狂ひ死したさうではな

 いか。この二つの事實のどこに

 靈だけの獨立世界、肉だけの獨

 立世界があるか・・・あゝ僕は折

 角君に會へたのに又僕の夢中病

 が起つてB君と論爭しだした。

 許して呉れ給へ。ほんたうに、考

 へてみると君とは三年振なんだ

 ナァ』


(越後タイムス 大正十一年十一月十九日 第五百七十二號 五面より)

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#ツルゲーネフ #父と子 #大正時代 #越後タイムス



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