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異なるものが交わるということ

今日、IEEE TOWERS(以下、TOWERS)というワークショップに参加してきました。正式名称はTransdisciplinary-Oriented Workshop for Emerging Researchersで、若手研究者のための異分野学術交流ワークショップです。大学生と大学院生が自主的に運営している組織で、文系も理系も関係なく自分の専門の発表を通して交流することで、新しい何かを見つけようよという試みです。今年は17年目で、僕も博士課程のときに第13回の副実行委員長をやらせていただきました。

このワークショップは若手研究者(高校生〜博士課程くらい)のポスター発表がメインなのですが、全員参加のイベントが毎年行われています。イベントの内容は実行委員会が頭を悩ませて考えるのですが、今回の内容がとても面白かったので、会が終わった後に自分でも少し考えてしまいました。

今回は「IEEE TOWERSに相応しいディスカッションテーマは?」をその場で割り振られた5人程のグループで考えて発表せよというものでした。この一見投げやりにも見えるふわふわしたテーマが、いざやってみると異分野交流の核心をついたものだと感じました。

議論が進まない

僕が割り振られたグループのメンバーは、感性工学・生体医工学(僕)、通信工学2名、メディア2名といった専門領域を持っていました。意外と分野が近くて、これなら話は簡単だろうと思ったのですが、開始10分はほとんど議論の進展はありませんでした。話の核になるものがわからないのを感じていました。

いきなりみんなでコラボレーションして何かを考えようとしたのですが、特に何も得られずといった感じです。そこで、視点を切り替えることにしました。そもそも、今おかれた状況こそが異分野が集まってコラボレーションするときの問題なんじゃないかと。つまり、なんで議論が発展しないかを分析することは、多少なりとも意味があるのではないかと思ったわけです。

みんなの専門を整理してみる

とはいうものの、それ自体にも手がかりがあるわけではないので、一旦全員の専門分野を整理してみることにしました。僕も生体医工学と括るのではなく、そのベースの電気電子工学だとすると、メンバーの専門は電気電子工学、通信工学、メディアの順により応用的な領域になっているのではないか、というのがその場の結論でした。

こういう風に眺めてみると、応用領域はより身近なレベルにある一方で、電気回路理論みたいなものになると専門外の人はそれが何か想像することも難しような気がします。なので、応用的な分野に対して、暫定的に議論を初めてみることにしました。とりあえず疑問を出して、それをより基礎のレベルから回答してみようといった感じです。

議論は意外と盛り上がった

これだけで議論は思った以上に盛り上がりました。資料作りも含めて持ち時間は1時間。最後は時間切れで終わったくらいです。最終的にいくつかの仮説を出しました。

まず、議論円滑化のために、なんとなくのレベルでしたが分野間の関連性を書き出してみたのは有効だったと思います。発表時の質問で「分野の整理はそんなに単純じゃない」とコメントがありましたが、正直なところ分野整理の厳密さは不要だと思っています。なぜなら、一番そのグループが話し始めやすい部分を見つけられればよく、分類そのものが目的ではないからです。

さて、実際にどんな議論が出たかというと、「情報検索で良い情報が検索上位に来ない」「ツイッターなどで真偽がわからない情報がバズる」などがありました。それに対して「ページランクアルゴリズムの問題かな?」とか「ファクトチェックするアルゴリズムどう作るかな?」などアイディアと新しい疑問が生まれていました。

一旦話のきっかけが与えられると、意外となんの話題でも盛り上がれるようです。ただ、何も共通の話題も目的もない人が集められた時に、きっかけとなる話題を見つけるのが一番大変というのが気づきです。今回の話をしていて、その話題はある意味なんでも良いのですが、少しだけ制限をつけるならば、ある程度みんなが想像しやすいことを話題にするのが良さそうということでしょうか。極端に狭すぎたり壮大すぎたりは、議論のきっかけには難しい気がします。

異分野コラボレーションはいいことなのか

さて、こんなことをしている裏で、議論をひっくり返すようなことを考えていました。そして、今日の本題でもあります。

それは、無理やり異分野のコラボレーションをすることは、そもそも必要なのかということです。実際に、このイベントと似たような状況は世間に溢れ返っています。企業のダイバーシティ戦略、大学の異分野連携などなど。目的を持って、必要な専門分野が集められた場合は別ですが、とりあえず集めてみたというタイプです。多様性は一種の流行りになっている感もあり、それ自体が目的になっているところも多いのではないでしょうか。

今回の僕たちのチームの議論は、異なる分野の人がいかにして共存できるかが論点になっていたと思います。みんなが仲良しになって、誰にとっても大きくマイナスでない状態を目指すならば悪くない方向だと思います。でも、研究室を想像するとどうでしょうか。いきなり異なる専門の人が集められて、「何か研究してくれ」と言われたらどうでしょうか。

組織内の多様性が増すことで生じるメリットとデメリットは色々と研究されています。その一つが、パフォーマンスです。例えば組織の多様性が上がると平均的なパフォーマンスは下がるとされています。同時に、パフォーマンスのばらつきは大きくなり、上ブレした時の成果は非常に大きなものになる可能性があります。一方で、多様性の小さい組織は大当たりは見込めませんが、平均的には安定した成果を出すことができます。

そう考えると、異分野のコラボレーションが良いかは目的による気がします。今回のイベントは何かやってみて型だったので、何が成功かは各々に任されていたと思います。なので、みんなで親交を深めて、互いの分野の違いと共通項を知るという目的設定を自分たちに課していたのだとすると、僕たちの戦略は良いものだったのではないでしょうか。結局は目的ありきでしか良し悪しを判断できないというわけです。

考えさせる課題

ディスカッションを通して感じたのは、TOWERSの今回の投げかけは「異分野交流について深く考えさせる内容だな」ということです。何も先進的な成果を生み出すだけが目的ではなく、議論の弾まなさの原因はなんなのか、何が自分たちを特徴づけているのか、色々なことを考えるきっかけとしてはこれ以上のものはないと思います。

コラボレーションと言っても共同で何かするのではなく、異なるものと交わることで自分のことを相対的に認識することができます。最終的に「あの考えは嫌い」もありだと思っています。ただ、その理由が異なるものとの対比を通して明確化されることが大切だと思います。

おわりに

今日はいつもと違い日記的な軽い内容になりました。誰かと一緒に何かをするときに違いを感じることで自分を知る。そんな風に考えるのは変でしょうか。目的が何かを考えなければ、コラボレーションの良し悪しはわからないと言いましたが、目的はかっこいいものである必要はないと思います。企業であれば金銭的な成果を上げることが目的かもしれませんが、単に仲良くなることが目的かもしれません。「目的」と「違い」、異なるものとの交流を通して自分を知る。他人を知ることは自分を知るということなのでしょうか。


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