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合気と日常生活の共通点

石森先生の合気レッスン、二度目、行ってまいりました!

前回は、マンツーマンの個人レッスンだったので、じっくりと石森先生の指導を受けることができました。

しかし、今回はグループレッスンです。石森先生が付きっ切りというわけではありません。私のほかに受講生が4人いました。なので、撮影も一切なしです。

そんなわけで、文字だけで伝えるのですが・・・今回よかったのは、グループレッスンならではの個人差というものです。

前回の個人レッスンでは、基本的に自分の技を受けてくれるのは、先生のみでした。しかし今回は、受講者同士での技のかけ合いがメインになります。

そこには、技の力だけではなく、お互い受講者同士「あなたは、私に技をかけられるんですか?」みたいな、妙な力学が働きます。

まずもう・・・腕をつかまれるときに「ぎゅー」っと強く握られます。「倒されませんよ?」みたいな感じです。逆に、私もそうです。「私を倒せるんです?」というつもりで握ります。

ということで、お互いになかなか倒されません(笑)。

そんななか、お互い腕を掴んだり、掴まれたりしながら、「こうかな?こっちかな?こうだとどうだ?」のような話をしながら進めていくのは、それはそれでグループレッスンならではの良さのようにも感じました。

また、相手に対しては、絶対に忖度しないので、それで技がかかっているときは、正直、本当にかかっているという実感もあります(笑)。

それだけではありません。技をかけるときの個人差というのも、だいぶあることを知りました。


私が、石森先生を相手に練習をしていたとき、ある技がきれいに石森先生に入りました。石森先生が「これはきれいに決まっているから、他の人でもできるんじゃない?」というので、早速、別の受講生(以下、Aさんと呼びます)にかけてみました。

ところが、全然かからないのです。体を撫でるだけになってしまい、技が空ぶっている感じです。Aさん曰く「それだと触れられた感じが弱い」というので、技をかけるときに、少し強めに触れてみたところ、今度はうまくかかりました

「なるほど、そんな強くていいんですね?

その触れたときの感覚は、先生にかけたときのものとは、あきらかに別物で、結構、強く手を押し当てるようなものでした。

その感覚を持ち帰って、石森先生にまた同じ技をかけてみます。しかし、今度は、石森先生にかからないのです。石森先生は「あー、それだと自分には強いですね。体が反応を起こすので技がかからないです」といいます。

石森先生の合気を体験していると、相手に触れるときの肌の感覚は、とても重要であることを教えられます。

技をかけるわけですから、当然、相手の体には触れていないといけません。しかし、その触れた場所に圧力をかけてはいけないのです。違う言い方をすると「優しく」触れていなければいけません

この「優しく」というのが、なかなかに曲者で、その基準は、あくまでも相手にとって「不快か?不快でないか?」ということのようです。しかし、それは相手が決めることなので、こちらでは判断することができません。

先ほどの技の話に戻すと、石森先生に技をかけるとき、私がAさんにかけたときのような強く押し当てる感覚は、先生にとって不快だったため、体に拒否反応が起こって、技が入らなくなるということです。

これがまた逆に、不快にしないようにというところばかりに気を取られて、弱く触れるだけだと、Aさんのときのように体の表面を撫でるだけで、技にならないというところもポイントです。

技として成立するには、相手が不快と思わない程度に、かつ技がかかる程度に触れておくというところがポイントで、技がかかり終わるまで、その感覚を持続させないといけないということです。

ね???もっともらしいでしょ?

でも、ここで不思議に思うのです。

石森先生は、そんなAさんに対しても、私を含む他の受講生に対しても、同じように技をかけることができます。そこで聞いてみました。

「先生がおっしゃることは分かりました。でも、私が今、先生にかけたときと、Aさんにかけたときでは、あきらかに力の加減が違うんです。先生は、どうやって相手に合わせて変えているんですか?

それに対する先生の答えは、「(一部、女性のなかには、ものすごく弱く触れないといけないなどのケースはあるものの)自分はそんなに変えてない」とのことでした。

これ、達人らしい答えだなぁと思わずにはいられませんでした。先生は、多分、無意識にやられているんだと思います。難しいです。


ただし、これを私たちの日常生活に当てはめてみると、ちょっと分かる気がします。

技をかけるわけではありませんが、例えば、自分の意見を相手に聞いてもらいたいときのことを考えてみます。

これが正しい!」と思うようなことでも、相手によって、言い方を変えていかないとうまく伝わらないものです。原理原則があるとしても、その原理原則に則ったうえで、相手に応じて変えていくということが求められます。

それをどう変えていくか?

当然、相手が不快に感じるような言い方をしてはいけません。相手を頭ごなしに否定するなどはもってのほかです。相手を不快にさせてしまったら、もう何を言っても聞いてもらえません。「優しく」触れる必要があるわけです。

ただし、それだけでもダメです。当たり障りのない話をしたいわけではないのです。

どの切り口なら話を聞いてもらえる?」ということを探りつつ、相手が乗ってくるポイントをみつけていきます。そうでないと、技はかかりません。

探りの会話を展開しながら、相手から返ってくる相槌、返事、表情、声色、間、話題・・・そういうものから、「ここだなっ!」というポイントをみつけ、そこにこちらの言いたいことを混ぜていくということになります。

瞬間瞬間です。言い方やテーマの展開も、相手の反応をみながら、常に変幻自在に変えることができれば、相手が自分の言うことを聞いてくれる隙間を生み出すことができます。

もちろん、タイミングもあります。今は、ここまでしか聞いてもらえないとか、まずはここまで伝えておけばいい、みたいなものもあるでしょう。

それも、合気の技と同じです。

無理に技をかけようとしても、返って反発を招くだけです。聞いてもらえる範囲で聞いてもらうというところでいいのです。まずは、その範囲内で、自分の意見を相手のなかに入れていくわけです。その積み重ねによって、結果として、技は完全にかかります

この相手に合わせて、変幻自在に話し方やテーマの展開を変えていくあたりが、無意識にできると、人とのコミュニケーションという意味においては、達人の域に入ってくるのだと思います。

石森先生の場合、そうした相手との向き合い方について、無意識に行っており、それを身体操作のなかに活かしているということでしょう。

むぅぅぅ・・・でも、そんなこと自分にできるかな?

まずは達人(感覚を会得し体現できる人)に手取り足取り技を受けてもらったり掛けたりしながら正しい感覚を、接触を通して身体で感じ、感覚を知ること。そして、その感覚を再現するために何度も技を色んな人に受けてもらってフィードバックを得ながら感覚を磨いていきます。この2つの繰り返しをまさに1000本ノックのごとく続けることによってそれまで長年の生活から自然と身についていた一般的な身体の使い方から、武術の達人の身体の使い方に身体を変えていくことで次第に感覚が身についていきました。ある程度できるようになってからも多種多様な人に対して技をかけながらより反応されず崩す方法を研究し成長できています。また、合気を身につける過程で多くの武道で行われているような型などの鍛錬を行うことはありませんでした。

やわらぎ道HPより引用

それは、石森先生のやわらぎ道HPにある通りです。達人にコツを教えていただいたら、それをいろんな人にやってみるというのが大事のようです。

相手は常に違っています受講者同士で、力と力がぶつかっているというのは、日常生活でいうところの「ケンカ」が起こってしまっている状態なわけです。

それを起こさせないまま、相手に言うことを聞いてもらうなんてことは、経験を積んでいかないと分からないことでもあります。その積み重ねを通じて、ある程度それができるようになったら、瞬間瞬間、相手の反応をみながら、それを変幻自在に変えることができるようにもなるということでしょう。

それを無意識にできるのが達人です。当然、石森先生は意識されていないので、先生から明確な言葉をいただくことは難しいということになります。

きっと近道はありません1000本ノックのようなものも必要なのだと思います。

でもま、いいんじゃないですかね。ちょっと時間はかかりそうですが、楽しいことでもありますし、これはできる限り続けていきたいと思います。


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